感じない男 の商品レビュー
身体嫌悪からくる自己否定、はあまり自分には当てはまらない。むしろそこには自分に陶酔するナルシシズムがある。身体嫌悪があったとしても、それを産み直し(少女趣味、女体執着)という自己否定でははなく、自分の体がゴツゴツすること、毛が生えること、オスっぽさ、に耽美なるものを見出そうとする...
身体嫌悪からくる自己否定、はあまり自分には当てはまらない。むしろそこには自分に陶酔するナルシシズムがある。身体嫌悪があったとしても、それを産み直し(少女趣味、女体執着)という自己否定でははなく、自分の体がゴツゴツすること、毛が生えること、オスっぽさ、に耽美なるものを見出そうとすることで自分を肯定する経路がある気がする。筋トレなんかはそういうものの一種なんだろうか。男である自分の体に自分がうっとりできるか、どうかに分岐がある。それに仮に自分の体に自分でうっとりするようなナルシシズムがあったとしても、少女の内側に自分を託そうとする気持ちが無いわけではないとも思う。少女になりたかったけどなれなかった自分の分岐を持ったまま、男である自分の体にうっとりするような自己愛の形がある。 精通を機に身体嫌悪が芽生えて、自己否定的になった男性の死への欲動が、今の男の体を抜け出して女の体に乗り移りたい、乗り移って自分を愛したい、そしてその内側で新しい自分自身を産み直したい、という欲望に倒錯していく、という実感の話は面白かったけど、その自閉的な世界の出口が他者への優しさと、それによる思いやりのある関係性っていうのはちょっと雑な気がした。 今ある現実の出口のなさを、自閉的な世界の物語(女に生まれ変わりたい、カルト宗教、男らしさの性規範、陰謀論)に入ることでやり過ごすけど、そこからも脱出するためにもその物語を打ち破る別軸の物語が必要なのかなと思う。つまりその人のあり得たかもしれない可能性、分岐に立ち返ること、別の分岐を擬似的に経験するためのプレイ。演技、遊び、儀礼が必要なんじゃないかと思った。バーチャルではなく身体を伴ったプレイ。 多分その自己否定、自傷によって死にきらない程度に擬似的に死を享楽するプレイは言い換えれば依存症で、その一つにルサンチマン(現実で撃つ手がない相手を想像上で復讐しようとする思考が反復すること)も含まれる。それはその人にとって出口のない現実に対する一時的な出口になる。それが本当に自分や他者を滅してしまうレベルに行かないように制するバランスや倫理はどう身につければいいんだろう。
Posted by
エビデンスなんてどこ吹く風といった感じで、著者は主観から己の欲望や実体験をこれでもかと書きつけていく(むろん意図的・戦略的に)。したがって社会学あるいはフェミニズムの観点からすればツッコミどころ満載なのだけれど、ぼくはむしろその蛮勇にいかなる意味におけるイヤミもなく感服する。ここ...
エビデンスなんてどこ吹く風といった感じで、著者は主観から己の欲望や実体験をこれでもかと書きつけていく(むろん意図的・戦略的に)。したがって社会学あるいはフェミニズムの観点からすればツッコミどころ満載なのだけれど、ぼくはむしろその蛮勇にいかなる意味におけるイヤミもなく感服する。ここまで自分を晒し、かつ極論・暴論に陥ることなくこの世界にふたたび軟着陸する己の成熟・成長の過程を示すのはそのまま著者の人間力の表れでもあると思うのだ。古い本だが、本田透『電波男』『萌える男』とは別のかたちで男の苦しみを描いた実録文学
Posted by
森岡氏自身の体験談なども含みながら制服の少女に性的に惹かれてしまうことや、ロリコンについて、射精についてなど色々と書かれていた。読みながら「女性からしてみれば恐ろしい思考だな」と思うものもチラホラあった。
Posted by
「猥談を大真面目に語る本」というと筆者に怒られるだろうか。中盤以降まではそんな印象があった。男の性欲を「生物的な観点で通りいっぺんで語りたくない」と言うだけあって、自らの嗜好や行動を赤裸々に語ることで深く分析している。 筆者によれば、男はみな女性と比べて不感症であり、「男とは汚...
「猥談を大真面目に語る本」というと筆者に怒られるだろうか。中盤以降まではそんな印象があった。男の性欲を「生物的な観点で通りいっぺんで語りたくない」と言うだけあって、自らの嗜好や行動を赤裸々に語ることで深く分析している。 筆者によれば、男はみな女性と比べて不感症であり、「男とは汚いものだ」という思いが根底にあり、それが性欲やフェチズムに繋がっているとしている。時折「そうかなあ?」と思う箇所はあるが、男の性欲のメカニズムを皆頭ではわかっていても認めたくない、レベルまで掘り下げて語っており、分かりやすく納得してしまう所も多い。 後半は筆者のトラウマ的な話が生々しく語られここで更に引く読者もいるかも。しかし全体を通して、共感はせずとも理解はできる所が多い一冊だった。
Posted by
どうして無意識に複雑な自分の欲求を満たそうとする心の動きができるのか不思議だった。(後半の自分を産みなおしたいというらへん)それを意識的に掘り下げるというのも本当にそんなことができるのかと疑問に思った。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2005年刊行。著者は大阪府立大学総合科学部教授。◆中身の良し悪しは兎も角、露悪的に内省的に、自らの性やリビドーを開陳できたものだと感心する。本書を善悪で論じるのは恐らく無意味だろうし(大半の人間はこういうリビドーを抱えつつも、リビドーを顕わにする行動をすることなく生活している)、著者は外形的行動に表れにくい心性の問題を議論しているのだろうから。ゆえに、女性が読めばどう感じるか(多分、嫌悪感なんだろうけど)は興味がある。男性は、ある点は自分とは違うけども、ここは納得できるという読み方をするだろうから。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
普通は恥ずかしくて言えないようなことを、バンバン書いているのがこの本です。森岡先生は哲学者でありジェンダー問題などにも精通しているので、その辺の知識にも触れることができます。難しい話をわかりやすい(男ならわかってしまうであろう)話で書いているので、読みやすいです。
Posted by
うーん、何だか思っていたより早く読み終わった。本の厚みのわりにいい紙を使っているのか、ページ数が少なかったというのもあるけれど、この本の言わんとするところを直視できずに読み飛ばしてしまった感もあり。本書では、イクとき感じているということになっているけど、実は「男は感じていないんじ...
うーん、何だか思っていたより早く読み終わった。本の厚みのわりにいい紙を使っているのか、ページ数が少なかったというのもあるけれど、この本の言わんとするところを直視できずに読み飛ばしてしまった感もあり。本書では、イクとき感じているということになっているけど、実は「男は感じていないんじゃないか」と問題提起。そして、感じていることになっているのに、実際には感じていないから、ミニスカートやロリコン写真集みたいなものに執着する(つまり、感じるものを探している?)といったことを果敢にも自分を俎上に論じていく。正直なところ、著者のミニスカートやロリコン(らしきもの)が自分にある感じはしない(んだけど、そこは前述したように自己分析を避けている可能性があるし、より自分は倒錯してるかもしれないのでとりあえずおいておく)。 全体通すとよく理解できた気がしないんだけど、部分的にはいろいろとうなずけるところがあった。アイドル写真集などを例にロリコンが半ば公認されているかのような日本を憂うところとか。 常々、男ってほんと、「男とはこういうもんだ」っていうのに縛られて、生身の男は誰もそうじゃない「男らしさ」を追い求めて男ぶってると思っているので。自分たちだけでそういうことしてるならいいけど、「男とはこうあるもんだ」から転じて「女とはこうあるべきだ」って話にしちゃうから、なお始末悪い。ちょっと簡単にまとめすぎだけど、本書がいうとおり、自分と向き合って自分らしく生きる勇気をもつべき。
Posted by
「オレ、射精って実はあんまし気持ちよくないんだけど」から始まって、「ミニスカの下は白の綿パンでなきゃ」とか、「ロリペドの気持ちもわからんじゃないつーかオレもすこしそう思う」とか……そういう著者の「セクシュアリティ」をさらして語ることを通じて、オトコのとらわれとか、生き方不自由にし...
「オレ、射精って実はあんまし気持ちよくないんだけど」から始まって、「ミニスカの下は白の綿パンでなきゃ」とか、「ロリペドの気持ちもわからんじゃないつーかオレもすこしそう思う」とか……そういう著者の「セクシュアリティ」をさらして語ることを通じて、オトコのとらわれとか、生き方不自由にしてる思いこみとか、そういうのに気づこうぜ、なんか変えてこーぜという本である。 で、自分についての考察を深め深めていったその結果、「ロリコンとは、少女の体に入れ替わってそのうえで精液ぶっかけてもっぺん母親ヌキで自分自身を産み直したい、ということである」というところまで著者は到達してるんですが……ロリコンの皆様、どうでしょうか? 「壁に卵」の例になるか、オトコのセクシュアリティについてなにか有益な話ができるようになるか……。留保はいっぱいつきながら、ここから考える本、として評価できるし、他に類のない一冊であることは間違いない。
Posted by
著者が、みずからの意識に問いかけて、男の性に関する意識の歪みを明らかにしようとした本です。 ミニスカートや制服、ロリコンといった現象を、外から考察するのではなく、そうしたものに惹かれる著者の意識のあり方に分け入っていくという形で議論が進められています。そして、男が自分自身の身体...
著者が、みずからの意識に問いかけて、男の性に関する意識の歪みを明らかにしようとした本です。 ミニスカートや制服、ロリコンといった現象を、外から考察するのではなく、そうしたものに惹かれる著者の意識のあり方に分け入っていくという形で議論が進められています。そして、男が自分自身の身体の汚らわしさから逃れるために、「もう一人の自分」としての少女の身体へと性欲を向けるのではないかという仮説に至っています。 こうした自分の意識の中の醜さを直視したところで、解決策がどこにもないのであれば、やりきれないではないか、という思いもあります。
Posted by