東京の戦争 の商品レビュー
大東亜戦争時に青年期…
大東亜戦争時に青年期を過ごした著者による、戦時下と敗戦後の東京の記録。感情を抑え淡々とかかれているけれど、当時の情景が生き生きと描かれた一級の戦争記録だと思う。印象に残っているのは、憲兵よりも隣近所の目の方が恐ろしかったと言う記述や、戦時下でのぼせ上がった隣組組長の横柄さや、食料...
大東亜戦争時に青年期を過ごした著者による、戦時下と敗戦後の東京の記録。感情を抑え淡々とかかれているけれど、当時の情景が生き生きと描かれた一級の戦争記録だと思う。印象に残っているのは、憲兵よりも隣近所の目の方が恐ろしかったと言う記述や、戦時下でのぼせ上がった隣組組長の横柄さや、食料が極度に欠乏していく中での商人の態度の極端な変化を述べたところなどである。
文庫OFF
終戦後、浮浪児、戦争孤児は靴磨きをしていた。タバコの吸い殻を集めて、またタバコにして販売していたなど興味深い。
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戦中戦後に、吉村昭氏が目にしたり聞いたりした、生死にかかわるものすごいことどもが、驚くほどたんたんと書かれている。氏の他の作品と同様、読み終わるのが惜しい。深く味わいたくて、何度も同じところを読んでいる。ゆっくりと、よく噛みしめたい。
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14歳から19歳にかけて戦争と終戦直後の混乱を体験した著者の個人的な回想記。 作風は違うが色川武大の「怪しい来客簿」を思い出す。戦争をバックにして、虚無主義的な感覚が通底しているのだろう。 空襲の焼け跡から電柱を掘り出して木材にする逞しさは、たぶん今の日本人だとないよなあ。電...
14歳から19歳にかけて戦争と終戦直後の混乱を体験した著者の個人的な回想記。 作風は違うが色川武大の「怪しい来客簿」を思い出す。戦争をバックにして、虚無主義的な感覚が通底しているのだろう。 空襲の焼け跡から電柱を掘り出して木材にする逞しさは、たぶん今の日本人だとないよなあ。電柱が木じゃないことを別にしても。
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終戦を兵士としてではなく、かといって幼子としてでもなく、出征間際の年齢で迎えた著者の回想録である。 「生れついてから××事変と称する戦争がほとんど切れ間なくつづき、遂には「大東亜戦争」と称されたあの戦争に一個の人間として直接接したことが珍しい経験なのかも知れぬ、と思うように...
終戦を兵士としてではなく、かといって幼子としてでもなく、出征間際の年齢で迎えた著者の回想録である。 「生れついてから××事変と称する戦争がほとんど切れ間なくつづき、遂には「大東亜戦争」と称されたあの戦争に一個の人間として直接接したことが珍しい経験なのかも知れぬ、と思うようになったのである」 とあるように、著者の一歳年上の男子は徴兵され東京を離れていたし、小学生であれば学童疎開でやはり東京を離れていた。東京で生まれ育ち、東京で終戦を迎え、戦後も東京で暮らした庶民の生活というのはなかなか貴重であろうという話である。 本書には戦中戦後の明日をも知れぬ日々の中にたくましく生きる姿がある。もちろん東京大空襲もある。 「私は、防空壕の中で耳を塞ぎ突っ伏していたが、爆弾が頭上に迫ってくる音は、貨物列車が機関車を先頭に落下してくるのに似たすさまじい大轟音で、体が瞬時に飛散するような激しい恐怖におそわれた。爆弾が落ちると、体は大きくはずんだ」 そこらじゅうに死体が転がる異様さの中にあっても、少年が懸命に日々を生きる様子がそこにある。 苦しいことも多く、両親を始め兄弟も次々と他界する。だがどうしてか、悲壮感はさほどない。60年後の回想録だからだろうか、かなりニュートラルな描写である。その淡々とした筆致が、むしろ生々しく戦時中の暮らしを浮かび上がらせる。 大混雑する列車や、地方への買出しなどの風景は他の本でもよく見られるものであるが、それでも人それぞれに見てきた光景は異なるわけで、また一つ「新しい戦争」を垣間見ることができた。
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戦時戦後の人々の様子がわかる。作者は比較的裕福な家庭だったからか本人の性格もあるのか戦争というものにをどこか達観しているように思う。それは彼の兄弟、親が次々に亡くなっていき死が生きるなかで自然なこととして受け入れていたからなのだろうか。
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作家・吉村昭氏が自らの戦時下での生活を淡々と語る。 吉村少年が見た町の様子、人々の様子。 通った寄席のこと、兄弟たちのことなど。 淡々と日々は過ぎていく。 だけど、その隣に空襲や兄の戦死がある。
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昭和20年、日本の都市は、アメリカの無差別爆撃にさらされた。一説にはその爆撃で、50万人の日本人が死亡した。大東亜戦争の日本の死者300万人の、1/6である。 マリアナを失陥した時点で、戦争の帰趨は決まった。 日本は、すべてを投げうって、その時点で降伏すべきであった。そうすれば...
昭和20年、日本の都市は、アメリカの無差別爆撃にさらされた。一説にはその爆撃で、50万人の日本人が死亡した。大東亜戦争の日本の死者300万人の、1/6である。 マリアナを失陥した時点で、戦争の帰趨は決まった。 日本は、すべてを投げうって、その時点で降伏すべきであった。そうすれば、多くの日本人が死なぬに済んだ。 戦争を始めるのは難しいが、終わらせるのはさらに難しい。教訓とすべきである。
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昭和2年生まれの著者が下町で見た戦争下の生活。時刻どおり運行する市電、しかし悲惨な車両。山梨に八王子から乗り継いでぶどうを一人で採りに行った思い出。空襲下で感じていたこと。病気の母を亡くし、電報を駅長に見せて切符を無理矢理売ってもらった話。墓場で見た出征による別れを惜しむ若い男女...
昭和2年生まれの著者が下町で見た戦争下の生活。時刻どおり運行する市電、しかし悲惨な車両。山梨に八王子から乗り継いでぶどうを一人で採りに行った思い出。空襲下で感じていたこと。病気の母を亡くし、電報を駅長に見せて切符を無理矢理売ってもらった話。墓場で見た出征による別れを惜しむ若い男女の逢い引き(セックス)シーン。食糧事情・・・。戦争をこのように日常生活の観点から書いた本は新鮮でしたが、段々このようなことを書くことが出来る作家は減っていくと思うと、貴重な体験談です。
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吉村昭が自らの戦争体験について語っている本。この時代に生まれた作家にとって、根底にあるのはこうした戦争の体験であることを再認識できる。
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