加藤周一の思想・序説 の商品レビュー
加藤周一の「雑種文化論」、文学論、「星菫派論争」についての考察が展開されており、ひとりの著者によって執筆された加藤の評論としてはじめての本です。なお巻末には、かなり詳細な加藤の年譜が収められています。 加藤がヨーロッパ留学後に刊行した、いわゆる「雑種文化論」と呼ばれることになる...
加藤周一の「雑種文化論」、文学論、「星菫派論争」についての考察が展開されており、ひとりの著者によって執筆された加藤の評論としてはじめての本です。なお巻末には、かなり詳細な加藤の年譜が収められています。 加藤がヨーロッパ留学後に刊行した、いわゆる「雑種文化論」と呼ばれることになる論考に対して、海老坂武は「日本回帰」と批判しました。しかし著者は、加藤がめざしていたのは、西洋も日本もともに相対化することで、それぞれの個別文化のなかにある普遍的なものを把握しようとすることだったと主張します。そのうえで、森有正のヨーロッパ「経験」と比較し、カルテジアンの森が「我思う」に内在的な立場から「経験」そのものを思索へとかたちづくっていく道を進んだのに対して、加藤がサルトルの哲学における「我」の超越作用にもとづいて「経験」に対する「思惟」をおこない、個別文化のうちに普遍性への超越を見いだそうとしたという見かたを提出しています。 加藤の文学論をとりあげた章では、文学と自然科学のちがいについて考察をおこなったマルクス主義者の戸坂潤の論考などと比較しながら、文学と自然科学の世界把握のしかたのちがいをめぐる加藤の考えを検討し、価値観をもふくんだトータルな世界観の構築のために文学がなにを寄与することができるのかという問題について考察をおこなっています。さらに、加藤と荒正人、本多秋五のあいだで交わされた「星菫派論争」を検討した章では、「自己」と「現実」の関係に焦点があてられ、「主体性論争」をふくむ政治と文学の問題の文脈のなかで、「主体」の意味の問いなおしがなされています。この論点は、本書の「雑種文化論」にかんする議論にも通じており、加藤の発想の中核にせまろうとする試みといえるように思います。 とりあげられている論点はいずれも興味深いものでしたが、著者の考察がいま一歩核心にせまりきれておらず、「あとがき」でいわれる「加藤周一という現象」がいったいなんだったのかという問いにこたえるまでにはいたっていないという印象もあります。
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