日本の伝統 の商品レビュー
今も残っている古典はそれ自体で無条件で価値あるものだ。 だが、真に価値あるものにするには、その過去のものである古典を今に活かすことで、初めて古典は古典であることの存在理由を全うでき、今の時代に生きる人間は今を生きることができる。
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『今日の芸術』から読んだほうが理解度が上がると思いますが、別に読んでなくても問題ないです。こちらもベースになるのが芸術の”いやったらしさ”のすばらしさについて。タロウの言う”いやったらしさ”とは?!?!きっと巨匠本人ですら適切な日本語がない故にややこしことになっているんでしょうが...
『今日の芸術』から読んだほうが理解度が上がると思いますが、別に読んでなくても問題ないです。こちらもベースになるのが芸術の”いやったらしさ”のすばらしさについて。タロウの言う”いやったらしさ”とは?!?!きっと巨匠本人ですら適切な日本語がない故にややこしことになっているんでしょうが、ともかく適切な言語や適切なデフェニションがないのでどうしようもないですが、個人的に無理クリに理解するところは、魂が激震するような憧憬嫉妬、ともかく「いやったらしい」んですねぇ、どうしようもないです。本書では縄文土器、光琳、中世の庭について語られます。同じものについて考察するのにもこのアングルの違いってほんまにおもろいですねぇ。賛同するところもあり、全く異なる意見もあり、タロウ氏が今、このころの感性を維持したまま2017年現在のデジタル芸術を見たらどう語るか、という想像をしてしまう。
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岡本太郎のえらいところは日本の美術の伝統について決して「知的」に語らないこと。自分の感性を信じ、素直に感じたことを原点として美の考察を展開する。裸の王様のお話の「子供」の役目を十分に果たしている。常識とされてきたものの見方を外れているからと言っても、全然奇をてらったりひねこびたり...
岡本太郎のえらいところは日本の美術の伝統について決して「知的」に語らないこと。自分の感性を信じ、素直に感じたことを原点として美の考察を展開する。裸の王様のお話の「子供」の役目を十分に果たしている。常識とされてきたものの見方を外れているからと言っても、全然奇をてらったりひねこびたりしない。 ことさらに日本の伝統美を賞賛しようとする昨今、岡本太郎的なあくまで自分の目でものを見ようとする姿勢が今一度思い起こされなければならないのだろう。
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※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] 「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」―伝統とは創造であり、生きるための原動力であると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。 『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。 著者撮影写真、多数収録。 [ 目次 ] 1 伝統とは創造である(人力車夫と評論家たち;法隆寺は焼けてけっこう ほか) 2 縄文土器―民族の生命力(いやったらしい美しさ;狩猟期の生活様式が生む美学 ほか) 3 光琳―非情の伝統(真空に咲きほこる芸術;新興町人の精神と貴族性の対決 ほか) 4 中世の庭―矛盾の技術(なぜ庭園を取りあげるか;銀沙灘の謎 ほか) 5 伝統論の新しい展開―無限の過去と局限された現在 [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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芸術は生きものであると感じました。 伝統があるから価値があるわけではない。 受け継がれたものから何かを感じとった人が、これを未来に伝えたいと思い、そのような感動と思い入れが綿々と続いたものが伝統となるのだと感じました。
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伝統は創るもの。過去を守ることではない。かならず、今と呼応する必要がある。現在継承されている伝統の多くは、封建的な社会で育ったようです。それを「日本的だ」と言って賛美するのは、やっぱり違います。今の生活とかけ離れてしまっては、伝統とはいえない。
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ひさしく鑑定家と批評家が混同されています。今日の批評家のほとんどが、批評でなく鑑定をしている。それが芸術的に関わりがあるようにおのれ自身で錯覚し、一般に押し付けているのです。 縄文土器は弥生土器と比べると、非常にはげしく、するどい特徴を持つ。 縄文土器は、実用的な目的だけで作...
ひさしく鑑定家と批評家が混同されています。今日の批評家のほとんどが、批評でなく鑑定をしている。それが芸術的に関わりがあるようにおのれ自身で錯覚し、一般に押し付けているのです。 縄文土器は弥生土器と比べると、非常にはげしく、するどい特徴を持つ。 縄文土器は、実用的な目的だけで作られている訳ではない。たんに美学的意識によって作り上げられたのではない事も確かです。それは強烈に宗教的、呪術的意味を帯びており、しかがって言い換えれば四次元を指し示しているのです。 庭は原始社会では、集団税対の広場でした。庭では活動的な共同生活がいとなまれていたのです。 日本の庭園では、空間の扱い方は絵画的遠近法であって、彫刻的な空間性を持ってはいない 月は真如の月という通り、悟りの象徴です。水に映る月は人間の煩悩と考えられます。あるかと思って手ですくおうとしても実際にはないから出来ない。
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銀沙灘と向月台の造形的美しさとその頂上に浮かぶ満月の輝きが目に浮かぶよう。 芸術をフィルターを通さず素人の目で素直に見ること、自分の目で見ることがいかに大事かというメッセージが響いた。 これが、日本の伝統を知る第一歩なのだと。 日本庭園、縄文土器へのインスピレーションが高ま...
銀沙灘と向月台の造形的美しさとその頂上に浮かぶ満月の輝きが目に浮かぶよう。 芸術をフィルターを通さず素人の目で素直に見ること、自分の目で見ることがいかに大事かというメッセージが響いた。 これが、日本の伝統を知る第一歩なのだと。 日本庭園、縄文土器へのインスピレーションが高まり、触れて見たくなる気持ちが深まりました。
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縄文土器、尾形光琳、日本庭園についての岡本太郎の本。特に庭園の「借景式」の考え方は勉強になった。既存の伝統に固執せず、新たな伝統を創り出そうとした岡本太郎の気概が窺える良書。
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庭園の外の景色を生かした庭園つくり=借景とか 久しぶりにおもしろいネタだった。 広島の宮島は瀬戸内海自体が池の庭の役割を担うなど。。 時間があったらまた岡本太郎の著作はよもー。
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