クオリア入門 の商品レビュー
『怪獣の名はなぜガキグゲゴなのか』という本でクオリアについて書かれており、クオリアについてもっと知りたいと思い読了。 頭の中でその都度絵に変換して読んでいたので読むのにそこそこ時間がかかり何度かキャパオーバーもしたがその分満足度は高くお腹いっぱいな内容だった。そもそも「感情の最小...
『怪獣の名はなぜガキグゲゴなのか』という本でクオリアについて書かれており、クオリアについてもっと知りたいと思い読了。 頭の中でその都度絵に変換して読んでいたので読むのにそこそこ時間がかかり何度かキャパオーバーもしたがその分満足度は高くお腹いっぱいな内容だった。そもそも「感情の最小単位」と言われても多くの人は何のことだかわからないだろうし喜怒哀楽以上の脳の動きに興味がない人にとっては最初の数ページで読むのをやめてしまうだろうが「心のしくみを機械などみたいに分解して知りたい」という人や上の本を読んでクオリアそのものに興味があるひとにはオススメしたい一冊。
Posted by
「心」の全ては、脳のニューロンの発火に伴って起きる「脳内現象」に過ぎない。これは、現在の神経生理学の立場からしては常識であるという。そう、デカルトの二元論はとうに捨てられたのだった。では、脳というこの臓器の中でどのようにして「心」が立ち上がってくるのか?これはいまだ解明されていな...
「心」の全ては、脳のニューロンの発火に伴って起きる「脳内現象」に過ぎない。これは、現在の神経生理学の立場からしては常識であるという。そう、デカルトの二元論はとうに捨てられたのだった。では、脳というこの臓器の中でどのようにして「心」が立ち上がってくるのか?これはいまだ解明されていない問題である。著者は、それを「クオリア」と「指向性」という考えで解き明かす土台を作ろうとしている。議論を見るとなかなか面白い。ニューロンの発火の「クラスター」がクオリアを作り出しているという。ここの発火ではなく、その時系列にそして広がりを持った発火の相互関係から作り出されるという。これを「マッハの原理」というらしい。なるほどとは思うが、まだまだ数値的にも計測ができない領域だから、どう発展するのか不明で、それゆえ「ハード・プロブレム」と呼ばれているのだな。
Posted by
ニューロンの活動といった物質的な過程が、意識の中の表象とどのような関係があるかという問題について挑んだ本。 視覚的なアウェアネスの中で、色や音、香り、味、手触りといった鮮明な質感を伴うクオリアの塊(例:りんごの赤い感じ、つやつやした感じ)に、具体的な質感を伴わず抽象的だが、構造・...
ニューロンの活動といった物質的な過程が、意識の中の表象とどのような関係があるかという問題について挑んだ本。 視覚的なアウェアネスの中で、色や音、香り、味、手触りといった鮮明な質感を伴うクオリアの塊(例:りんごの赤い感じ、つやつやした感じ)に、具体的な質感を伴わず抽象的だが、構造・意味を伴う明示的な視覚情報としてのポインタ(例:それはりんごである)が貼り付けられるという考えが興味深かった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2006年(底本1999年)刊行。本書で書かれている内容が実証されたものとは到底言い難いが、人間が脳内において表象するものを解読しようとする意欲あふれる著作。ただ、著者自身、爾後は多作に堕してしまい、著者の書の中で良書(というか読みたくなる本)というのは多くはないが、本書だけは別儀。極めて興味深い内容を有している。主観、私あるいは自己、さらには、心あるいは各種の感情を考察する上で一読の価値は存在する。
Posted by
著者が、脳科学の立場から心の謎を解き明かすための展望を、大胆に語っている本です。 著者は、デイヴィドソンの非法則的一元論の立場に対して、ある程度の共感を寄せています。しかし、そこからさらに踏み込んで、脳科学の立場からクオリアの謎に迫る道を見つけようとしています。 その際に重要...
著者が、脳科学の立場から心の謎を解き明かすための展望を、大胆に語っている本です。 著者は、デイヴィドソンの非法則的一元論の立場に対して、ある程度の共感を寄せています。しかし、そこからさらに踏み込んで、脳科学の立場からクオリアの謎に迫る道を見つけようとしています。 その際に重要な区別とされるのが、「反応選択性のドグマ」と「マッハの原理」との違いです。「反応選択性のドグマ」では、ニューロン群の発火パターンと心の中に生じる表象の対応が成立していると考えます。これに対して「マッハの原理」は、ニューロン群の発火パターンと外界の対応を度外視し、ニューロンのネットワークの相互作用のあり方が、心の中に生じる表象を決定すると考えます。さらに著者は、ニューロンのネットワークにおける相互作用を単に生理的な配置と捉えるのではなく、あくまでニューラル・ネットワークという「システム」の中で捉えようとします。たとえば、シナプスの相互作用に有限の物理的時間がかかっても、この「システム」の中では一瞬に潰れてしまうことになります。またその空間的な配置も、心という一点に潰れることになります。著者はこのことを、相対性原理の「固有時」の概念やペンローズの「ツイスター」の概念を手がかりに説明しています。 さらに著者は、「私」の謎にも迫っていきます。著者は、「私の心がクオリアを見る」というときに生じている志向的作用を、プログラムにおける「ポインタ」のアナロジーによって解き明かそうとしています。同様に、行為における意図は「自由端のポインタ」として解釈されることになります。 個人的に疑問を感じたのは、「私の心がクオリアを見る」という言葉が畳語のように思えてしまうことです。クオリアに志向性を認めることは、クオリアを自然主義的に解き明かす際の常道ではあると思うのですが、著者の考えている「志向性」はクオリアそのものにそなわっている性格ではなく、注意作用のようなものだと思われます。痛みそのものには志向性はなくとも、私たちは自分の感じている痛みに注意を向けたり、そこから注意を逸らしたりすることができるので、そのような意味での「志向性」が存在することは論を俟たないでしょう。しかしそのような志向性に「私」の足場を求めることは、著者自身が戒めている「ホムンクルス」や「超越論的主観性」といった、出所不明の存在者を招き寄せてしまうのではないのかという疑念が、どうしても拭えません。
Posted by
心の中で起こる全ての表象、そこに存在する映像、聞こえてくる音については、脳の中のニューロンの発火によって生ずる随伴現象である。人間の脳も原子の組み合わせで出来ており、自然法則に従う物質の集合体なのだと。 そのニューロンの発火パターン、因果関係についての考察。 科学が進めば、自分が...
心の中で起こる全ての表象、そこに存在する映像、聞こえてくる音については、脳の中のニューロンの発火によって生ずる随伴現象である。人間の脳も原子の組み合わせで出来ており、自然法則に従う物質の集合体なのだと。 そのニューロンの発火パターン、因果関係についての考察。 科学が進めば、自分がどのような行動をこれからするのかかなりの精度で予測が可能になりそうな予感。 専門家ではないワタクシには難解で、後半理解するのが正直困難であり、かなり持て余しながら読んだので★3つ。
Posted by
私にとって、「心の哲学」に関するような話題の本、第一冊目だったといえる。随分前に読んだのだけれど、心身問題について考えるとき、いまもここで得た考え方が役に立つ時があると思う。
Posted by
現状では心の内容を客観的に観察することはできない。しかし私たちは自分の心の中に起こる事象については熟知している。 自然科学が研究の対象とする世界において、そもそも心とは何かという、心という実在の位置付けがはっきりしていない。 心はそれぞれの人にとって、私の心でしかない。つまり心を...
現状では心の内容を客観的に観察することはできない。しかし私たちは自分の心の中に起こる事象については熟知している。 自然科学が研究の対象とする世界において、そもそも心とは何かという、心という実在の位置付けがはっきりしていない。 心はそれぞれの人にとって、私の心でしかない。つまり心を科学の対象にしようとしたら、実は私という視点そのものも何等かの形で科学で記述できるものにしなければならない。
Posted by
茂木先生が、”心脳問題のハードプロブレム”に真っ向から挑んでるっていうのがよく分かりました。 しかも、それが相当はハードプロブレムだということもわかりました。 専門用語に馴染みがあっても、少々納得しがたい部分もあったり。 入門となってますが、一般の人にはちょっと難しいかな...
茂木先生が、”心脳問題のハードプロブレム”に真っ向から挑んでるっていうのがよく分かりました。 しかも、それが相当はハードプロブレムだということもわかりました。 専門用語に馴染みがあっても、少々納得しがたい部分もあったり。 入門となってますが、一般の人にはちょっと難しいかな? 科学的なアプローチをしようとしつつも、最後は現象学的な考え方が必要になったりするとこがおもしろいですね。 個人的には、こういう問題はブラックボックスにしといた方が仕事ははかどる…。 先生の研究には敬意を表しつつ、遠くから研究の進展を楽しみに待ちたいと思います。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
クオリアとは「赤いトマトを見るかんじ」などそのような感覚のことである。 あなたや私はつねにいろいろな景色を見るが、その「見ている」ことや「何かを飲む」ことは神経や脳内伝達物質の作用に他ならないのであるが、私たちは心の話だの心理学テストだのあたかも「心」があるかのような話をする。ただ、「心」なんていうものは体のどこを探してもどこにもないのだ。 その後著者はだまし絵や絵画を用いて「脳の思い込み」を再現しようとする。顔を認識する脳、あるはずもない図形を幻視したり、脳の働きを垣間見ることができる。また感情を司る「ミラーニューロン」も把握することができる。難しいが、平易な表現も多い。
Posted by