「聴く」ことの力 の商品レビュー
一杯のお茶を出す それに意味はない 脆弱性 は ルサンチマン 超克とか乗り越えとかいう発想ではルサンチマンからは抜け出せない。 忘却の力 ニーチェ 記憶の力 キルケゴール
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哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重...
哲学者である鷲田清一が「臨床哲学」という新しい領域を設定し、「聴く」という行為を切り口に、哲学の本質と可能性について論じたものです。論じること、書くこととしての哲学ではなく、「聴く」という営みとしての哲学を模索し、特定の他者に向かっているという特異性(シンギュラリティ)の感覚を重視することで、一般的原則が一個の事例によって揺さぶられる経験としての哲学を捉える。そのような姿勢を持つことで、哲学が「臨床」と結びつくのだということが解りやすく解説されています。「臨床哲学」を「明るいホスピタリティ」として位置づけ、哲学の新しい可能性を開示した桑原武夫学芸賞受賞作。
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20/8/10 噛み切れない理論>棄てる側ではなく「棄てられる」側の噛んでも噛み切れない論理しか信用しない 哲学を馬鹿にすることこそ真に哲学することである>パスカル 言葉が他者との間に成り立つときには、まず働きかけとして機能する。働きかけること、感情を忘れること、対象にふれよ...
20/8/10 噛み切れない理論>棄てる側ではなく「棄てられる」側の噛んでも噛み切れない論理しか信用しない 哲学を馬鹿にすることこそ真に哲学することである>パスカル 言葉が他者との間に成り立つときには、まず働きかけとして機能する。働きかけること、感情を忘れること、対象にふれようとすること どう変わって欲しいのかがはっきりしないと相手は変わらない 言葉をうけとめるといっても、そこには常にアースがひつようだ。自分がきちんと受け止めたら、自分のほうがもたない。それにがしっと受け止めると、それが反射して相手に悪影響を与えることもある。 私たちがいま失いかけているのは「話し合い」などではなくて「黙りあい」なのではないか。 「やり場の無い怒り」>ひとたびその怒りに、ある「物語」を付与してやれば、案外、感情の混沌たる嵐はしかるべきかたちに秩序づけられるのかもしれない。 不幸の経験は言葉を持たない。そこに不幸の本当の困難がある。 「ふれあう」ことを回避しようとして、皮肉にも気が「ふれて」しまうのだ。 「いる」ということがすでにゼロをこえている 意味、条件なしで「ともにいる」こと、つまり「時間をあげる」こと>ケアがケアでありうる 人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。>フランクル
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聴くこと・・に関してどう位置づけされているのかがとても知りたかったので購入。臨床哲学試論という言葉もはじめて耳にした言葉。ここから何がみえるかな?と思いながら私は読みましたが、この本の中にでてくる数々の精神科医、哲学者たちの引用文も参考になります。
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臨床哲学という分野の本。「聴く」という行為が相手にどれほどの効果をもたらすのか、どれほどの意味があるのかについて書いてある。哲学が苦手な人は読みづらいと思うかも。
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烏兎の庭 第二部 書評 11.19.03 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/kikukotoy.html
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改めて人の話をただ聴くだけということの難しさを思い知らされた。饒舌は沈黙の優しさに及ばないこともあるというのは、なかなかわかったところで身につかないものではあるのだが。難題は多いのだが確実に前に進むための哲学ではある。
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現代の名著。哲学に行き詰まりを感じたら、読むといい。その先はまだ闇だが、確かな可能性を与えてくれる。
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「何かを伝えようとする時に発する言葉、見つめる視線、そして沈黙」 誰かとコミュニケーションをする際に、当然のように行っている筈の「聴く」という行為を、「他人を受け入れる」という行為としてあらためて考えている本です。 また、「他人を受け入れる」行為を職業としている人達 - 医者、看...
「何かを伝えようとする時に発する言葉、見つめる視線、そして沈黙」 誰かとコミュニケーションをする際に、当然のように行っている筈の「聴く」という行為を、「他人を受け入れる」という行為としてあらためて考えている本です。 また、「他人を受け入れる」行為を職業としている人達 - 医者、看護婦、カウンセラー、教師……etc,etc - にとって、日常化している「他人を受け入れること」「ホスピタリティ」とどうつきあうか、それによって生じるストレス・問題をどうするべきなのか、といった問題に真っ向から取り組んでいます。 哲学にあえて「臨床」の名を冠し、あくまで現場(職場というだけでなく、介護や家族の問題もふくむホスピタリティなすべての現場)の人間にとっての「受け入れること」を突き詰めた内容は、専門的な人間だけではなくすべての人に感銘を与えるものだと思います。 「臨床哲学」という未知の領域を定義するという目的もあってか、1章は多少難解な表現で綴られていますが、2章以降はむしろ読みやすい内容になっています。 安売りされる「ホスピタリティ」や「聴く」という行為の本質に一石を投じる一冊です。 この本を読んでからは、誰かを受け入れたり、誰かのために時間を割く事の幸せとかをより自覚的に感じるようになりました。また、話をする際に「話す内容・言葉そのもの」よりも「相手自身」を感じながら話すことを重視するように心がけています。 「その瞬間、その人ただ一人に届くたった一つの言葉」それだけを信じて。
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