今日の芸術 の商品レビュー
もう50年も前に書か…
もう50年も前に書かれたことなのに、現在も通用する岡本太郎の「今日」の芸術論。芸術家でなくとも、自分にとっての「美しい」と思えるものがある人なら、誰でも読めるはず。
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芸術は、うまくあって…
芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない・・・。アート界の常識を覆した彼に大拍手。
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言わずとしれた「太…
言わずとしれた「太陽の塔」の製作者ですよね。そういえばもうスグ開かれる愛知万博では藤井フミヤが巨大モチメントとして万華鏡を作ってますよね
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1847855230958129396?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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創られた作品にふれて、自分自身の精神に無限のひろがりと豊かないろどりをもたらせることは、りっぱな創造。→自分自身の人間形成、精神の確立 私も描けたらいいな と思ったら、描いてみるべきだ→だれでも描けるし、描かねばならない 精神の自由がなければ、『でたらめ』は作り得ない 芸術の本質は技術(新しく創造し発見)であって、芸の本質は技能(熟練によって到達)
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・日本での生活で抱く違和感が分かりやすく言語化されていて腑に落ちた。 ・創造欲が掻き立てられる。まだ知らない自分と出会える可能性を感じさせられる。
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2回目読了。 感想と印象に残る言葉を少々。 ・綺麗と思うものは本当に綺麗なのか、「花だから綺麗」というような既成概念に囚われているのではないか? 自分の感性に本当の意味で訴えかけてくるような綺麗とは一体なんなのだろうか。という疑問と気付きが生まれた。 ・「私は謙虚というものはそんな、人のまえで、おのれを無にするとか低く見せることでは絶対にない、むしろ自分の責任において、おのれを主張することだと断言します。つまり、謙虚とは権力とか他人にたいしてではなくて、自分自身にたいしてこそ、そうあらねばならないことなのです。」 →心に残る言葉です。 ・「自由に描いてごらん」、と白紙の紙を渡されると描けない。という矛盾が起こる。 それは自由に対して自信がないからだ。 →自分は自由を求めるが、自由とは何か分かっていない。おそらく、「自由に描いてごらん」と自分が言われると別に描きたい訳ではないのに、草や花といった既に存在する物を模写したり、目の前に何か存在するものを描くんだろう。 それは自由なのだろうか、描きたい線、塗りたい色、本能と欲求の赴くまま紙に反映する時、それは自由であり、創造なのだろう。 ・「現在にないものは永久にない。」
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前半は怒られてるような、又は怒られてる人を見てるような気まずさと「やはりこの文章は一時代前に書かれたものだナ」と批判したくなる気持ちが掻き立てられるけど、後半に向かうにつれてアツ〜くなっていって勇気づけられる。 何より岡本太郎の説明能力が高すぎる。美術系の人とばっかり話してると...
前半は怒られてるような、又は怒られてる人を見てるような気まずさと「やはりこの文章は一時代前に書かれたものだナ」と批判したくなる気持ちが掻き立てられるけど、後半に向かうにつれてアツ〜くなっていって勇気づけられる。 何より岡本太郎の説明能力が高すぎる。美術系の人とばっかり話してると、美術教育を受けてない人との話し方が分からなくなるし、本当に全然伝わらなくて辛く寂しくなるものだけど、岡本太郎は芸術家が絵を描く時何を考えてるのか、何にワクワクしてるのか言語化するのがうますぎる。今後引用できるように何本も線引いちゃった。
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専門的な言葉や根拠となる事例も並べつつ芸術の歴史と見解を述べていてハッとさせられた。 ・流行の「創造」と「模倣」の二つの要素が時代を進めている ・新しいといわれればもう新しくない ・芸術なんてなんでもない。人間の精神によって創られたものではあるが、道端にころがっている石ころのよう...
専門的な言葉や根拠となる事例も並べつつ芸術の歴史と見解を述べていてハッとさせられた。 ・流行の「創造」と「模倣」の二つの要素が時代を進めている ・新しいといわれればもう新しくない ・芸術なんてなんでもない。人間の精神によって創られたものではあるが、道端にころがっている石ころのように、あるがまま、見えるがままにある、そう言うもの。
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もともとは貴族階級の占有物であった芸術が、資本主義の台頭によって一般階級のものとなった。と同時に、パトロン(お得意様)に向けて依頼された肖像画をできるだけ綺麗に優美に描くという、職人芸的な絵画は終わり、「きれいであること」「上手であること」はもはや芸術の条件ではなくなった。 ...
もともとは貴族階級の占有物であった芸術が、資本主義の台頭によって一般階級のものとなった。と同時に、パトロン(お得意様)に向けて依頼された肖像画をできるだけ綺麗に優美に描くという、職人芸的な絵画は終わり、「きれいであること」「上手であること」はもはや芸術の条件ではなくなった。 そのうえで岡本は「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはいけない。ここちよくあってはいけない。」と宣言する。うまいから、きれいだから、ここちよいからという絵画の絶対条件が全くない作品で、しかも見るものに緊張を与え価値観を根底から揺さぶるような作品こそがほんとうの芸術である。 私は鹿児島市立美術館に行った際、ジャン•フォードリエルの「雲」という作品を前にした際、はじめて本当の意味で芸術に対峙した感覚があった。いわゆる抽象画で何が描かれているかはよく分からないが、なぜか心が激しく揺さぶられ、緊張なのか感動なのか自分でも分からない感情に支配されて、しばらくその場から動けなかった。芸術のもつ凄まじい力を実感させられ、それまでの自分の芸術鑑賞は型に当てはめて分かったような顔をしているだけの「八の字」的なものだったのだと気付かされた。 岡本はまた、すべての人が絵を描かなければならないと主張する。うまく書こうとしなくていい、でたらめでいいから、自由な気持ちで書くことが大事であると。 私も思い切って書こうとしてみるとこれが非常に難しい。どうしても「うまくなければならない、きれいでなければならない」と言った刷り込みがあるためか、鉛筆を書く手が止まってしまう。そうしたしがらみ、見栄や世間体、社会性に縛られた精神を乗り越えるために、苦しみもがきながら戦って自由を獲得し、自分の精神、人間性を積極的に打ち開いていかなければならない。そのようにして創造された芸術には、魂を根底から揺さぶるようや強烈な根源的驚異があるのだ。 すばらしい読書体験でした。1954年に書かれた本でありながら、内容はとても新鮮で、今を生きる自分にグサグサささりました。必読書だとおもいます。
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