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マクドナルド化する社会 の商品レビュー

3.2

7件のお客様レビュー

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2023/10/13
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アメリカ人のほとんどか、マクドナルド化=合理性の鉄の織の現代版、を気に入っている。さらなるマクドナルド化を望んでいる。 マクドナルド化は、画一化と醜悪化。

Posted byブクログ

2013/08/27
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 著者は、ウェーバーの社会学理論とファーストフード・レストランとの関心を接続するところに、「社会のマクドナルド化」という命題を打ち出している。著者はもともとはウェーバーの合理化の理論の研究をしていたようであるが、合理化の典型が官僚制であり、その現代版がファーストフード・レストランの原理の浸透=社会のマクドナルド化であるというわけである。必ずしも、マクドナルドという比喩を当てる必然性はないものの、その比喩こそがふさわしいと考えている。  マクドナルド化の次元については、次の4点から特徴づけられる。「効率性」、「計算可能性」、「予測可能性」、「制御」である。著者はこの過程に批判的である。なぜならば、合理性のなかには非合理性が含まれており、ウェーバーのいう「鉄の檻」を貫徹させ、非(脱)人間的なものをもたらすからである。最終章には、そのためのサバイバルガイドが掲載されている。少し、ポイントからは外れるが「アメリカーナ」としてマクドナルドを捉えている1章の記述は参考になる。

Posted byブクログ

2012/04/05
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三浦展氏の『ファスト風土化する日本』におそらくインスピレーションを与えた本(三浦氏がどこかで言及されているかどうかは知らないが)。『マクドナルド化する社会』の翻訳の初版は1999年。『ファスト風土』は2004年。 社会が隅々まで大量生産の規格製品・サービスが埋め尽くされた現代。どんなへんぴな地域へ行っても、マクドナルドに代表されるマスブランドがついてまわり、旅行した気持ちがしない。個人も地域も個性を喪失し、アイデンティティを失いつつある。今こそこの流れを逆転し、個性・地域性復興の運動を始めるべきだ──という主要なメッセージはどちらも同じ。 三浦本が批判の対象としている現象が当初は日本に特有と考えていたらしい(続編でアメリカも「ファスト風土化」している、と指摘するが)一方でリッツァーは当初から世界的な現象としている点、そして三浦本が社会運動によってこの動きを押しとどめることができると考えているのに対しリッツァーは「近代」の不可避的な結末なので抑止はほぼ不可能と考えているらしい点。この二点が主な相違点だ。 正直、この二冊とも、見方によって評価はかなり分かれるだろう。例えば三浦氏は郊外のロードサイド店の乱立を批判するが、需要がなければ供給は続かない。ナショナルチェーンの牛丼屋は大規模に原材料を仕入れるから安価だ。商店街の牛丼屋は小規模だから、何倍もの値段になるかもしれない。田舎の「風土」を守るために後者を保護せよ、というのは、要するに田舎者は高い牛丼を食え、というに等しい。これはなかなか合理化できない立場ではないか。 リッツァーはこのような面にもちゃんと目を配っている。マクドナルドが世界中に広がるのは、要するにマクドナルドが、いつでもどこでも同じ味の食事が、みんな大好きだからだ。この背理を見つめない限り、私たちは前に進めないだろう……。 「近代」とは、「アイデンティティ」とは何か、ちょっと深く考えたくなったときにおすすめしたい。

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2011/07/19
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世界はマクドナルド化している。 ここでいうマクドナルド化とは、官僚化+作業ライン化+科学的管理法により合理化され、それに伴って非合理化(脱人間化)が進むというもの。 全てを合理的に計算し平準化しルール化し機械化することにより効率をあげるが、その代わりそのツケを払わされる。例えば、客がオーダーをし商品をトレイにのせてテーブルまで運び食後はゴミを捨ててトレイを返すといった一連の動作は、店の合理化のために客が働かされている。これすなわち合理化のための非合理化。 しかし、この本が出た頃はグーグルもアマゾンもなく、ロングテールもない時代。今は「マクドナルド化」ではなく「グーグル化」ですよー。

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2009/10/04

ウェーバーの「合理化」論の現代版。 官僚制で見られた合理性を、消費社会に置き換えてマクドナルド化ってした点は面白い。 でも翻訳が下手というか、読みづらかった。

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2009/10/04

本書で、マクドナルドモデルになることをマクドナルド化と呼び、それは「合理化の最終形態」と位置づけている。 その最終形態が引き起こす、非合理性や脱人間的なものへの警鐘を(マクドナルド化への過程とその合理性を支持しながらも)している。 官僚制化→ホロコースト→科学的管理法→作業ライ...

本書で、マクドナルドモデルになることをマクドナルド化と呼び、それは「合理化の最終形態」と位置づけている。 その最終形態が引き起こす、非合理性や脱人間的なものへの警鐘を(マクドナルド化への過程とその合理性を支持しながらも)している。 官僚制化→ホロコースト→科学的管理法→作業ライン→レヴィットタウン→ショッピングセンター→そして、マクドナルド。 この、合理化への過程における最終形態がマクドナルドである。 その成功への4次元として ・効率性 ・計算可能性 ・予測可能性 ・制御 を挙げて、そして書の後半からは、それらへの警鐘として、第5次元に「合理性の非合理性」を挙げる。 そこでは、合理的システムが引き起こす結果というのが大量の非合理性。 それは人間理性の否定や非道理的なもの。 確かに合理性の追求というものが、資本主義社会での成長条件であるのだが、その合理性の追求が引き起こす問題を、マクドナルドという具体的なレベルから切り込んでバッサバッサ合理的なものをなぎ倒していく臨場感がこの本にはありました。 最終的には「生と死」という領域での合理化に切り込んでいってます。

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2009/10/04

2006/03/27 かなりくどい。いかにも翻訳調で文体に工夫がないのでますますくどい。 内容はおもしろいのだが。

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