甲子園への遺言 の商品レビュー
2011年の本、38冊目。 「できる人で終わる人、伸ばす人に変わる人」で、 コーチングの心構えを知るなら、これ! と紹介されていたので、読んでみた。 野球界、という特殊環境ではあるものの、 いろいろ通じるものがあるな~と思ったので、以下に何点か。 「高畠さんはよくコーチは迷...
2011年の本、38冊目。 「できる人で終わる人、伸ばす人に変わる人」で、 コーチングの心構えを知るなら、これ! と紹介されていたので、読んでみた。 野球界、という特殊環境ではあるものの、 いろいろ通じるものがあるな~と思ったので、以下に何点か。 「高畠さんはよくコーチは迷いとの闘いだ、勇気がいるぞ、といっていましたが、今まさにそのことを感じます。 (中略) この選手にはこれが正しい、でも、もしかしたら…と思うこともある。 しかし、50%以降の成功の確率を信じられるならやった方がいいと思う。」 (高沢コーチ) だからこその、「覚悟に勝る決断なし」なんだよなぁ。 「高さんには、自分自身が向上したい、進歩したい、という思いがありました。選手とともに歩む、選手と一緒に向上する、という姿勢がいつも感じられたので、これだけ選手たちに慕われたのだと思います」 (小久保選手) 「~~はするな、といわれれば、どうしてもそこに意識がいき、そして結果的にいわれた通りの失敗をしてしまう。それが人間の心理なんです」 (高畠さん) 「プロの選手には、私の話を居眠りして聞く人間なんていませんでしたが、生徒は違います。 (中略)でも、だからこそおもしろいし、かわいい。」 この境地がすばらしいと思う。 こういう教育者を、もっともっと増やしていきたいものだ。
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NHKドラマ「フルスイング」の方に興味を持ち、その原作ということで読んだ。高畠氏の「選手を褒めて伸ばす」「選手の個性を尊重する」というコーチング手法は、落合博満のそれと似ていると思った。本著自体は、取材により得た情報と、著者が創作した内容が混在していて、高畠氏に対する「評価」をに...
NHKドラマ「フルスイング」の方に興味を持ち、その原作ということで読んだ。高畠氏の「選手を褒めて伸ばす」「選手の個性を尊重する」というコーチング手法は、落合博満のそれと似ていると思った。本著自体は、取材により得た情報と、著者が創作した内容が混在していて、高畠氏に対する「評価」をに対するアプローチがあまり客観的でないように思われた。
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とてもすごい人だという印象を受けた。還暦を迎える年齢でありながら、教師になろうと勉強し、それを実現させることは、並々ならぬ努力が必要であったことと思う。しかしその後に甲子園出場の夢を実現できなかったことは、さぞ無念であったろう。野球のことは良く知らないので、コーチとしての技術指導...
とてもすごい人だという印象を受けた。還暦を迎える年齢でありながら、教師になろうと勉強し、それを実現させることは、並々ならぬ努力が必要であったことと思う。しかしその後に甲子園出場の夢を実現できなかったことは、さぞ無念であったろう。野球のことは良く知らないので、コーチとしての技術指導がどれほどすごいのかは分からない。だが、アイデア⇒実行というスタイルは素晴らしい。運動選手は動体視力が優れていると聞く。それでもベンチやバックネットから観察して投球の球種が本当に分かるものだろうか? 本書の読みはじめから、なぜか胸がつまり、感情が高ぶることしばし。何に対してそんなに心が動いたのか分からない。目が曇ったこと多数。
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野村監督がヤクルト就任時に入閣させた高畠導宏さんのノンフィクション。「覚悟に勝る決断なし」「才能とは逃げ出さない事だ」肝に銘じたいです。今年の日本シリーズは西村監督と落合監督という高畠さんの教え子対決ということで楽しみです。
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トップクラスの選手としてプロ野球界にデビューしながらも、怪我で短い選手生活を終え、その後約30年に渡ってプロ野球の打撃コーチに。打撃コーチとして類稀なる実績と信頼を得て文字通り野球を極めた男が50代半ばを迎えて高校教師に。高校教師として夢見た高校野球部の指導を実現することなく病に...
トップクラスの選手としてプロ野球界にデビューしながらも、怪我で短い選手生活を終え、その後約30年に渡ってプロ野球の打撃コーチに。打撃コーチとして類稀なる実績と信頼を得て文字通り野球を極めた男が50代半ばを迎えて高校教師に。高校教師として夢見た高校野球部の指導を実現することなく病に倒れた男・高畠導宏氏の生涯を描いたノンフィクション。「自分を誇らず、選手の陰に控え、そして自分の打撃理論をけっして選手たちに押しつけることがない」にも関わらず、30人以上のタイトルホルダーを育てあげ、何よりも選手から絶大な信頼を得た伝説のコーチ。わずか2年の教師生活で生徒の心に深く入り、生徒にかけがえのない財産を残した新米教師。いずれも人の心をつかみ信頼を築くことが重要であること、コーチング技術が問われることでは共通している。では、その真髄とは・本質とはなんなのか?本書ではその答えを高畠氏の人生を追うことで明らかにしています。それにしても・・・高畠導宏氏・・・凄い人です。通勤途中の電車の中で読みながらその偉大さに涙が止まりませんでした。やはり何事も道を究めると、最後はそれを次世代につなげたい、そう思うものなのですね。
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本書は、岡山出身の野球選手であり、数々の打者を育て、タイトルホルダーも何人も育成した伝説のバッティングコーチである、高畠導宏氏の物語です。本年度の野球の話題の一つに、野村監督率いる楽天イーグルスの躍進がありました。南海、ヤクルトなどで采配を振るい、ID野球を築き上げた野村監督です...
本書は、岡山出身の野球選手であり、数々の打者を育て、タイトルホルダーも何人も育成した伝説のバッティングコーチである、高畠導宏氏の物語です。本年度の野球の話題の一つに、野村監督率いる楽天イーグルスの躍進がありました。南海、ヤクルトなどで采配を振るい、ID野球を築き上げた野村監督ですが、野村監督が南海でプレイングマネージャー(監督兼選手)をしていたときに、野村監督からコーチとしての素質を見出され、南海の若き打撃のブレインとして野村監督の片腕となった高畠氏。その後ロッテに移籍し、高沢、西村という通好みのバッターを育て、落合にも打撃のアドバイスをしたりと、高畠氏の理論と実践は着実に成果を上げていました。 そんな高畠氏が最後に選んだのがなんと高校教師。そして高校野球の監督になり、選手を育て、目指すは甲子園。遠征が多く、体力を使う打撃コーチという職に在りながら、合間合間に通信講座で高校教師の免許を取得。そしてはれて高校教師になり、九州の高校へ赴任し、いよいよ高畠氏の次なる夢が始まります。しかしその夢は、高校給仕を指導する直前に、癌という病気によって絶たれてしまい、その後急速に進行する癌によって、わずか60歳という若さで亡くなってしまいます。 私は野球の理論や技術について全くの素人です。しかし、野球というドラマを通して智慧や勇気、感動を得てきました。プロ野球といいますと、松井やイチロー、昔で言えば王・長島というスタープレイヤーがすぐに思い浮かびます。そういった一部のスタープレイヤーだけが目に入りますが、実際には多くの人が野球を支え、スタープレイヤーを支えています。他のナインだけではなく、球場スタッフ、球団関係者などその裾野の広さを考えますと、野球というスポーツは、日本においてはとても大きな産業であり、そこには多くのドラマが存在する要素が一杯あります。 高畠氏は、将来を託された有望な野球選手として南海ホークスに入団します。しかし練習中の怪我によって思うように結果を出すことができなくなります。高畠氏本人も講演の中で自ら言っていたようですが、怪我によってなかなか芽が出ないところを、野村監督に代打専門要員として使ってもらえるようになり、“野村再生工場の一号選手”としてしばらく活躍したそうです。しかし怪我の調子がいよいよ悪化して引退。そしてすぐに野村南海の打撃コーチへ就任。 高畠氏は、高校野球のとき、大学野球のとき、そしてその先の社会人野球、プロ野球といった世界においても、自分では抵抗できない何か大きな人生の力によって紆余曲折をよぎなくされてきたように思います。しかし、どんなときでも自分の人生を切り拓いていくという気力は誰よりも負けなかったようです。この気力のたくましさが、読むものに勇気を与えてくれます。 最終的に、高畠氏が選んだ道が、甲子園への夢。多くの名選手を育てた伝説のバッティングコーチが、最後に自分の生きがいとして見出したのが高校生への教育。最も多感で、自分の夢を抱く高校生に対して、本当に大切なものを教えたいという熱意と、そして甲子園という最高の舞台を目指すことで見えてくる大きな気力の育成。 生きるということ、道を歩くということ。最終的には自分の心にある気力をどれだけ強く持てたかが、人生の充実度につながると、高畠氏は教えてくれたのかなと思います。 高畠氏が長年のバッティングコーチの中で気づいた伸びる選手の共通項は以下の七項目だそうです。 (1) 素直であること。 (2) 好奇心旺盛であること。 (3) 忍耐力があり、あきらめないこと。 (4) 準備を怠らないこと。 (5) 几帳面であること。 (6) 気配りができること。 (7) 夢を持ち、目標を高く設定することができること。 世間の尺度で言う成功するという意味ではなく、自分の中での“豊かな人生”という意味で、この7つの項目は、どれも大切なものになると思います。私自身、治療者として一段一段さらに技術を増していかなくてはいけませんし、治療院の経営という面では、患者様に愛される空間作りに努めていかないといけません。そのときの尺度として、今の自分がどこまでやれているのか?ということを振り返るためにも、この7つは肝に銘じておこうと思います。
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NHKドラマ「フルスイング」の原作を読んでみる。小説ではないノンフィクションにここまでひきこまれるとは思わなかった。華やかな面ばかりに目がいってしまう世界で、こんなすごい人がいたとは・・・感動した。「氣力」
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ソフトバンクの小久保やメジャーリーガー田口を育てたバッティングコーチ、 高畠導宏(たかばたけみちひろ)さんの生涯を描いたノンフィクション。 プロで天才バッティングコーチとして活躍しながら 通信制で勉強し教員免許を取得。 まだ、プロチームからコーチの要請があるにもかかわらず、 58...
ソフトバンクの小久保やメジャーリーガー田口を育てたバッティングコーチ、 高畠導宏(たかばたけみちひろ)さんの生涯を描いたノンフィクション。 プロで天才バッティングコーチとして活躍しながら 通信制で勉強し教員免許を取得。 まだ、プロチームからコーチの要請があるにもかかわらず、 58歳で福岡・筑紫台高校の教師になり、 高校野球の監督になることを目指す。 プロで活躍したため2年の”待ち”期間があるのだけど、 あと半年というところで、膵臓ガンで死んでしまう。 それが4年前のこと。 少し前に、NHKが彼の半生を『フルスイング』というタイトルでドラマ化し、高視聴率だったらしい。 私が高畠さんの存在を知り興味を持ったのは、フジテレビの甲子園を盛り上げる番組だった。 駆け足で紹介されたので、あまりにも短かったけど、 生前、教壇に立つ高畠さんの写真を見ただけで、 嘘のない、熱い人だというのがすぐわかった。 野球人としても教育者としても、すばらしい人だと思った。 「どういう人だったか」と聞かれた奥さんが 「大好きでした。今でも大好きです」と答えていた。 質問に答えてないように思えるけれど、 その言葉が、高畠さんがどういう人だったかを一番表わしていた。 とても努力家で、バッターとしても才能があったのに、 けがで選手生命が短命に終わった。 その無念が、コーチとして「選手のことを考えて接する」という 彼のポリシーに繋がっている。 本書では、プロ野球の壮絶な諜報戦の時代のこと、 プロで生き残る厳しさなど一般にはわからない裏側や 詳しい指導方法まで描かれていて、それはそれで興味深いけれど、 そこがちょっと長過ぎてぐったりしてしまった。 描写が優れているわけではないので読むのに疲れたところもあったけど、 ただただ、高畠さんの生き方を知りたくて先を急いで読んだ。 彼の熱くて、温かい人柄に引きつけられたから。 「気力」の大切さ。 そして、「才能とは、最後まであきらめないこと」。 プロスポーツでも人生でも素直さが必要だと、高畠さんは話している。 ○筑紫台高校に貼られていた言葉 1.素直である 2.好奇心旺盛である 3.忍耐力があり、あきらめない 4.準備を怠らない 5.几帳面である 6.気配りができる 7.夢を持ち、目標を高く持つことができる これらが一流の選手に通じることだそう。 彼が色紙に好んで書いた言葉 「覚悟に勝る決断なし」 耳が痛い言葉です。 小久保選手が寄稿した最後の解説。 「私も遠い将来、高校野球の監督になりたい。」 その一文に涙がこぼれた。 生き方に、有名と無名の差はないだろう。 (読みづらさのため、★を減らしています。)
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伸びる人の共通点1素直であること2好奇心旺盛であること3忍耐力があり、あきらめないこと4準備をおこたならにこと5几帳面であること6気配りができること7夢をもち、目標を高く設定することができること 覚悟に勝る決断無し 平凡の繰り返しが非凡になる
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『甲子園への遺言』は、平成16年7月1日、多くの野球人、生徒たちに惜しまれつつ世を去った、不世出の打撃コーチ・高畠導宏氏の生涯を描いたノンフィクション作品です。 高畠氏は古くは南海の藤原、ロッテの落合、高沢、西村、そして最近ではイチローや田口、小久保など、数多くの名選手を育てたプ...
『甲子園への遺言』は、平成16年7月1日、多くの野球人、生徒たちに惜しまれつつ世を去った、不世出の打撃コーチ・高畠導宏氏の生涯を描いたノンフィクション作品です。 高畠氏は古くは南海の藤原、ロッテの落合、高沢、西村、そして最近ではイチローや田口、小久保など、数多くの名選手を育てたプロ野球界伝説の打撃コーチです。多くのプロ野球選手たちが彼に教えを乞い、30年にわたって第一線の選手たちの技術面と精神面の支えになりつづけました。 ところが、その高畠氏は五十代半ばにして一念発起をします。通信教育で教職の勉強をはじめ、プロ野球球団のあまたの誘いを蹴って高校教師の道を選んだのです。そして、平成15年春、福岡県の私立筑紫台高校に新人教師として着任します。社会科教諭として教鞭をふるう一方、野球部を甲子園に連れて行きたいと考えたのでした。諦めや疲労感に支配される五十代に、なかなかできることではありません。ところが、長年の無理がたたったのでしょう。高畠氏の体はそのとき重大な病気に冒されはじめて……。 こんなに凄い高校教師がいた!──高畠氏はなぜ転身を決意し、そして、そうまでして高校生たちに何を伝えようとしたのでしょうか。
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