喧嘩両成敗の誕生 の商品レビュー
「日本的風土に根づいた伝統」とされ、戦国時代において自力救済克服の画期となった法として日本史の教科書にも必ず登場する「喧嘩両成敗法」の室町時代における形成過程を概説。 本書は、喧嘩両成敗法を生み出した室町時代の社会の在り方、特に強烈な名誉意識や復讐意識、衡平感覚といった当時の人々...
「日本的風土に根づいた伝統」とされ、戦国時代において自力救済克服の画期となった法として日本史の教科書にも必ず登場する「喧嘩両成敗法」の室町時代における形成過程を概説。 本書は、喧嘩両成敗法を生み出した室町時代の社会の在り方、特に強烈な名誉意識や復讐意識、衡平感覚といった当時の人々の苛烈な心性にスポットを当てているところに特色があり、喧嘩両成敗法は、戦国大名主導の強圧的な秩序形成策として登場したのではなく、中世社会の中で形成された紛争解決の法慣習の蓄積であったと位置付けている。 本書は、喧嘩両成敗法の成立過程を題材としながら、現代社会と通じながらもかなり異なる室町時代の社会の在り方を生き生きと描いており、歴史学の面白さを感じさせてくれる一冊だった。特に、身分を問わず強烈な自尊心をもち、ちょっとしたことで殺し合いにまで発展してしまう室町時代の人々の現代日本人とは異なる「苛烈」な心性については、本書を読むまでほとんど知らなかったことであり、非常に興味深かった。 また、民法の「過失相殺制度」が世界的にかなり特異なものであり、こういうところにも「喧嘩両成敗」的な心性が息づいているという指摘も、目から鱗であった。 本書は、実証研究の成果をもとに、現代にも通じるテーマについて、研究史への批判も盛り込みつつ、現代を相対化させてくれるような過去の社会の在り方を明らかにし、知的好奇心を満たしてくれるという点で、歴史教養書のまさにお手本であると感じた。
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室町人の常識が分からないと読み物の登場人物の行動が理解できないな(それほど狂ったヤツら) 中世社会の衡平感覚と相殺主義が心情にあるからこそ、法理に基づいた判断が複雑(あるいは一筋縄でいかない)な時は「喧嘩両成敗」こそ苦渋の選択として定着した 日本人の知恵ですね(´・ω・`)
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「謎の独立国家ソマリランド」からの「世界の辺境とハードボイルド室町時代」、そこからの「喧嘩両成敗の誕生」です。高野秀行がソマリランドの平和を氏族主義によるトラブル回避にあるとして日本の戦国大名に見立てたことが、著者 清水克行独自の研究の室町時代の社会史研究に繋がりました。確かに似...
「謎の独立国家ソマリランド」からの「世界の辺境とハードボイルド室町時代」、そこからの「喧嘩両成敗の誕生」です。高野秀行がソマリランドの平和を氏族主義によるトラブル回避にあるとして日本の戦国大名に見立てたことが、著者 清水克行独自の研究の室町時代の社会史研究に繋がりました。確かに似てる似てる。それにしても近代以前の日本人ってプッツンしやすかったんですね。笑われてキレる感じが、ツッパッているティーンみたい。そうならないように、というのではなく、そうなったらどう落とし前つけるか、の技術が法をつくっていく、社会の安定を作っていく、というお話だと読みました。ただ、ソマリランドは「男一人殺されたらラクダ百頭」というルールだけど、室町時代は「一人を討たば一人をきり、二人を討てば二人誅する」(あくまでルールのひとつだけど…)の違い。ソマリランドは経済的なバランスも含んでいるけど、日本の場合はあくまで名誉のバランスなのだな、と感じました。今、世界中でお互いにツッパッている緊張が多発していますが、例えば戦後最悪な日韓関係は名誉の問題で解決出来るのか、リアルなお金の問題で解決するのか…。アフリカ大陸や近代になる前の社会などの遠い世界の問題じゃなくて、実は今、日本で必要な技術もここにあるのでは、と感じました。
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中世の「喧嘩」に関する処罰のあり方、それに対する人びとの「もっともだ」「やりすぎだ」「足りていない」といった種々の感想を平易に紹介してくれている点でよし。 ただ「喧嘩両成敗」もしくは「喧嘩両成敗的」措置の結果としての構図に執着しすぎ、紛争当事者双方が厳しく処断されることの、そこ...
中世の「喧嘩」に関する処罰のあり方、それに対する人びとの「もっともだ」「やりすぎだ」「足りていない」といった種々の感想を平易に紹介してくれている点でよし。 ただ「喧嘩両成敗」もしくは「喧嘩両成敗的」措置の結果としての構図に執着しすぎ、紛争当事者双方が厳しく処断されることの、そこに至る意味というか、そうする時の権力者の意図が必ずしも正しく顧みられていないのではないかという印象を受けた。 「両成敗」もしくは「両成敗的」措置には、「平衡」「秩序回復」の意味が込められているケースと、私闘というかたちで検断という本来当事者らに行使を許されていない行為を行い、ときの権力者の権利を侵して秩序を乱したことに対する処罰という意味が込められているケースがあるであろうことは、まま容易に想像がつく。 前者後者の「両成敗」はそもそも処罰の次元を異にしている。前者は紛争当事者やそれを見守る世間一般の思いが権力者の口をして語らせているようなものであり、後者は惣無事令・喧嘩停止令に従わない無法を罰する権力の立場が彼自身の口をして語らせているようなものである。 本書にはそれらを「両成敗」を一緒くた(もしくは一報を無視)している印象を受けた。
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めちゃくちゃ日本特有過ぎる喧嘩両成敗。 喧嘩を売った方も買った方も等しく罰せられるところから いや、待てよ。どう考えても前者(もしくは後者)の方が悪どいんじゃないのか? それでそれでも等しく罰を受けることの方が不公平ではないのか? という歴史があったり。 もちろん現代は裁判所があ...
めちゃくちゃ日本特有過ぎる喧嘩両成敗。 喧嘩を売った方も買った方も等しく罰せられるところから いや、待てよ。どう考えても前者(もしくは後者)の方が悪どいんじゃないのか? それでそれでも等しく罰を受けることの方が不公平ではないのか? という歴史があったり。 もちろん現代は裁判所があるし、江戸時代はお白州があったり でももっとその前はどうしてたのか?っていうのを 分かりやすく書いてあった。 やはり室町時代頃のみんながみんな、オラオラしてた感。 第三者から「笑われる」ということ自体、侮辱行為で 笑われた!殺す!!みたいな。 どの地位であれ、みんながキレやすかったということだろう。 にしても。これは面白かった!
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争いごとを好まない日本人は、「喧嘩をすれば、喧嘩に勝とうが負けようが、両者ともに罰せられる」のが必定で、そもそも喧嘩をすることがいけない、とする知恵があると考えるのが普通であろうか。著者清水氏はそのような考え方、法制度がどのようにして生起したのかを主として室町時代のもめ事、争いご...
争いごとを好まない日本人は、「喧嘩をすれば、喧嘩に勝とうが負けようが、両者ともに罰せられる」のが必定で、そもそも喧嘩をすることがいけない、とする知恵があると考えるのが普通であろうか。著者清水氏はそのような考え方、法制度がどのようにして生起したのかを主として室町時代のもめ事、争いごとの顛末を仔細に解説しながら説明してくれる。喧嘩をしたものは両者とも死罪という厳しい裁決がなされるようになったのは著者によれば、どちらかに軍配をあげると片一方の不公平感が収まらないので、苦し紛れに両者を罰することになったらしい。確かに争いの詳細を調べることなく、一方的に死罪に処するというのは荒っぽい処分と言わざるを得ない。本書によるとこの「喧嘩両成敗」は世界的にも珍しい制度だそうで、また、その延長上にある交通事故などにおける過失相殺という判決も非常に珍しい制度であるそうだ。著者は総じてこの荒っぽい制度に批判的であり、色々な歴史上の事件とその処分を顧みると、白黒を明確にしない、というか明確にすると角が立つと考えて喧嘩両成敗するというのは、良い意味でも悪い意味でも実に日本的な考え方であることが分かったと、いうことであろうか。学術文献の引用も多く、日本法制史の書であるが、私のような歴史に疎い人間にも分かりやすく書いてくれており、非常に優れた作品であると思った。
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誤解されやすい古典の言葉。 ・天は人の上に人を作らず ・健全な精神は健全な肉体に宿る ・初心忘るべからず そこに僕の中でもう一つ、「喧嘩両成敗」が加わりました。 確かに「喧嘩したものは理由によらず両方成敗にする」という意味自体は合っているのですが、「成敗」とは「死刑」なのであって、積極的に運用するものではなく、諍いがこじれて解決の目処が立たない時の窮余の策という位置付け。 つまり「お前ら、争いが起こったらちゃんと法廷で解決しようとしろよ。私闘で解決しようとしたら両方死刑にするからな」という「見せ札」な法として生まれた、ということ。私闘、過剰な復讐を防ぐという観点で「目には目を」のハンムラビ法典に通じるものがある。 何でこんな法が必要になったか。室町時代の京都での例。 【例1】 北野天満宮の僧侶が金閣寺を訪れる ↓ 僧侶に連れられてきていた稚児が、金閣寺の小僧が門前で立小便をしているのをみて笑う ↓ 笑われた金閣寺側の僧侶が、負けじと天満宮の僧侶を罵る ↓ 天満宮の僧侶が怒り、金閣寺の僧侶を追い掛け回す ↓ 金閣寺の老僧が騒ぎを抑えようと天満宮の僧侶をなだめる ↓ 天満宮の僧侶の怒りは収まらず、金閣寺の老僧に刀で切りかかる ↓ 金閣寺の老僧は、これは手が付けられないと寺の鐘を乱打する ↓ 大乱闘になり、一説によれば3人死亡 ↓ そのまま天満宮と金閣寺の全面戦争になりかけるが、将軍足利義教の派遣した奉行によってなんとか事が収められる 【例2】 店に元結を取りに来た下女、品物が出来ておらず店主を罵倒 ↓ 店主が逆ギレし、下女を店から叩き出す ↓ 怒った下女、主人の侍に訴える ↓ 侍が店主を手討ちにしようとしたところ、その行動を予測した店主が仲間を引き連れ市中で矢を射かける ↓ 侍、店主たちを返り討ちにするも力尽きる ↓ 店主のバックにいた関口家の集団が出張る ↓ 侍が仕えていた三条家の侍たちも出張る ↓ 洛中で軍勢同士の喧嘩発生 ↓ 吉良家が裁定してどうにか解決 【例3】 ある侍が馬で出かけたとき、道中でちょっとした用事があり下馬 ↓ そこに通りがかった別の侍、下馬している侍に気づき「下馬している侍には自分も下馬して礼を表す」という当時のマナーに従い、こちらも下馬 ↓ 最初に下馬した侍、「俺は別の用事があって下馬しただけで、お前に用はない。なのに下馬しやがって。これじゃあまるで俺が目下のお前に対して先に挨拶したみたいに見えるじゃないか。俺を見下す気か(意訳)」と激怒 ↓ 目下の侍、「ただあなたが下馬しておられたので礼儀に従って下馬したまでです」と弁解 ↓ 目上の侍、弁解を聞かず刀を抜いて目下の侍に切りかかる ↓ 目下の侍も応戦した結果、刺し違えて両者死亡 こんな具合に、当時は極めて些細なことがあっという間に殺し合い、それも集団同士のものまでに発展するほど、現代から見れは異常に喧嘩っ早く、異常に面子に重きを置く時代だったようです。 ネットの表記を借りると、当時を構成する人々は「『シグルイ』の虎眼流門弟と、『北斗の拳』のモヒカン、あとは福本伸行の漫画や『闇金ウシジマくん』あたりに出てくるどうしようもないダメ人間」しかいない世紀末状態だったようで、そりゃあ末法思想が流行って浄土真宗や日蓮宗のような新仏教が起こる訳だと。「トラブルが起こったら裁判しなさい」を定着させるためにいかに当時の為政者が心を砕いたか、という苦労話に見えてきて、実に興味深かった。 ちなみにこの著者、清水克行氏の他の著作には「現代のソマリランドと室町時代って似てるよね」という趣旨らしい「世界の辺境とハードボイルド室町時代」というどっかで聞いたようなタイトルの本もあり、心惹かれるものがある。その路線で今度は「足軽大将殺し」みたいなタイトルでも書いてくれないかな。
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ソマリランドを先に読んでいると「分かる分かるよく分かる」とスイスイ読めてしまう。しかし、恨みを胸の底にひた隠しにしながら表面でにこやかにお付き合いしつつ、長く復讐の機会を待つって、すごいな。
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[迷裁き、いや、名裁き]日本においては一般名詞化されるほど定着しているにもかかわらず、世界において類似の法を見つけることが極めて困難な「喧嘩両成敗」。改めて考えてみれば不思議に満ちたこの法は、どのような社会や考え方を背景として成り立ったものなのか......。異色の歴史読本です。...
[迷裁き、いや、名裁き]日本においては一般名詞化されるほど定着しているにもかかわらず、世界において類似の法を見つけることが極めて困難な「喧嘩両成敗」。改めて考えてみれば不思議に満ちたこの法は、どのような社会や考え方を背景として成り立ったものなのか......。異色の歴史読本です。著者は、NHKの歴史番組『タイムスクープハンター』の時代考証も務めた歴史学者、清水克行。 これは名著。喧嘩両成敗というパンチのあるテーマから、日本人の精神史、中世の社会状況、そして法概念の変化までを視野に入れた意欲作となっています。とにかく読んでいて抜群に面白い一冊でもありますので、タイトルに「おっ」と感じた方はその勢いで購入されることをオススメします。 喧嘩両成敗が成立する上で必須の役割を果たした室町期の社会の描写が本書の中でも白眉かと。笑われたことにブチ切れて人を一刀両断にした挙句、当事者が属する集団の全面抗争にまで至りそうになる話など、とにかく挿まれるエピソードの一つひとつに驚きと「本気かよ......」感が溢れた作品でした。 〜どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などはどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。〜 このテーマを「発見した」清水氏、そして清水氏を「発見した」選書部の山崎氏に拍手☆5つ
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高野秀行さんとの対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」が非常に面白かったので、これも読んでみた。いやあ、面白いなあ。そうなのか!という指摘の連続で、実に興味深かった。対談での著者の言葉通り、内容がギッシリつまっていて、とっても濃い。一般向けにわかりやすく書かれているけれど、...
高野秀行さんとの対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」が非常に面白かったので、これも読んでみた。いやあ、面白いなあ。そうなのか!という指摘の連続で、実に興味深かった。対談での著者の言葉通り、内容がギッシリつまっていて、とっても濃い。一般向けにわかりやすく書かれているけれど、中味を咀嚼するにはゆっくり読む必要がある。当然ながら対談ではかいつまんで面白いところが話題になっているので、あっちを読んでからこっち、というのは正解であった。 対談で、この本が世に出た経緯や、ここに込めた著者の思いが語られていた。しみじみ心に残る話だった。「生涯で一冊一般向けの本が書ければいいな、これで研究活動は店じまいにしてもいいやという気持ちで書いた」のが本書だそうだ。そういう気迫が静かに伝わってくる。 つくづく思ったのは、「日本人の伝統」とか「受け継がれてきた日本人らしさ」などという言葉は、よほど慎重に眉にたっぷり唾をつけて聞かないといけないなあということだ。せいぜい明治以降の傾向であったり、中には戦時中くらいに元があるものを「日本人は昔からこうだった」と考えてしまうことがよくあるように思う。清水先生は丹念に一次資料を読み解いていくことで、かつての日本人の姿を浮かび上がらせる。研究者って素晴らしいなあとあらためて思う。 今の私たちからはおよそ「異文化」としか思えない室町時代のありようを知ることで、今現在の「異文化社会」を理解する手がかりになるという、高野・清水両氏の考え方にはとても説得力がある。と同時に、それでもやはり厳然としてある日本の独自性にも目を開かされる。出てから十年にもなる本を今頃読んで言うのも何ですが、いい本でした。
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