翻訳教室 の商品レビュー
図書館本。英文和訳を翻訳へ昇華する作業って、こんなに奥深くて面白いのかと驚きました。学生のときに出会っていたら‥と、後悔。村上春樹さんの特別講義も収録されていて、ちょっと得した気分にもなりました。
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ライブ感があるようでない。 教授の解説自体はかなり多面的・文化的で今まで自分がやってきた翻訳とは一線を画すもので新鮮。ただ自分が訳したものをそこに没頭させるだけの熱は持てなかった。
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この本を読んでいる数日間、楽しくて楽しくてしょうがない、という本でした。このワクワク感。読み終わって寂しい~。 生まれて初めて、「文芸翻訳」というものに挑戦してみたのですが、こんなに楽しいなんて本当にビックリです。 村上春樹さんが「趣味は翻訳」とエッセイに書いているのを初めて読...
この本を読んでいる数日間、楽しくて楽しくてしょうがない、という本でした。このワクワク感。読み終わって寂しい~。 生まれて初めて、「文芸翻訳」というものに挑戦してみたのですが、こんなに楽しいなんて本当にビックリです。 村上春樹さんが「趣味は翻訳」とエッセイに書いているのを初めて読んだ時は、「か、変わった人だなぁ~」と思っていたけど、今なら分かる。翻訳ってほんと楽しい。まったく予想していなかっただけに、まずそこに衝撃を受けました。 毎日、仕事が終わった後、帰る前に会社で課題を1、2個自分で翻訳してプリントアウトして、その後、それを見ながら家とかカフェで本文を読む、という読み方をしていたのですが、毎日毎日、早く翻訳したくて、早く教室でのみんなの訳が読みたくてウズウズしてました。 そして、他にもいろいろビックリ。 まず、翻訳って時間がかかるんだなぁ、ということ。しかも、慣れていないせいか、見積もった所要時間と実際にかかる時間が全然リンクしない! 最初にざーっと課題に目を通したとき、「カーヴァーは20分くらいで出来るかな? ダイベックとかカルヴィーノはちょっと面倒くさそうだから40分くらい?」なーんて見積もっていたのですが・・・ダイベックは人生初翻訳だったのもあって、2時間くらいかかったし、簡単そうだと思ったカーヴァーは私的には3番目くらいに手を焼いて、1時間はかかった。逆に、しっくりくる学術的な用語を探すのに手こずりそうと思った蟻の話はあっという間だったし。 次にビックリしたのは、自分の誤訳の多さ。けっこうやらかしている。けっこうショック。 さらに、さらに、プロのすごさに圧倒。(というか、自分の訳のショボさに衝撃) 特に、カルヴィーノの回は、教師訳例の素晴らしさに驚愕しました。自分で「今回はなかなかよくできたんじゃない?」なんて思っていただけにその差に愕然。 そして、最後に、ヘミングウェイにも驚いた。原文を読んだことなかったのだけれど、こんな文章を書く人だったのか、と。 よく言われている彼のスタイルについて、これまでに読んだ翻訳ではあまりピンと来てなかったのだけど、ああ、こういうことか、これがそうか、と今さらながら分かった。日本語に移し替えると全然うまくいかなかったな。何かが増えて、あの簡潔さが減ってしまう。 カーヴァーの文章も、なんていうか、翻訳していると、ものすごく胸に迫ってくるというか、シンプルさがズキズキ来る。これは、もっとオリジナルで読まないとなぁ、とすごく思った。もちろん翻訳者がよくないということではなく、全部そのまま味わいたい、という欲張りな気持ちからの実感です。 ブローティガンに至っては、海にポートワイン、岩にロックンロール、この単語の流れを見た瞬間に私はあっさりあきらめてしまった。この感じ、訳せるわけないじゃんーって。 これまで、「できればこういうことを気にして翻訳してほしいけど、そんなことまで翻訳者に求めていいんだろうか」なんて私が遠慮がちに思っていたことは全部、柴田さんは「翻訳するうえでは当然考慮すべきこと」という前提で講義しておられて、読み終わった今はもう、この人の翻訳は無条件に信頼するに至った。 本の中で、「藤本和子は唯一、僕が原書を読む必要を感じない訳者で、すごく影響されているんで、」とおっしゃっていましたが、柴田さんご自身こそ、そういう「原書を読む必要を感じさせない訳者」の一人だ、と思う。 しかし、楽しかったなぁ。この本。 趣味で翻訳、って、絶対楽しいと今は思う。 習いに行っちゃおうかな~とすら思う。みんなで、あーでもない、こーでもない、と作者の意図とか、日本語や英語の含意みたいなのを語り合うのが楽し過ぎる。
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こんな講義受けたかったなあ!私の脳みそじゃ東大になんか入れないしそもそも文系じゃないけど。 各々が己のポリシーを持った議論って楽しいよねえ。
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こんな授業があれば絶対とりたいな。さすが東大生と、自信を削がれかけもしたが自分の方がニュアンスをつかめてるなと思うところも二、三カ所あり、モチベーション上げる次第。
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翻訳者、柴田元幸先生が東大で行った翻訳の講義をまとめたもの。 購入したのは3,4年前だったが、忙しくてなかなか読めなかった。 課題の原文が9作あり、これらを訳してから先生の講義の文章を読まないと勉強にならないため、読み進めるのに時間がかかる。 翻訳者として、決して見過ごしてはなら...
翻訳者、柴田元幸先生が東大で行った翻訳の講義をまとめたもの。 購入したのは3,4年前だったが、忙しくてなかなか読めなかった。 課題の原文が9作あり、これらを訳してから先生の講義の文章を読まないと勉強にならないため、読み進めるのに時間がかかる。 翻訳者として、決して見過ごしてはならない英語の表現はもとより、日本語にもかなりこだわって、学生さんと議論しながら良い訳文を作っていく。 原文があって、それを文法通りに意味を取るならだれでもできるが、翻訳はそれを日本語にするだけでなく、作者の気質、これまでの作品、書いたときの状況なども把握しないと、原文を正確に日本語にすることはできない。 例えば、小説はほとんどが「で・ある」ちょうだが、場合によっては「です・ます」調で訳すこともある。 このような選択は、作者のことも作品全体のこともよくわかっていないとできないのである。
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翻訳者としての柴田さんのファンとして手に取った一冊。 雰囲気にあわせた訳をするという印象はありましたが、 原典の表現一つ一つをくみ取ろうとする誠実さに感嘆させられました。 英単語のこまやかなニュアンスの説明、 そして、小説の背景についての解説も流石なのですが、 それ以上に印象的...
翻訳者としての柴田さんのファンとして手に取った一冊。 雰囲気にあわせた訳をするという印象はありましたが、 原典の表現一つ一つをくみ取ろうとする誠実さに感嘆させられました。 英単語のこまやかなニュアンスの説明、 そして、小説の背景についての解説も流石なのですが、 それ以上に印象的だったのが日本語への気配りです。 日本語についても学ばせられることばかりで、 これはもう一種の文章読本と言い切りたい気持ちです。 自分でも英語を頭の中で訳してみては、 学生さんの訳の工夫に唸らされ、 それについての改善点を考えては、 その上をゆく先生の指摘にはっとさせられる。 その連続の中で知的興奮が高まってゆく、とても楽しい読書体験でした。 この後ここで知った小説を読んで楽しめると考えると、 一度で二度も三度もおいしいわけで、実に素晴らしい本ですね。
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ジェイ・ルービン「英語は動詞がものすごく強い。日本語はだいたい副詞プラス動詞を使うと強さが出るけど、そのまま英語にするとせっかくの強さがなくなる。だからなるべく強い動詞を使って、副詞を使わないようにしています」p135
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翻訳教室(柴田元幸) Jay Rubin: とにかく翻訳とは科学的なものじゃない。どうしても主観が入る。それが入らないと、人間のやる作用じゃない。客観的に、何の感情もいれないで訳しても、ある言葉の文法をもう一つ別の言葉の文法に移すだけで、無茶苦茶になってしまう。個人の解釈が入...
翻訳教室(柴田元幸) Jay Rubin: とにかく翻訳とは科学的なものじゃない。どうしても主観が入る。それが入らないと、人間のやる作用じゃない。客観的に、何の感情もいれないで訳しても、ある言葉の文法をもう一つ別の言葉の文法に移すだけで、無茶苦茶になってしまう。個人の解釈が入らないことには、何も伝わってこないと思います。だからこそ翻訳というのは古くなったりもする。いわば「廃り物」。 (P145) 村上春樹: 以来、二十五年間、小説かいては翻訳やって、翻訳やり終えると小説を書いてって言う風に、僕は「チョコレートと塩せんべい」と行ってるんだけど、チョコレートを食べて塩辛いものを食べたいなと思うと塩せんべい食べて、甘いものがいいなと思うとまたチョコレートを食べて。永遠に続くんですよね。雨の露天風呂ともまた々。出ると冷えてお風呂に入るとまた暖まるからまた出て冷える。一種の永久運動ですね。 (P151) 村上春樹: 体力がなければ何もできないですよね。単純な話、いくら能力があったとしても歯が痛かったらものなんて書けない。肩が凝ったり腰が痛かったりしたら机に向かって仕事なんてできない。そういう意味で体力は必須条件なんです。僕はこの二十何年間で二十何回フルマラソンを走っているけれど、みんなは馬鹿だっていうんだよね。でも、僕がずっと思ってきたのは、体力がなければ何もできないということ。というのは、集中力というのは体力なんですよ。若いときは集中力っていくらでもある。五時間机に向かってずっとやれって言ったらできる。体が丈夫だから。でも、それが三十になり四十になり五十になってくると、体力がなければ集中力って続かないです。だから小説家でも若いときにすばらしい作品を書いて、そのあとだんだんパワーが落ちて行く人がいますけど、その原因はほとんどの場合体力ですよね。シューベルトとかモーツァルトのように才能がどんどん溢れ出て来て、溢れ出るだけ溢れ出させて、それがとぎれたらおしまい、死んでしまう人もいるわけだけど、ほとんどの人の場合パワーが落ちていくのはすなわち体力が落ちていくこと。だから僕は若いときに決心して、体力だけは維持しようとずっとやってきた。 (P181) 柴田:読者の声は聞かれますか? 村上:インターネットでウェブサイトをやっていたときは全部読みました。僕がそのときに思ったのは、一つひとつの意見は、あるいはまちがっているかもしれないし、偏見に満ちているかもしれないけど、全部まとまると正しいんだなと。僕が批評家の批評を読まないのはそのせいだと思う。というのは、一人ひとりの読者の意見を千も二千も読んでいるとだいたいわかるんですよね。こういう空気があって、その空気が僕のものを読んでくれているんだということが。悪いものでありいいものであったとしても。で、一つひとつの意見がもし見当違いなもので、僕が反論したくなるようなものだったとしても、それはしょうがないんですね。 僕は、正しい理解というのは誤解の総体だと思っています。誤解がたくさん集まれば、本当に正しい理解がそこに立ち上がるんですよ。だから、正しい理解ばっかりだったとしたら、本当に正しい理解って立ち上がらない。誤解によって立ち上がるんだと、僕は思う。 柴田:そういうと、その批評家一人の声は読者一人の声と同じものだということですか?それともまた別のものですか? 村上:たとえばウェブサイトに批評家がメール送ってきたとしますよね。そうするとそこにメールが2000あったら2000分の1ですよね。よく書けている批評家もしれないけど2000分の1。僕がとらえるのもそういうことです。 (P187-188) 村上:あのね、僕が小説を書くときいちばん役に立った言葉というのはフィッツジェラルドのものなんだけど、彼が娘に宛てた手紙の中で「人と違うことを語りたかったら人と違う言葉を使え」と言っています。だからね、文章を志す人はほかの人とは違う言葉を探さないといけないんですよ。プロになるにはそれはすごく大事なことです。そして僕も、翻訳したり小説を書こうと思ったとき、これまで使われてない言葉を一つか二つ、使おうと思っているわけ。 (P189)
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