河岸忘日抄 の商品レビュー
素晴らしいとしか言いようがない。 偶然にも今日は『樽』の作者フリーマン・ウィルズ・クロフツの誕生日だそう。
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題名だけ読むと時代小説みたいだが、もちろんちがう。堀江敏幸らしい、エセーと小説のあわいに成立しているような独特の世界。仮綴じ本のように素っ気なさと親しさとを感じさせるあっさりした造本。小さめの活字、アスタリスクで切られた断章のような文章構成。すべてが肩肘張らず身軽で風通しのよいの...
題名だけ読むと時代小説みたいだが、もちろんちがう。堀江敏幸らしい、エセーと小説のあわいに成立しているような独特の世界。仮綴じ本のように素っ気なさと親しさとを感じさせるあっさりした造本。小さめの活字、アスタリスクで切られた断章のような文章構成。すべてが肩肘張らず身軽で風通しのよいのがいかにもこの作者らしい。 「海にむかう水が目のまえを流れていさえすれば、どんな国のどんな街であろうと、自分のいる場所は河岸と呼ばれていいはずだ、と彼は思っていた。」冒頭のこのセンテンスを含む一節は、そのまま終章近くに登場する。物語ならそれで何かが終わり何かが始まるかのように。 今、彼がいるのは、とある河岸に繋留された二、三人なら快適に暮らせる設備の整った一艘の船。少し働きすぎた彼は、仕事を精算し、かつて留学していた土地を再訪していた。昔なじみに提供された船の上で、行く水に日を浮かべては暮らしている。時折遊びに来る少女や郵便配達夫くらいが話し相手という市井の隠者暮らし。どうやらかつての仕事が彼をこのような孤独に追い込んだ原因らしい。電池を次々と縦につないでより強い光を求めるような直列型が今の時代というものなら、彼は並列型の人間だった。他者との軋轢に倦んで、孤独を求めてきたのだ。 ひとり暮らしの男の生活とはいえ、そこはフランス。船の中には300枚を超すLPレコードとCDとそのための音響装置、それに少なからぬ蔵書も備えられている。何不自由ない生活の中で、することと言えば本を読み音楽を聴く間に、クレープを焼き、マルメロのジャムを作り、ガラパゴス産の珈琲を淹れ、デッキの椅子に座る毎日。羨ましいような暮らしぶりだ。 物語とも言えぬほどの物語を彩るのはコラージュのように挿入される他の小説や映画、童話、音楽家の評伝に関するエセー風の思索。特に何度も言及されるのがディノ・ブッツァーティ作『K』。主人公ステファノにつきまとう海の怪物がKだ。人生において他者との遭遇がもたらす幸不幸についての苦い寓話とも言うべきこの物語は、向き合うべき人生から一時避難している彼には迫るものがある。タルコフスキーの『ノスタルジア』や、チェーホフの「スグリの木」、ショスタコビッチの交響曲と、挙げていけばその傾向が仄見える。 停滞し逡巡する彼の内省は思弁的なものにならざるを得ない。年長の友人である枕木との海を越えてのファクスや手紙のやりとりは、「他者」や「現存」という観念についての哲学的と言ってもいい対話がなされる。それと比べると船の持ち主である老人との会話はもう少し人生に寄り添っている。幸福とか悲しさ、孤独という概念が、人生の老師ともいうべき先達によって揺さぶられる。不思議なのは老成しているように見えた作家がここに来て若返っているように思えることだ。 対岸の木立が風に揺れる様子や雲や霧、風雨の描写。ほとんど定点観測のようにそこだけに限ってなされる心象風景の移ろい。航海日誌の顰みに倣って挿入される気象情報。春からはじまった物語は、一応老人の死で幕を閉じる。終章、彼はそれまで行こうともしなかった対岸に歩を進めようとする。対岸に渡れば船の反対側を見ることができる。何も変わらないかも知れないが、とりあえずためらいの時は過ぎたようだ。読後爽やかな余韻を残す一編。人生という流れに飛びこむ前に躊躇している人、日々の生活に疲れ、懐疑を感じている人に薦めたい。
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しん、と冷たく朝もやがかかっている、ゆるやかな川の水面みたいな小説。 堀江敏幸は自分の中で、あたりはずれがある。なんとなく、カッコつけすぎ!と思って、修辞の多い文章に辟易するものもあれば、逆にそれが魅力に感じることもあって。 今作はどちらかといえばあたり。
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ふとしたきっかけから、ある老人と知り合った主人公は、再び舞い戻った異国で老人が所有する船を借りる。 その船は、河を上って大海に漕ぎ出す船ではなく、セーヌらしき川の支流で繋がれ停泊している。 その船には、生活に不自由しない品々と、レコードや本などもあり、主人公の河岸での生活がは...
ふとしたきっかけから、ある老人と知り合った主人公は、再び舞い戻った異国で老人が所有する船を借りる。 その船は、河を上って大海に漕ぎ出す船ではなく、セーヌらしき川の支流で繋がれ停泊している。 その船には、生活に不自由しない品々と、レコードや本などもあり、主人公の河岸での生活がはじまる。 大家(老人)には持病があり、主人公は大家を見舞いに行く。 船にはたまに、郵便配達員や、同じように停泊船で生活しているらしき少女が訪れるくらいで訪問者はいない。 枕木さんという人から時々FAXが届く。 主人公は、時を静かに受容的に過ごしていく。 その静謐の贅沢。 堀江さんの本には独特の静けさがあり、その静けさを壊すことなく布石になるような小さな話題をさりげなくふってくる。
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先月・今月本読めなかったのはこの本に時間をとられたのは大きい。でももうわたしも、量より質の読書にシフトする時期なのかも知れない。趣味じゃないけれど。何も起こらない。淡々とだらだらと続く描写。まったく入り込めなんかしないのに、そのうつくしさには目がくらむ。そしてゆるやかに絡められた...
先月・今月本読めなかったのはこの本に時間をとられたのは大きい。でももうわたしも、量より質の読書にシフトする時期なのかも知れない。趣味じゃないけれど。何も起こらない。淡々とだらだらと続く描写。まったく入り込めなんかしないのに、そのうつくしさには目がくらむ。そしてゆるやかに絡められた伏線。小さな、閉ざされたコミュニティ。そこですら時は、確実に、刻々と流れてゆくのだと。
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タイトルや著者の記憶は曖昧だけど、 空気や手ざわりをとてもよく憶えている、 という本にときどき会います。 これはちょうどそういう本。
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80点。共感はできない。というよりすべきではない。主人公の生き方に共感したからといって彼が大切だと考える事の理解に近づくとは思えない。むしろ共感は理解の邪魔になる。 「無意味さ」を人から教えてもらって理解したことになるか。ならない。それはどこまでいっても「有意味」でしかない。じゃ...
80点。共感はできない。というよりすべきではない。主人公の生き方に共感したからといって彼が大切だと考える事の理解に近づくとは思えない。むしろ共感は理解の邪魔になる。 「無意味さ」を人から教えてもらって理解したことになるか。ならない。それはどこまでいっても「有意味」でしかない。じゃあどうすればいいの。そんなのわかりません。 戸惑いや躊躇いは一つの決断というよりは、決断の集積である。戸惑いや躊躇いは一つの選択肢ではあるが戸惑うことを選択するというのはまた違う。この人いいわ♪ではなく、こいつなんなんだ、よくわかんないけど理解したい、っていう感じ。然るに、いや然るが故にP32に(゜д゜)ハァ?っとなったら続きは読まなくていい。 相手の嗜好を探りたいがためにオススメしたくなる良書。
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老人が公園で倒れているところを助けたところ 彼の所有する繋留された船で暮らすことになった。 彼を外界と繋ぐのは日本にいる枕木さんからのファックスと 時折やってくる郵便配達員と少女。 配達員から以前ここに女性が住んでいたと聞いて 大家にそのことを尋ねるが彼は逆に小さな女の子の存在を...
老人が公園で倒れているところを助けたところ 彼の所有する繋留された船で暮らすことになった。 彼を外界と繋ぐのは日本にいる枕木さんからのファックスと 時折やってくる郵便配達員と少女。 配達員から以前ここに女性が住んでいたと聞いて 大家にそのことを尋ねるが彼は逆に小さな女の子の存在を聞き返す。 謎が解けないままコーヒーや音楽に囲まれて暮らしているうちに 大家の病気が芳しくなくなってきた。 装画:山本加奈子 装丁:新潮社装丁室 読みにくかった…まさに散文と言うかピースがいろいろ混ざっている。 読み直すと新しい発見がありそうだけれども 今はそれだけの気力がありません。 「なぜかって、目の不自由なひとたちは、自分の土地の大きさを、目に見える人々よりもずっと性格に、身体で覚えているからさ、つまり、それがほんとうに視力なんだよ。」 「人と人とが織りなしていく文様は無数の片側からできており、奇跡的にぴたりとあう場合がある一方で、その他の大多数は背中合わせのまま消えていくのだ、自分はこれまで、いくつの片側を周囲の人間に晒し、いくつの片側を受け止めてきたのだろう。」
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異国の都市郊外の河川端でモラトリアムな暮らしに籠もる語り手の、逡巡の軌跡。限られた人々と言葉を交わしながらあちらこちらととりとめなく漂う主人公の思念はけれど、思いがけずひと綴りに繋がっていく。しかしまあ……こんなに回りくどい人物が近くにいたらしんどいな、きっと。
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淡々と毎日の風景が描かれてゆきます。ストーリーはあるのですが、なにかとてもドラマチックなことが起こるわけではありません。ただこの人の描く風景はとても静かでどこか哲学的です。川岸に停泊するボートの中に住む男の物語。そしてそのボートのオーナーの話。
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