アタチュルク の商品レビュー
2015.10.27レビュー。 エルドアン首相、ムスタファ・ケマル・アタチュルクの築いたトルコ共和国を、どうか未来の明るい国にして下さい。
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トルコ近代化の父、ムスタファ・アタチュルク(ケマル・アタテュルク)の物語。 イスラム教の教理が法律に優先する世界の中から政教分離など近代化を進めた彼は「世界で唯一成功した独裁者」と言われます。西欧諸国の侵攻から自国を守るのみならず、更に人々の心と人生の礎となってる宗教、イスラム教...
トルコ近代化の父、ムスタファ・アタチュルク(ケマル・アタテュルク)の物語。 イスラム教の教理が法律に優先する世界の中から政教分離など近代化を進めた彼は「世界で唯一成功した独裁者」と言われます。西欧諸国の侵攻から自国を守るのみならず、更に人々の心と人生の礎となってる宗教、イスラム教という宗教を相手取る姿には、並ならぬ信念の強さを感じます。 面白いのですが、エピソードに対し現代日本の情勢をいちいち引き合いに出して、「どっかの国に聞かせてやりたい~」というような皮肉などが非常に厭味ったらしく興ざめ。私はアタテュルクと当時のトルコ情勢が読みたいのであって、そんなこと聞いてないっての!他は面白いのに、それがすごくマイナス。
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ムスタファ・ケマル・アタチュルクは、今から129年前の1881年3月12日に生まれたトルコ革命の指導者。トルコ共和国成立後、初代大統領に就任。 私たちには、トルコ革命の英雄=ケマル・パシャという名前の方が通りがいいと思いますが、はたして彼のことを最初に知ったのは世界史の教科書や...
ムスタファ・ケマル・アタチュルクは、今から129年前の1881年3月12日に生まれたトルコ革命の指導者。トルコ共和国成立後、初代大統領に就任。 私たちには、トルコ革命の英雄=ケマル・パシャという名前の方が通りがいいと思いますが、はたして彼のことを最初に知ったのは世界史の教科書や授業だったのか、それとも平岡正明の『西郷隆盛における永久革命・・・あねさん待ちまちルサンチマン』の中でだったのか、あまり定かではありません。 かつて大帝国だったオスマン・トルコが弱体化していく中で、第一次世界大戦に敗北するやいなや、ヨーロッパ各国による分捕り合戦が始まるのを目の当たりにして、祖国の存亡の危機に起ち上がったのが彼だった訳ですが、先行する1917年にロマノフ王朝を倒し社会主義革命を成し遂げてロシア共和国を樹立したレーニンに遅れること5年、1922年から23年にかけてトルコ革命を軍人=独立戦争総司令官として成し遂げましたが、この遠く離れたトルコの歴史的転換・大事件に、一人の日本人が深くかかわっていたことは、ワクワクする興味深い事実ではありませんか。 このエピソードは、テレビ東京の番組『世界を変える100人の日本人』の2008年10月17日の放送で紹介されてから一般にも広く知られるようになりましたが、時は1890年、日本を訪れて帰国途中のオスマン帝国軍艦エルトゥールル号が遭難する事故が起こったのですが、なんとこれを聞いた一人の山田寅次郎(宗有)という普通の24歳の人が、犠牲になった人を援助しようと思い立ち、知り合いの新聞社に働きかけて大々的な募金運動を起こし、2年もかけて日本全国を回ることによって1億円も集めたのです。 そしてこれを、自らが携えてオスマン帝国を訪れたところ、見知らぬ東洋の端っこの国からたった一人で義捐金を持ってお見舞いに来てくれた慈悲深い彼に感激して、皇帝や国民から熱烈歓迎され、それ以後は日本語教育や東洋の美術品保管を任されるくらいに優遇されたといいます。 当時はまだ日本と国交もなく、いわば彼ひとりが民間大使としてトルコと日本を橋渡ししたということです。 そして、このときに皇帝に招かれて士官学校で教えた中にケマル・パシャがいて、その後ケマル・パシャは明治天皇の写真を机に飾ったり、明治維新を念頭に置いてトルコ革命を成就したということです。 どうやら、少なからぬどころか、多大な影響があったようです。 その後、残念ながら彼も独裁の道を歩む結果になったようですが、でもそれは、ヒトラーやスターリンとはまったく違った国民のためのいわば強行手段だった訳で、そして中近東の今も続く底なしの憎悪の連鎖=民族間紛争をみるにつけ、多言語・他宗教国家の宿命である争いごとの決定的な抑止のためにした彼の一番の功績は、なんといっても政教分離政策だったはずなのですが、悲しいかなその意味が理解できずに、それぞれの譲歩や融合を創意と工夫によって協力体制で構築していかずに、利益団体よろしく思惑に振舞わされて対立する人たちが輩出しているのはなんともいえない気持ちがします。 いったい、人の心・叡智の進歩・発展というものはないものなのでしょうか?
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