詩歌の待ち伏せ(1) の商品レビュー
『詩歌の待ち伏せ1』 北村薫 どこかでふと出会う、詩との出会い。 そういったものを、「いわば心踊る待ち伏せをしていて、否応無しにわたしをとらえた詩句」と表現されています。こちらまでワクワクしてきます。 様々な体験はまるで葉脈のように繋がっていて、それらが丁寧に紐解かれながら、愉...
『詩歌の待ち伏せ1』 北村薫 どこかでふと出会う、詩との出会い。 そういったものを、「いわば心踊る待ち伏せをしていて、否応無しにわたしをとらえた詩句」と表現されています。こちらまでワクワクしてきます。 様々な体験はまるで葉脈のように繋がっていて、それらが丁寧に紐解かれながら、愉しい読書の時間へ誘ってくれます。 本書に収められた二十一の収録の中から、少しだけご紹介させてください。 七、「山国の」望月紫晃 「山国の汽車待つ汽車よ遅桜」 鑑賞文には《急行の通過を待っているか、接続する時間調整の汽車なのだ。》と書かれていたそうですが、北村さんは別の解釈をされています。人はそれぞれ育った環境や経験などでも解釈に違いが出てくるのかもしれませんね。日常の謎解きのようになっていて楽しめます。 八、「悲しみ」石垣りん 「身体髪膚之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」が元になったというエピソードから始まり、北村さんご自身の幼少期の骨折のときの体験話に繋がって、石垣りんさんの「悲しみ」の詩に結ばれていきます。それらに共通する両親への想いが沁みます。(石垣りんさんの詩は、七と八になります。) 他にも、三好達治、石川啄木、西条八十などの著名な中に「そうだ村の〜」も登場したり。笑 読み応えあり、愉しさあり、博識な北村薫さんの詩のアンソロジーになっています。丁寧で優しい語りがとても心地よいです。
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『詩歌の待ち伏せ 1』 北村薫 (文春文庫) 北村さんは大変な読書家で、優れたアンソロジストでもある。 作家だから当然それを人に伝える文章力もあるし、そして何よりやっぱり国語の先生っぽい。 そんな北村先生の国語の授業の、本編ではなく脱線部分、言ってみれば、試験には出ないけれども聞いているとワクワクするようなお話をたっぷりと集めたエッセイである。 文学作品(詩、短歌、俳句から歌舞伎まで幅広い)との出会いを、北村さんは「待ち伏せ」と呼ぶ。 私は三好達治の「甃(いし)のうへ」がすごく好きなのだが、これは高校の国語の教科書で出会った。 “太郎を眠らせ”という始まりで有名な「雪」は、小学校で出会っているはずだが、こちらはあまり印象に残っていない。 ということは、「甃のうへ」にはきっと私は待ち伏せされていたのに違いない。 「あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ をみなごしめやかに語らひあゆみ」 という柔らかな言葉の連なりが目に心地よく、耳にも心地よくて、二十数年の時を経ても未だ忘れられない大好きな詩なのである。 なぜ三好達治のことを書いたかというと、本書にはしょっぱなから三好達治の「測量船」が登場するからである。 詩は全集ではなく、著者の意図によってレイアウトされた最初の形態で読みたい、と北村さんは言う。 三好達治の「測量船」のレイアウトについて、 「まず最初に、《春の岬 旅のをはりの鷗どり 浮きつつ遠くなりにけるかも》が左の一枚にゆったりと収められ、読者を迎えます。次から三ページにわたる「乳母車」が《この道は遠く遠くはてしない道》と閉じられた隣に、《太郎を眠らせ》の「雪」の二行がある。ページをめくると続いて「甃のうへ」の《花びら》が流れています。」 うーんどうだっけ、と思い自分の蔵書を見てみたところ、予想通り後世の編集なので、順番はこの通りになっているものの、ぎっしりと詩句が詰まっていた。 宮沢賢治なんてその代表なのではないかと思うが、詩は余白も作品のうちなのだ。 確かにこれだけぎゅうぎゅう詰めにされれば余韻もへったくれもないなぁ。 雑誌を作るときに、自分の作品だけ通常の4倍の大きな活字を組んだ石川啄木の話が面白い。 (北村さんは原寸大で再現してくれている) 佐佐木幸綱が自作の詩を朗読するときに、一つの言葉を何度か重ねて読む、というところや、セロリを噛む音が「サキサキと」と表現されているというのもいいなと思った。 学生時代の、教室の机に書かれていた塚本邦雄の二首の歌との鮮烈な出会いもすごいな。 そして、石垣りんさんの「悲しみ」という詩の、今はもういない父母にごめんなさいというところに自分を重ねる北村さんの真っすぐな気持ちに感動した。 芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の“蝉”は一匹か少数か多数か、の考察も面白かった。 解釈には諸説あり、現在、“蝉は少数で種類はにいにい蝉”ということで落ち着いているそうだが、北村さんは、定説が何であろうと“やっぱり蝉は一匹でしかも油蝉だー”と言い切っていて、何だか笑える。 中国の漢詩や新派の舞台、三歳の幼児の詩から、果ては「そーだー村の村長さんがー」まで解説しちゃっている博覧強記の北村さんだが、圧巻なのはやっぱり西條八十だ。 「青い山脈」の人、というぐらいしか私は知らなかったが、八十はミステリーにも造詣が深かったそうで、翻訳もしており、推理ものの全集の監修もしていたというのには驚いた。 さまざまな顔を持った才能あふれる人物だったようだ。 詩「蝶」の、“やがて地獄へ下るとき”という書き出しにはゾクリとする。 北村さんが自転車で図書館へ行った日のことが書かれている章がある。 調べものがあったわけではなく、お子さんが図書館で借りたお菓子作りの本を返しに行ったのだとか。 天下の北村薫が子供の借りた本(しかもお菓子!)を自転車で返しに行き、ついでにぶらぶらと書架を眺めて歩くなんて光景、想像しただけでニコニコしてしまいます。 書架には自分のコーナーだって当然あるでしょうに。 そんなほのぼのとした空気は、北村さん自身の作品にも眩しいほどに溢れている。 読むたび、出会えたことに感謝したくなる。 これも、いつまでも大切にそばに置いておきたい大好きな本なのだ。
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<待ち伏せ>という題名。読書好きにとってこういうシーンが多ければ多いほどいい。本を開いて出会った言葉や文章に再会する感動とか、懐かしい題名を思い出し長い疑問が解けることがあるとか。 北村さんの、そんな嬉しい出会い、まるで待ち伏せに逢ったような驚きと感激が満載のエッセイ。 ...
<待ち伏せ>という題名。読書好きにとってこういうシーンが多ければ多いほどいい。本を開いて出会った言葉や文章に再会する感動とか、懐かしい題名を思い出し長い疑問が解けることがあるとか。 北村さんの、そんな嬉しい出会い、まるで待ち伏せに逢ったような驚きと感激が満載のエッセイ。 読書を積み重ねていると、忘れられない言葉や文章に出会う。それに思いがけない所でまた出会う。作者が引用していたり、登場人物のふと浮かんだ想いだったりする。 北村さんが取り上げる様々な詩歌との出会いは時の流れに埋もれていたのを改めて思い出す。ああそうだった、そんなところが好きだったと。 ここではタイトルのように詩や俳句短歌に限っているが、それでも読書量に比べて一冊には収まり切れなかったらしい。い1,2,3とシリーズが出ている。 あげられているものは、人柄を写してほのぼのと暖かい、どこでどんな風に出会ったか。収められている詩や俳句の断片が、作者の歴史と重なり、読んでいると、昇華されていなかった謎解きやほかの読み手が受け取った違った面や新しい意味に目が開く。知識を広げる爽快さも味わうことができる。そして鑑賞の深さや理解が、また違った楽しみを開いてくれる。 面白かった。 200ページに足りない本だが自分を振り返りながら読むと、読むことがどんなに愉快で心にしみるものか、幸せを感じた。 例えば少年少女の詩に,純粋に驚き感動する。 「じ」 松田豊子 京都・竹田小4年 おとうさんは 「じ」だった せんそうに行かれなかった せんそうにいけなかってよかった ばくだんで 家のとんだ人 おとうさんに死にわかれた人 しょういだんでやけ死んだ人 お父さんは 「じ」でよかった 「じ」でよかった 不謹慎ながら吹き出し、捕らえられた。病気にユーモラスなものはないし、生理的に読むのが苦手だが力を持っている。 たまたま「キリンの詩集」でこの「じ」に再会して嬉しかった。 私も生理的な言葉を露骨に書いているのは特に苦手で、途中で本を置いてしまう、文学というものの価値を知るには読まなくてはいけないこともあるとは思うけれど。 サキサキとセロリ嚙みいてあどきなき汝を愛する理由はいらず 佐々木幸綱 セロリはお洒落、野性的という人もいたけれど 北村さんは都会的と読む 胸に抱く青きセロリと新刊書 舘岡幸子 きゅうりをかじってもセロリをかじる日常はまだ現実ではなかった。 堀口大學はある女性をセロリの芯コにたとえた「日本のウグイス 堀口大學聞き書き」 母白い。 サキサキという音で、砂漠の歌の「サキちゃんも思い出す」 「月の砂漠をさばさばと」とはいい話だった。 『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』 その蝉はなにぜみか。北村さんはいっぴきのアブラゼミのように思っていた。 ニイニイ蝉や法師蝉では軽すぎるし日暮は寂しいし、アブラゼミが一匹ジーと鳴いて染みこんでいくと。 ところが大人になって諸説あることを知った。現在ではニイニイ蝉であろうということに落ち着いている「芭蕉全句 加藤楸邨」 また多数説もあるらしい。 多数という説があるのには驚きました。感じ方は色々あるものです。それは面白かった。しかし『作られた時と場所を考えるといた蝉はこれこれだ』などという迫り方には、正しくとも、あまり有り難味を感じませんでした、事実と真実は違います。 私はとても共感を覚えます。読書の楽しみ方もそれぞれでいいと思っているのです。 少し引用しましたが 三好達治「測量船」から「乳母車」の詩について、心惹かれる詩人は詩集がいい。 西城八十について、歌謡、流行歌を多く残しているが、生き方の他方の面から考察もしている。 黄泉路かへし母よふらここおしたまえ 星野慶子 「ふらここ」ブランコのこと 響きも優しい。「鞦韆」という固い響きもいいが、やはり日本語のふんわりとした言葉や淡い悲しみが感じられる歌に親しみを覚える。 目次は21ある、数え歌しりとり歌もあって懐かしい。 2も読んでみよう.
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これまで小説ばかりで詩には縁がない読書生活を送ってきたので、たまには違う世界を覗いてみようと思って読んでみた。 なるほど、北村氏レベルの知識と教養があればこんな楽しみ方ができるのか。 自分にはまだまだ程遠い境地ですが、こんな大人に憧れます。
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様々な詩人を紹介してくれる。 歌舞伎から英文学までカバー範囲が広い。 昔の文化人は本当に博識で海外の文学にも親しんでいたのだと感心する。 芥川龍之介がビアスのファンであるとか、レイチャールズがevery time we say goodbye, I die a little とい...
様々な詩人を紹介してくれる。 歌舞伎から英文学までカバー範囲が広い。 昔の文化人は本当に博識で海外の文学にも親しんでいたのだと感心する。 芥川龍之介がビアスのファンであるとか、レイチャールズがevery time we say goodbye, I die a little という言葉をフランス人の言葉から引用したとか。 豊かな感性で、読者を言葉の世界へ連れ出してくれる。
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小・中・高と12年間、国語の授業は大嫌いでした。でも、もし、この12年間のどこかで、北村薫に国語を教わることができていたなら、国語の授業の印象は180°違ったものになっていたことでしょう。 この本は、言ってみれば詩歌の評論集ということになるんでしょうけれど、平易な言葉で、著者の...
小・中・高と12年間、国語の授業は大嫌いでした。でも、もし、この12年間のどこかで、北村薫に国語を教わることができていたなら、国語の授業の印象は180°違ったものになっていたことでしょう。 この本は、言ってみれば詩歌の評論集ということになるんでしょうけれど、平易な言葉で、著者の日常の体験をきっかけとして語り始められるエピソードは、自分のこれまでの評論や文学史やらに対する思いをひっくり返すものでした。 取り上げられている詩歌も正統派だけではなく、「じ」や「そうだ村の」など、「詩歌」と言われても思い浮かばないようなものに至るまで幅広く、普段詩歌にあまり興味がない自分でも、楽しく読む…と言うより、北村先生の講義を聴くことができました。 ついでに言うと、興味深いのは、解説にわざわざ自分が大嫌いな「文芸評論」的なものを持ってきているところです。 「<詩歌の待ち伏せ>は、メタフィジックな広がりにおいても語られ得る含蓄のある書名といえないだろうか」という書き出しで始まるこの駄文は、この書き出しで一気に読む気をなくさせてくれます。我慢して読んでみても、内容は解説ではなく、出来の悪い二次創作に過ぎません。 この解説を、敢えてこの本の解説に持ってきたのは、この本の良さを引き立たせるために、わざとやったのではないかと思われてなりません。
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「悲しみ」(石垣りん)の一節だけでも星5つの価値があると感じました。 この他にも親と子に関する詩歌が挙げられており、そちらも魅力的でした。
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たいへんな読書家として知られる著者が、詩歌との思いがけない出会いを綴ったエッセイ評論集。 これは素直に、読んでよかった!と思った本だった。 この本が素敵な「待ち伏せ」をしてくれていたおかげで、読んでいる間、詩歌をしみじみと味わう楽しさを実感することができた。 北村さんが詩歌の...
たいへんな読書家として知られる著者が、詩歌との思いがけない出会いを綴ったエッセイ評論集。 これは素直に、読んでよかった!と思った本だった。 この本が素敵な「待ち伏せ」をしてくれていたおかげで、読んでいる間、詩歌をしみじみと味わう楽しさを実感することができた。 北村さんが詩歌の「待ち伏せ」に出会ったその折々の経験を振り返りながら、詩歌を読む楽しみを丁寧に解説してくれるエッセイ集。 取り上げられるのは詩や短歌、俳句といったものから、小学生の詩や童謡まで、幅広く古今東西を縦横無尽。それらが北村氏による巧妙にして柔らかい語り口で、まるで折り紙がみるみる折鶴になるように展開されていく。 いやはや、その手腕の華麗にして愛情に満ちていること! 素晴らしい博覧強記振りもさることながら、著者の詩歌への愛情が隅々までいきわたっていて、改めて北村さんの読書へ、ひいては読むことへの愛を感じることができた。 続巻も絶対読みます。続きが文庫であと2冊も楽しめるなんて、うれしい限り。 北村先生、どうもありがとう!!
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今まで、解釈が難しそうだと敬遠していた詩に、一気に興味が湧きました。 「他人を傷つけようとしている顔」や「れ」についての話が興味深かったです。 北村さんの他の著書にも同じ感覚が描かれていましたが、こういう優しさ・ナイーブさは大事だと思います。
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まろやかで優しい文章。 ああ、確かに、こういう、待ち伏せ、出会いってあるなあと。 こういう本に中学生くらいで出会っていたら、 きっと国語の時間が楽しかったことでしょう。 中でも、「可愛い」という言葉についての考察がとても面白かったです。 ―夕闇迫る頃、はりねずみの子...
まろやかで優しい文章。 ああ、確かに、こういう、待ち伏せ、出会いってあるなあと。 こういう本に中学生くらいで出会っていたら、 きっと国語の時間が楽しかったことでしょう。 中でも、「可愛い」という言葉についての考察がとても面白かったです。 ―夕闇迫る頃、はりねずみの子が迷子になり、サボテンの温室に迷い込む。 あちらに触れ、こちらに触れ、「ママなの?、ママなの?」― (引用の、引用ですが、本文30頁より) さて、これを読んで「可愛い」と思う(よね?)のはいかなる感覚なのか?
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