「聴く」ことの力 の商品レビュー
他者の他者として初めて自覚させられる「自分」。〈聴く〉ことがそのまま哲学の実践である。考えさせられる論述が続く。メルロ=ポンティ、レヴィナス、フランクルの言葉がつながり、示唆的である。 ・反方法。エッセイ。 ・客は今の時代、侵入になってしまう。家父長制の時代はそうではなかった。...
他者の他者として初めて自覚させられる「自分」。〈聴く〉ことがそのまま哲学の実践である。考えさせられる論述が続く。メルロ=ポンティ、レヴィナス、フランクルの言葉がつながり、示唆的である。 ・反方法。エッセイ。 ・客は今の時代、侵入になってしまう。家父長制の時代はそうではなかった。 ・苦しみに苦しむ自分。苦しみに目を背けることはできても、苦しみであることは認識せざるをえない人間という存在の不思議。 ・存在の世話 ・「どっちつかず」と仲介性
Posted by
哲学書は難しい。特に翻訳物は読みにくい。始めの10数ページを読むと放り出したくなる。でも、見栄をはって本棚には並べておきたい。しかし、哲学のイメージも少しずつ変化してきている。哲学書がベストセラーに並んだりする。本書の著者は哲学の前に、臨床ということばをつけてみた。臨床、すなわち...
哲学書は難しい。特に翻訳物は読みにくい。始めの10数ページを読むと放り出したくなる。でも、見栄をはって本棚には並べておきたい。しかし、哲学のイメージも少しずつ変化してきている。哲学書がベストセラーに並んだりする。本書の著者は哲学の前に、臨床ということばをつけてみた。臨床、すなわちベッドサイド。医学に、心理学に、教育学にも冠される。このことば、哲学には似つかわしくない。なぜなら哲学は語るものだから。誰かに寄り添って、話を聞くのは哲学とは呼ばれなかったから。しかし、著者はそこに変更を求める。哲学を、直接人のためになるもの、社会と結びつくものに変えようとする。ただ傍らに座って、相手の話を聴く。そしてそれを受け入れる。説教をするとか、アドバイスするとかいうのでなく、単に受け入れる。それ以上でも、それ以下でもなく。それが途方もなく今にも崩れ落ちそうな相手のこころを和ませる。しかし、著者の思惑とははずれて、本書にもやはり哲学書の難解な文章がちりばめられている。しかし、本書で言いたいのはただ一つ。相手の話を聴くこと。ただ一生懸命に聴くこと。それ以上でも以下でもなく。ただそれだけ、と私は受けとめている。そういう意味で、深くこころに残る本となった。しかし、「しかし」が多い文章になってしまった。ああ、また「しかし」が2つ(3つ?)増えた。
Posted by
哲学が臨床の現場で、どのように関わっていくかについて語られていて、言葉がやさしい本だった。植田正治の写真と、鷲田清一の文章の組み合わせは少し繊細過ぎる印象もあるけど、語られている状況はとても身近に感じた。
Posted by
哲学という学問を、「上空飛翔的な非関与的な思考としてではなく、じぶんが変えられるという出来事として」、「臨床哲学」というものを、「他者」をキーワードにして試みようとする。 哲学という学問分野における「エッセイ」が果たす枠割というものも、たいへんに興味深いものがあった。
Posted by
非常に読むのに時間がかかった本。話の半分も理解していないが、そもそも理解すること以外にも文章のリズムを楽しむ本ではないかと感じた。聴くことによって、他者を感じているのではなく、自分自身を鑑みているということを学んだ。何回も読むしかない。
Posted by
聴き方テクニックのような本と勝手に思い込んで読んだところ、聴くということの大事さを臨床哲学の観点から紐解くという、かなり難解な内容で、読み進めるのに難儀しました。あとがきの内容が一番分かりやすかったような気がします。
Posted by
著者は元大阪大学学長の哲学者で、専攻はたしか現象学。 本中に「臨床哲学」という言葉がでてきますが、これは何かというと、哲学を使う感じ、よくわからないけれど。机上の空論としての哲学じゃなくて、哲学をフィールドワークするってことで、とてもアクティブな人。 哲学者としての専門は確...
著者は元大阪大学学長の哲学者で、専攻はたしか現象学。 本中に「臨床哲学」という言葉がでてきますが、これは何かというと、哲学を使う感じ、よくわからないけれど。机上の空論としての哲学じゃなくて、哲学をフィールドワークするってことで、とてもアクティブな人。 哲学者としての専門は確か現象学なんですが、「モードな身体」なんかではファッションについて考えてみたりと、いろんなことに口をだしている。 で、地上に降りて哲学を実践する場面において、「聞く」という態度のアクチュアルな側面を考察した本書。彼の文章はどこかの試験の問題文にもなっているらしく。とても豊かな日本語で書かれています。読みやすくはあっても、わかりやすくは無いという、入試の問題文にしやすそうな文体です。(知らない日本語がいっぱいでてきます。) 話す/聞くということにおいては、「話す」ほうがクローズアップされがちです。話し方、プレゼンとかいったみたいに。しかし、聞くという行為、聞くものの態度が話すという行為を誘発する/できるのではないかという内容。その空間を支配しているのは、むしろ聞くものなのではないかという内容。 これはカウンセラーが意識していることでもあって、ここで、臨床哲学とは話す/聞くという場面がそのフィールドだということがわかります。 なんとうか、このやわい感じ、読んでみなければわかりません。
Posted by
卒論参考資料。「話す」だけになっていはいないか。受け取られなかった言葉は虚空に谺する。「聴く」ことの視線。
Posted by
「聴く」という行為に積極的に意味づけを与えようと試みた本書。鷲田さんはやはり良質な文章を紡ぐ。ただ、章が進むにつれて「 右肩下がり」感が否めなかった。「方法がない」「確かな答えがない」「いつまでもおしゃべりしているばかりだ」という不満を抱いてしまった。ビジネスコミュニケーションに...
「聴く」という行為に積極的に意味づけを与えようと試みた本書。鷲田さんはやはり良質な文章を紡ぐ。ただ、章が進むにつれて「 右肩下がり」感が否めなかった。「方法がない」「確かな答えがない」「いつまでもおしゃべりしているばかりだ」という不満を抱いてしまった。ビジネスコミュニケーションに応用できるような内容ではない。
Posted by
頂き物。大学入学前にに読み、傾聴の困難さと重要性を知る手だてとなった本。「他者」と己の補完性を臨床哲学の原点として考察する。
Posted by