日本の偽書 の商品レビュー
トンデモ本(内容が胡散臭い)でなく、偽書が誰が、何の目的でつくられ、その後どのような影響を与えたかを調査し、私見を述べたものである。 偽書が与える影響が、決して少なくないため、著者は、偽書は見過ごせないとの意志は伝わってきます。『上記』、『竹内文献』などの章は、良く調べられておら...
トンデモ本(内容が胡散臭い)でなく、偽書が誰が、何の目的でつくられ、その後どのような影響を与えたかを調査し、私見を述べたものである。 偽書が与える影響が、決して少なくないため、著者は、偽書は見過ごせないとの意志は伝わってきます。『上記』、『竹内文献』などの章は、良く調べられておられますね。 読んでみて気になった所ですが、新書にしては、細部が半端に詳細で、他の書物の引用から自分の見解へと移行する所が違和感があります。文章に関してですが、慣用句や難読な漢字(文献引用でなく自分の意見の部分で)が多々あるので、辞書の出番ひっきりなしです。 論文でなく、案内書でないので読み心地は、良くない気がします。 書き方と構成を変えれば、もっと読み応えのあるものになるのでは。
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近・現代の日本で話題になった偽書、特に「記紀以前の書」(古史古伝)を解説した書。『上記』と『竹内文献』、『東日流外三郡誌』と『秀真伝』、『先代旧事本紀』と『先代旧事本紀大成経』をそれぞれ取り上げ、その来歴と背後にあるものを考察する。 著者が本文中で強調しているように、本書は偽書をただ胡散臭い贋作として糾弾することではなく、偽書の出現や流行の背景にあるものの考察を目的としている。偽書を単にペテンとして退けるのではなく、その存在を一つの歴史的事実として扱い生成過程や意義に注目する著者の姿勢は大いに賛同できる。著者が論を進めるにあたっては幾つか説明不足に感じた部分があったものの、本書は「近代偽撰国史」としての古史古伝を知ることが出来る一冊と言えるだろう。 なお、本書は各偽書の来歴についても一通り解説しているが、戦前に国家主義者と『上記』・『竹内文献』が接近していたという事実は大いに興味深かった。
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偽書やそれを信じる人々を糾弾するのではなく、何故それらが発生し信じられる様になったのかを考察した本。 文章は良いとは言えない。
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何かとオカルティックな方向で興味を持たれがちな偽書。しかしこの本にはそのような味付けはなく、冷静かつ客観的に偽書がどのように作られていったかの考察がなされています。偽書の『内容』ではなく、『存在』に興味を持たれたら、最初に読んでおくのにちょうどよい本かと思えます。
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二〇〇〇年、旧石器遺跡での「捏造」発覚は世間を大きく揺るがせる事件となった。しかし、それはあくまで考古学での話であり、歴史学において史料が「捏造」されることはそう珍しい話ではない。本書は、そうした「捏造」された史料―いわゆる“偽書”を考察した一冊である。 著者の偽書に対する姿勢...
二〇〇〇年、旧石器遺跡での「捏造」発覚は世間を大きく揺るがせる事件となった。しかし、それはあくまで考古学での話であり、歴史学において史料が「捏造」されることはそう珍しい話ではない。本書は、そうした「捏造」された史料―いわゆる“偽書”を考察した一冊である。 著者の偽書に対する姿勢は「真に必要なことは、偽書というものが存在するのも一つの歴史的事実であることをうけとめ、それがどういう意味を持つのかを醒めた目で分析し、学問の上に位置づけることにある」(p.23)という一文に集約される。言い換えれば、本書は①なぜ偽書は作られたのか ②なぜ偽書が評価されたのか・・・この二点を中心に考察がなされている。 例えば、偽書として有名な『竹内文献』があれほど多くの支持者を獲得し得たのは、当時の日本の国際的地位が不安定であったという時代情勢があり、日本を文明の中心と位置付ける『竹内文献』は、そうした不安を解消したいというニーズにうまく応えるものであったと指摘する。このように、一見すると非合理的である偽書が作られ、評価される背景には合理的な理由を見出すことができるのであり、それを考察することは歴史学の問いとして十分に成立するものであると言えよう。その着眼点は大いに勉強になるものであった。
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タイトルに惹かれて読んだが、読んでて非常に疲れる本。 日本の偽書といわれる「竹内文書」「上記」「先代旧字本記」などをとりあげている。 偽書として伝わる本を解説し、存在した歴史的背景を考察する本と思いきや、各書の偽書と扱われる証拠をあげつらう本。 新書でするべきかな? 新書は一...
タイトルに惹かれて読んだが、読んでて非常に疲れる本。 日本の偽書といわれる「竹内文書」「上記」「先代旧字本記」などをとりあげている。 偽書として伝わる本を解説し、存在した歴史的背景を考察する本と思いきや、各書の偽書と扱われる証拠をあげつらう本。 新書でするべきかな? 新書は一般の人たちが、現在研究されていることに対して興味を持つ一歩として手にとる本なのではないかと思います。 この本でやっていることは、専門書でやればいいことだし、もしどうしてもやりたいなら、もっと分かりやすく解説しろ! 扱っている題材に比べて、面白なさ過ぎる。 文芸春秋の編集者も、マーケット考えたほうがいいと思う。 誰が読むの?ってのが読後の率直な感想。 それと気に入らないのが、作者の視野狭窄的な東北についての文章。 「怪しげな伝承が残る土壌がある」とか、「著名な文化人の憧憬が東北の怪しい伝承を蘇らせた」とかね。 正史で扱う云々ならまだしも、文化的に残った伝承文化こそ大切にしなきゃならないのでは? そういうものを捨て去ると、つまらない世の中になると思わないのかね、この作者は。 こういう考えの持ち主が、何で本を書こうとすのか不思議に思います。 まず世の中から切り捨てられるべきは、この本であることは間違いない!
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[ 内容 ] “記紀以前の書”といった荒唐無稽な偽書のたぐいには、意外にも正史には見られぬような精彩のある歴史像が描かれている。 超国家主義者と深くかかわる『上記』『竹内文献』、東北幻想が生んだ『東日流外三郡誌』『秀真伝』など、本書では世間を騒がせた「太古文献」と呼ばれる偽書を取り上げ、ただあげつらうのではなく、どのようなメカニズムで人々の興奮を掻き立てて来たのかを検証し、人はなぜ偽書に魅せられるのか、その謎を詳細にさぐる。 [ 目次 ] 1 人はなぜ偽書せ信じるのか(歴史の偽書だけが生き残った;偽書には正史にない魅力が ほか) 2 超国家主義者と二大偽書―『上記』と『竹内文献』(超国家主義者と『上記』;内務卿大久保利通に上呈 ほか) 3 東北幻想が生んだ偽書―『東日流外三郡誌』と『秀真伝』(東北の風土には怪しげな伝説の土壌があるのか;盛岡市のマルコ=ポーロの像 ほか) 4 「記紀」の前史を名のる偽書―『先代旧事本紀』と『先代旧事本紀大成経』(本邦初の史書は『先代旧事本紀』?;『古事記』をしのぐ影響力 ほか) 5 偽書の何が人をひきつけるのか(人をひきつける不思議なもの;二つのキーワード ほか) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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かつて、『古事記』『日本書紀』以前の書とされる偽書が、近世・近代にいくつも登場し世間を騒がせました。現在でも偽書と思わず信じている人がいます。 なぜ偽書は作られたのか。なぜ人々はそれを信じ、魅了されてしまったのか。本書は、たんに偽書を糾弾するのではなく、その生成や存在の歴史的社...
かつて、『古事記』『日本書紀』以前の書とされる偽書が、近世・近代にいくつも登場し世間を騒がせました。現在でも偽書と思わず信じている人がいます。 なぜ偽書は作られたのか。なぜ人々はそれを信じ、魅了されてしまったのか。本書は、たんに偽書を糾弾するのではなく、その生成や存在の歴史的社会的意味にも迫っています。 取り上げられている偽書は以下のとおり。 『上記』(うえつふみ) 『竹内文献』 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし) 『秀真伝』(ほつまつたえ) 『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ) 『先代旧事本紀大成経』 かわいらしい寝言をわめく某隣国を笑う前に、我々は、安っぽいロマンや国家主義・民族主義を排した、真に科学的な視点で歴史と対峙する必要があります。この本はその一助になりえるでしょう。 残念なのが、著者が学術研究者ではなくノンフィクションライターであるせいか、言い回しや論理展開に違和感を覚える部分がいくつかありました。ただ、偽書とその研究の現状を知るには良い本ではないかと思います。
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