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ゲーデル、エッシャー、バッハ の商品レビュー

4.3

17件のお客様レビュー

  1. 5つ

    5

  2. 4つ

    5

  3. 3つ

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2024/01/07

途中で少し斜め飛ばしに読んだら分からなくなって、最後まであまり分からないままで進んでしまったところもあるため、いつか再読できる日があるのかはわからないものの、まだ評価できる立場にない。エッシャーとバッハの話から推測するゲーデルの話という感じで、やはり不完全性定理がいまいちわかって...

途中で少し斜め飛ばしに読んだら分からなくなって、最後まであまり分からないままで進んでしまったところもあるため、いつか再読できる日があるのかはわからないものの、まだ評価できる立場にない。エッシャーとバッハの話から推測するゲーデルの話という感じで、やはり不完全性定理がいまいちわかっていない。。 ただ文章自体は平易で、挿入されるアキレスと亀、時々蟹たちの逸話が本当に面白く、また後続の章の素晴らしいイントロダクションになっているという体は本当に好きだったし、こんなユーモアある文を書けるなんて(そして翻訳できるなんて)と感動しながら、最後まで目は通しました。目を通したという表現が残念ながら一番正しい‥

Posted byブクログ

2022/05/05

世界でベストセラーとなりピューリツァー賞も取った本、発刊後年数が経って、浅い意味でのAIの実用化が重要性を増してる時代においても全く色褪せることのない内容。 自分とは何か、意識とは何か、誰もが考える壮大な疑問について、天才的な著者の抽象的なイメージ「strange loop」がう...

世界でベストセラーとなりピューリツァー賞も取った本、発刊後年数が経って、浅い意味でのAIの実用化が重要性を増してる時代においても全く色褪せることのない内容。 自分とは何か、意識とは何か、誰もが考える壮大な疑問について、天才的な著者の抽象的なイメージ「strange loop」がうまく表現されている。 自己言及や無限階層の不思議さが音楽や絵画、生化学など様々なテーマに共通に現れることを対話篇と織り交ぜながら表現したやり方は他に類を見ず、本書を最も魅力付けている要素であると想像。 意識を生み出している脳も突き詰めていけばニューロンやタンパク質や炭素、素粒子にまで遡ることができるが、それぞれに階層が深く重なり合っており、パターンが自己認識を特徴づけるようなイメージをざっくり読み取った。 長大な書物だが短期間で書き上げられたそうで、一般向け科学書だが求められる教養や理解力は高い。 ホフスタッター博士の考えでは完全な人工知能の創造は原理的に可能であるとのスタンスの模様。

Posted byブクログ

2019/03/18

読み物としては「わたしは不思議の環」より面白いのだが、 衒学的で何を伝えたいのか肝心の点が今一つ分かりにくい のも「わたし─」以上。P.703に載っているエッシャーの 「プリント・ギャラリー」という絵のように、ど真ん中の 部分が描くに描けず空白になっているような印象を受けた。 こ...

読み物としては「わたしは不思議の環」より面白いのだが、 衒学的で何を伝えたいのか肝心の点が今一つ分かりにくい のも「わたし─」以上。P.703に載っているエッシャーの 「プリント・ギャラリー」という絵のように、ど真ん中の 部分が描くに描けず空白になっているような印象を受けた。 このホフスタッターの説を受けて、意識や心について研究 発表した学者はいないのかな(苦笑)。「読んでおくべき本」 ではあると思われる。

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2019/01/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

数学ネタの「フィネガンズ・ウェイク」。 だから、訳者に柳瀬尚紀がいるw 数学用語も駄洒落で二重表記する、 壮大な数学ギャグの世界だが、 真面目な演習問題が延々と続くページは、 文系にはキツイかもしれない。 章と章の間にゼノンのアキレスと亀との漫才が挟まっているので、 漫才部分は、ルイス・キャロルの小説のように楽に読めるが、 真剣に考えて、練習問題を解きながら読むと 時間かかって仕方がないので、 斜め読みで軽く理解出来るところだけを飛ばし読みして構わないと思う。 ゲーデルの不完全性定理を 音楽プレイヤーに例えるというナイスな説明もあるが、 私が一番感動したのは、超自然数の話である。 ユークリッド幾何学以外に、 存在しない時空の幾何学、運動量幾何学、位相幾何学などがあるが、 我々の自然ではない別次元の自然に、 超自然数というのを仮定出来るのだ。 我々の自然数で表記すると、 (3、-5、7)などのように3つのインデックスの組み合わせ表記するしかない 超自然数が存在するのだ。 自然数に対するクォークみたいな数字、 それが超自然数である。 そんなもんが何の役に立つかと言うと、 無限の極限の極少や極大を計算する時に役立つらしい。 一番小さい超自然数も、我々の自然の中にあるとするのなら、 アレフ0の彼方に位置づけられるらしいw 超自然数がある世界にはもちろん、 超無理数、超虚数もアレフ1にあるらしい。 アレフ2の超越数は、超超越数と表記される事になるので、 語呂が悪いので存在しないかもしれないw あと、アラン・チューリングの天才性は、 ゲーデルにほとんど匹敵することがうかがわれて、 チューリングファンは必読の書。 チューリングもほとんど不完全性定理に到達してたと思われ。 ホフスタッターは自意識ある人工知能が作れるという立場だが、 公式には絶対存在出来ないと諦観してるのが面白い。 心の再現に機械が成功したとしても、 「再現出来た心は人間の心の重要な本質ではない」 と因縁付けて、機械の心を認めない勢力が必ず跋扈すると予測してます。 ホフスタッター自身は機械が心を持った時点で、 機械と呼んではダメポと言ってます。 心の考察で、認知科学の色々な話題も語られるが、 パターン認識の話題は無くてもよかったと思う。 鳥でもピカソの絵とモネの絵は見分けられるのだから、 人間知性の本質は画像解析能力ではないと思う。 やはり文字、言語能力が本質だと思う。 情報を読み取る能力というより、 人工的な情報があると認識する能力 が鍵だと思う。 鳥はピカソとモネが区別出来ても、 絵という概念は持ってないということです。

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2018/11/18

ゲーデル、エッシャー、バッハ 読了 二段組700ページはかったるい 逝きし世の面影と並行して読んでたけど、どちらも分厚かった、、、 エッシャーのこの絵、自己言及型のループをするんだけども、真ん中に誤魔化すように本人のサインが入ってる それを、自己言及できるシステムの不完全性を描...

ゲーデル、エッシャー、バッハ 読了 二段組700ページはかったるい 逝きし世の面影と並行して読んでたけど、どちらも分厚かった、、、 エッシャーのこの絵、自己言及型のループをするんだけども、真ん中に誤魔化すように本人のサインが入ってる それを、自己言及できるシステムの不完全性を描いたもの、ゲーデルの定理の美術的表現、と捉えるところは驚いた。素晴らしい。 本著と同じくらい有名な、20周年記念版の著者による新たなまえがきにある「この本は本当は何を書いた本なのか」というのも自己言及してて面白い。 でも、ちゃんと真面目に読んでいけば、この本が生命や知性が、何もないところからどううまれるか、という本であることはわかる 個人的には、自由意志の存在を疑ってないところとかにいくつか限界を感じたけども、なにせ1979年だかの本としては人口知能や脳科学にもとづく意識への理解が古く感じるのはやむをえない また、それこそミンスキーから指摘されてたこととして、本当に人口知能が人間に近づいたときには、人間と同じくらい混乱したものになるだろう、というのもその通りと思う 本著での言い方になおすと、人間に限りなく近づいた人工知能には、計算のために電卓が必要になるだろう、という予想。電卓を別機能としてのっけることになるだろう、というのはとても良い直観を感じる。 知的刺激に満ちてて、俺でもなんとか読めるレベルでしたよ

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2018/04/08

1979年春 刊行 Godel,Escher,Bach: An Eternal Golden Braid

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2018/01/01

まだぜんぜん途中。 かなり衒学的な感じがある。ゲーデルの不完全性定理についてはもうちょっとコンパクトな解説を読んだほうがいいかも。

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2017/08/16

ちょろちょろ読み進めていたものの、100ページちょいで挫折。 実際に読んでて面白いし、通読すればさらに面白いんだろうという予感もあるのだが、いかんせん長いし難しいしそもそもゴールがわからない。 まあ、いまはまだ読むタイミングじゃなかったということで、しばらく寝かしておくことにしよ...

ちょろちょろ読み進めていたものの、100ページちょいで挫折。 実際に読んでて面白いし、通読すればさらに面白いんだろうという予感もあるのだが、いかんせん長いし難しいしそもそもゴールがわからない。 まあ、いまはまだ読むタイミングじゃなかったということで、しばらく寝かしておくことにしよう。

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2014/09/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

***** <序論 音楽=論理学の捧げもの> 想像力の類似性は著しい。バッハとエッシャーは同じ一個の主題[不思議の環]を,音楽と美術という二つの異なる「調」で演奏しているのだ。(p.29)  不思議の環の概念に内在するのは無限の概念だ。というのも,環は無限の行程を有限の手段で表現する手段でなくて何だろう。(p.29) 無矛盾性を保とうとするのはもちろん重要なことであるけれども,その努力がとんでもなく醜い理論をわれわれに強いるとしたら,どこかがまちがっているのである。(p.39) …コンピュータというものは,その本性からして,最も硬直的で,欲求をもたず,また規則に従うものである。いくら速くても,意識がないものの典型にすぎない。それなら,知的な行動をプログラム化することがどうして可能なのだろうか? これは最も見えすいた用語の矛盾ではなかろうか? 本書の主要な目的のひとつは,読者の一人一人がこの外見上の矛盾にまともに対面するように仕向け,これをよく味わい,考え,分解し,そこで転げまわって,そして最後には,形式性と非形式性,生物と無生物,柔軟と硬直の間の超えがたく見える隔たりについて,新しい洞察を得られるようにすることである。  これがAI(Artificial Intelligence 人工知能)研究の関心の対象である。そしてAI研究の奇妙な特色は,柔軟でない機械に,どうすれば柔軟になれるかを教える規則の長い列を,厳密な形式システムのもとで組み立てようと試みる点にある。(p.43) しかしついに私は理解した。私にとってゲーデルとエッシャーとバッハは,何か中心をなす堅固な本質によって異なる方向に投じられた影にすぎないのであった。私はこの中心をなすものを再構成しようと努め,そうして本書を仕上げるにいたった。(p.45) <第1章 MUパズル> 自分がしていることを何かしら観察しないわけにはいかないし,その観察から仕事に対するよい洞察が生れる。これこそ,すでに述べたように,コンピュータのプログラムには欠けているものである。  …もし計算器で1とおき,それに1を加え,さらに1を加え,また1,また1,等々と何時間もつづけていったとき,その機械はいつまでたっても次の仕事が予想できない。そして,ただその仕事をつづけるであろう。しかしどんな人でも,反復作業にたちまち気づくであろう。(p.53) 少し前にカナダで開かれたコンピュータのチェス大会で,参加したプログラムの中に,勝負が終るずっと前にあきらめるという,珍しい特徴をもったプログラムがあった。そのプログラムは参加プログラム中一番弱いもので,チェスがあまり上手ではなかったが,望みのない局面を認識し,ただちにその場で投了して,相手のプログラムが退屈な詰めの儀式を完了するのを待とうとしなかった。すべての試合に負けたけれども,堂々と負けた。地元のチェス指しの多くが,これに感銘を受けた。このように,もし「システム」を「チェスを指すこと」と見なすなら,このプログラムがシステムから脱出するための洗練された,あらかじめプログラムされた能力をもっていたことは明らかである。一方,「システム」を「コンピュータが実行するようにプログラムされたことのすべて」と考えるなら,コンピュータにはシステムから脱出する何の能力もないことは明らかである。(p.54)  形式システムについて考えるときは,次の点がとくに重要である。それは,システムの中で仕事をすることと,システムについて表現や観察を行うこととを区別することである。(p.54-55) <第2章 数学における意味と形>  数学者が二つの既知の構造の間の同型対応を発見すれば,それは喜びをもたらす。それはしばしば「青天の霹靂」であり,驚嘆の源となる。既知の二つの構造の間の同型対応を認識することは,知識の重要な進歩なのである―そして私は,そのような同型対応の認識こそ,人の心に意味を創造する,と主張したい。(p.66)  形式システムにおいては,意味は受動的でなければならない。われわれは各文字列を,それを構成する記号の意味に従って読むことができるが,記号に与えた意味だけに基づいて新しい定理を作り出すことは許されない。解釈された形式システムは,意味ぬきのシステムと意味をもつシステムの間の線にまたがっている。その文字列は「表示する」ものとみなしてよいけれども,そのことはただ,システムの形式的な性質の帰結としてのみ生ずるのである。(p.69)

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2014/06/09

再読。理解できた!とは到底言いがたいまま一通りは最後まで読み終えるもやはり曖昧模糊で、何年か経って今度はきちんと分かるだろうかと再読してみるもやはりよく分からず、ということを何度も繰り返している本がいくつもあるのですが、そういう本になりそうな一冊。時間をおいてまた読もう。一読で理...

再読。理解できた!とは到底言いがたいまま一通りは最後まで読み終えるもやはり曖昧模糊で、何年か経って今度はきちんと分かるだろうかと再読してみるもやはりよく分からず、ということを何度も繰り返している本がいくつもあるのですが、そういう本になりそうな一冊。時間をおいてまた読もう。一読で理解できる賢い頭がほしい。

Posted byブクログ