学生と読む『三四郎』 の商品レビュー
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文学論は分からないが、三四郎の読み方がわかるかと思って購入。 頭から三分の一ぐらいまで成城大学のこと。 後半も、厳しい授業をして、こんなに学生を育てましたよ、みたいな講義自慢。
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石原先生の成城大学最後の1年における演習授業を通じて、テクスト論が紹介される。 それ以上に、大学教育(特に人文科学)とはどうあるべきか、大学生に求められることを明確に提示する。石原先生の主張には100%同意。きっと少数意見だろうけど。この本が上梓されたのは2006年。2021年の...
石原先生の成城大学最後の1年における演習授業を通じて、テクスト論が紹介される。 それ以上に、大学教育(特に人文科学)とはどうあるべきか、大学生に求められることを明確に提示する。石原先生の主張には100%同意。きっと少数意見だろうけど。この本が上梓されたのは2006年。2021年の今は、より大学教育、それも人文科学系にとって厳しい状況になっている。けれど教育に効率性を持ち込んじゃダメなんだ。
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成城大学2年生が1年かけて『三四郎』を読解したゼミの実況レポート。 大学教育の裏話なんかも描かれています。 紹介されている大学生のレポートはすごい。 よく出来たレポートばかり掲載されているのでしょうが、それにしてもこんなレポートが毎年生み出されていたとは。 学生のレポー...
成城大学2年生が1年かけて『三四郎』を読解したゼミの実況レポート。 大学教育の裏話なんかも描かれています。 紹介されている大学生のレポートはすごい。 よく出来たレポートばかり掲載されているのでしょうが、それにしてもこんなレポートが毎年生み出されていたとは。 学生のレポートとして埋もれてしまうのは惜しいようなレポートもあります。 これらの指摘は学会で共有されているのでしょうか。 毎年提出されたレポートは先行研究としてゼミ生は知っているのでしょうか。 もし読んでいたらダブらないように書かなあかんのでそれもまた大変そう。 毎年『三四郎』を扱っていると、偶然同じようなことを書くというケースはないのでしょうか。 夏目漱石の『三四郎』は掘っても掘っても掘りつくせない井戸のような名作なんですね。 ともかく文学の研究とは簡単ではない。適当に感想書いてるだけではただの感想文なんです。 私も『三四郎』については思い入れがあったので感想文を書いたことありました。 『三四郎』な人生論 http://sanshirou.seesaa.net/category/4385159-1.html しかしそんなのはただの感想文であって、とても「書評」「研究」「批評」とまではいえないレベルです。 よく「書評ブログ」などと銘打って軽々しく「書評」を名乗る傾向がありますが、軽々しく「書評」とは言うべきではないと思います。 私もよく本の感想をブログに書くのですが、自戒したいと思います。 ■[日々の冒険]今後軽々しく“書評”を書けなくなる本 https://diletanto.hateblo.jp/entry/20110820/p1 そして本の感想を書いている以上、レベルを上げていくために努力しないといけないと。 石原先生の著書を始め、文学研究の本も読んでいくべきだと思いました。 ところで本書には「研究」と「批評」の違いについて説明された部分があります。 私は同じものだと思っていたのですが、専門家からしてみれば、区別されているようです。 違いが分からない人は本書を読んで勉強しましょう。 https://diletanto.hateblo.jp/entry/2020/03/28/201810
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成城大学で著者が担当している通年授業「近代国文学演習Ⅰ」における、著者の大学教育の実践を語っている本です。本書全体が、「鬼教授」の大学内での戦いと、その教え子たちの成長物語になっていることに、くすりとさせられました。 本書で紹介されている学生のレポートのレヴェルの高さに、まずは...
成城大学で著者が担当している通年授業「近代国文学演習Ⅰ」における、著者の大学教育の実践を語っている本です。本書全体が、「鬼教授」の大学内での戦いと、その教え子たちの成長物語になっていることに、くすりとさせられました。 本書で紹介されている学生のレポートのレヴェルの高さに、まずは驚かされました。もちろん著者のゼミに入ろうとする学生たちなのですから、読書量は豊富だとは思いますが、著者自身も本書で述べているように、高校までの国語教育における「人格形成」にどっぷり浸かってきた学生たちが、1年間の授業の間にテクスト論やフェミニズム批評のスタイルを身につけていくことには、やはり目を見張らされます。 わがままな大学の講師たちとの格闘や、学生たちを相手にオシャレやギャグにも気を配らなければいけない著者自身の姿も描かれていますが、こちらはあまり関心が持てませんでした。ユーモア・エッセイのようなスタイルで綴られていたら、もう少しおもしろく読めたかもしれません。
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2006年刊行。タイトルに騙されるといけない。本書は文学部において文芸評論を学んでいる学生を素材にした、大学教育論である。というより、大学生(文系に限られようが)の学び方、学生生活のノウハウ本に近いかも。◇今の学生さんたち、実によく勉強しているなぁ、というのが正直な感想。◇ちなみに、本書でも強調されるが、本屋をきちんと巡ること、また、文章を実際に書くということはとても重要なので、ぜひ頑張ってほしいところである。
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ここまで三四郎を多様に読み込めるのか。感情移入して読むだけが小説ではないのだ。また、大学生への指導も興味深い。大学教員としての仕事に触れた部分はいまいち。
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成城大学という明治時代の学園を思い出させる長閑な環境で、「三四郎」を教えていたことを語るこの人はきっと三四郎の世界との共通点を読者にも意識させたいのだろう。現代の大学生の生態を感じさせる前半、そして後半はゼミ生たちの「三四郎」理解の論文の紹介など飽かせない。学生たちが深く「三四郎と美彇子」の関係を理解しているのには驚いた。この作品を読み込むだけで、教育史のみならず日本史全般、心理学など幅広い学びができる格好の作品なのだ。「冷たいようだが、大学のレポートは人間としての君たちを知ろうとは思っていない。知りたいのは、君たちの思考である。「私は~思う」ではなく、「~は~である」という形式の文が求められる。」という学生への指導の言葉は大賛成である。このような鍛え方で、2年と4年のギャップを語っていることは興味深い。20歳前後の2年間の伸びしろの大きさを物語っている。「オンデマンド授業」への著者の厳しい批判は正にその通り。学生との触れ合いを実践している著者だからこそ迫力がある主張だ。
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なんだか学生時代にかえった気分。もう一度、「三四郎」を読み返してみたくなった。それにしても、法学部における女子大生の割合は、一割足らずだった…
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「知的な文章が書けない大学卒業生」では、洒落にならないではないか。 という一文に、大学生としての意識が足りないと自覚した。 もっと知的に物事を考え、文章を書けるよういなりたいと思った。 残りの大学生活をストレイシープにならないように過ごさなくては後悔する。
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成城大学文芸学部の「近代国文学演習I」での大学生のリポート・発表用のレジュメを実践例に、テクスト論を通して夏目漱石著『三四郎』を読み解いていく。 著者は「はじめに」で、「いまどきの大学生」が『三四郎』を一年を通じて読み、成長していく記録と本書を位置づけている。また、「いまどき...
成城大学文芸学部の「近代国文学演習I」での大学生のリポート・発表用のレジュメを実践例に、テクスト論を通して夏目漱石著『三四郎』を読み解いていく。 著者は「はじめに」で、「いまどきの大学生」が『三四郎』を一年を通じて読み、成長していく記録と本書を位置づけている。また、「いまどきの大学教員」の姿を描くことも本書の目的としている。 成長記録としては、下田大助君という好例からもわかるように、成功してる。テクスト論ではこのように『三四郎』が読み、解釈できるのかと勉強になった。ちなみに、私は従来の文学研究の主流である作家研究には不信を抱いていたから、著者が採用する文学理論がテクスト論じゃなければ読もうとは思わなかったはず。 成長記録として、テクスト論の入門書・実践例としては、題名や裏表紙の概要に沿った内容である。しかし、「いまどきの大学教員」の生態や大学の裏事情などは、それらに興味がない私としては不要。 本書で一番興味深かったのは、道徳的教訓を読み取ろうとする読み方、感情移入のみの読み方などの画一的で柔軟性に欠ける読み方への批判である(P67~P71の「ふつうの良い子が不良になれるか」)。これらの読み方と全く異なる三四郎を始め登場人物を突き放した読み方もちゃんと学生のリポートを提示されていて、参考になった。 ☆x3.5
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