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きょうも料理 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2021/03/11

以前友人と「日本の家庭料理はがんばりすぎでは」という話になったのを思い出し、図書館で借りてきた。資料の引用が多くて良い。 絶版だけれど、手元に欲しいので電子書籍化してほしい。 明治以降に誕生した「家庭」という場所と「主婦」という立場が、社会情勢やラジオ・テレビ番組の影響を受けど...

以前友人と「日本の家庭料理はがんばりすぎでは」という話になったのを思い出し、図書館で借りてきた。資料の引用が多くて良い。 絶版だけれど、手元に欲しいので電子書籍化してほしい。 明治以降に誕生した「家庭」という場所と「主婦」という立場が、社会情勢やラジオ・テレビ番組の影響を受けどのように役割を規定されてきたかというような内容。引用資料の(現代の価値観で見ての)地獄感が大変味わい深い。 著者による料理研究家の分類図で、平野レミが別枠になっているのがウケる。「異次元の人」。

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2021/02/16

2021.2.6市立図書館 日本のいわゆる「家庭料理」、みんなが当たり前のように期待してしまう食卓の風景はどのようにうまれ、かわってきたのか。「主婦」「家庭料理」といったものははじめからあったわけではなく、学校教育や雑誌、テレビなどのメディアが先に立ってたり背中を押したりして少し...

2021.2.6市立図書館 日本のいわゆる「家庭料理」、みんなが当たり前のように期待してしまう食卓の風景はどのようにうまれ、かわってきたのか。「主婦」「家庭料理」といったものははじめからあったわけではなく、学校教育や雑誌、テレビなどのメディアが先に立ってたり背中を押したりして少しずつ普及した新しい考え方がいつのまにか「常識(呪い)」と化する。文明開化から始まって、昭和の入り口ラジオ放送開始にともなった最初の「家庭料理」啓発時代、戦中戦後のそれどころじゃない時期を挟んでテレビが普及する高度成長期の第二の「家庭料理」強化時代をへて、「母/妻の手料理信仰」すなわち「愛情」「栄養」「品数」「日替わり献立」「手抜きNG」といったイデオロギーといっていいほど窮屈な料理のオキテがどのように世代を超えて刷り込まれ、そしてここ数十年でそれらからの解放がどう試みられているのか俯瞰できた。 オリジナルは修士論文らしく、書籍化にあたって個人的な感想が付け加えられつつ(やや勇み足という印象を受ける部分もなくはないが)、全体としてはさまざまな資料を引用しながら時代に伴う変化を淡々と説明している。その一次資料からの引用を読むのがけっこうおもしろい(特に古いものは、本題から離れて、日本語の変化という点でも)。SNS上でも引用されて流布している代表的料理研究家のチャートも興味深い。 2004年刊行(実際の執筆は2003年ごろまで)、2013年の朝ドラ「ごちそうさん」の脚本の参考文献リストにきっと入っていたはずと確信している。21世紀の20年でさらに変わった部分(解放はかなり進んでいると思う)をいつか加筆してもらいたい。

Posted byブクログ

2021/01/20
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

料理の本やテレビ番組での取り上げ方から、細かにその時代の 料理に関する世間の捉え方が分析されており、とても興味深く読んだ。 昔は家のことは全員でやったし、下働きの人がいたし 料理は割と簡素であった。 服も自分で縫うのが当たり前だった。 既製服は当たり前に認められているのに、未だに家庭の料理は女の仕事のままなのはどういったわけだろう。 みんなが休みの日にどうして私だけ家事労働をする必要があるの? 女性の社会進出がいけないのではなくて、男性の家事未進出がいけない という言葉に大変共感した。

Posted byブクログ

2015/07/04

母は娘の人生を支配する料理バージョン。家庭料理=愛情であると啓蒙されるようになった経緯は何か。 時代をさかのぼり、明治にはまだ女中がいる、大正あたりから主婦が登場して家事の重要性をラジオや婦人雑誌でとりあげられるようになる。昭和から戦時中にかけて質素な食料で家族の腹を満たすミッシ...

母は娘の人生を支配する料理バージョン。家庭料理=愛情であると啓蒙されるようになった経緯は何か。 時代をさかのぼり、明治にはまだ女中がいる、大正あたりから主婦が登場して家事の重要性をラジオや婦人雑誌でとりあげられるようになる。昭和から戦時中にかけて質素な食料で家族の腹を満たすミッションをもとめられ、テレビによって料理の手順が明確に示されるようなったが、洋食はまだその当時は一般家庭ではメジャーではなく羨望の夢の食事であったのではないか。昭和33年には即席麺が、昭和35年にはインスタントコーヒーが登場するが、インスタントというのは家庭的な立場から言えば何か後ろめたさがともなう。ブイヨンは気にしなくても和風だしは特に。今もそのとおりである。さらに電子レンジが普及し、そして手づくりのお弁当問題へとつながっていく。 読者の共感を得るためか敢えてのざっくばらんとした語り口になっており、残念ながらそこが自虐的な印象を与えてしまい読みにくい結果。

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2013/05/18

まずタイトルが秀逸。世の中の大半の主婦の気持ちを(少なくとも自分は)代弁してくれるタイトルである。 なぜ料理は主婦がやるべきこととなり、なぜ手抜きをすると非難され、自らも罪悪感を抱いてしまうのか。 「料理に手間ひまかけることイコール家族への愛情」というイデオロギーが、大正〜昭...

まずタイトルが秀逸。世の中の大半の主婦の気持ちを(少なくとも自分は)代弁してくれるタイトルである。 なぜ料理は主婦がやるべきこととなり、なぜ手抜きをすると非難され、自らも罪悪感を抱いてしまうのか。 「料理に手間ひまかけることイコール家族への愛情」というイデオロギーが、大正〜昭和初期にかけて家父長制を強化する国家的事業により、メディアを通じて国民に流布していった経緯が「きょうの料理」を読み解くことによりよく分かる。 料理は主婦がやるもの。 だからそれが出来ない時に罪悪感を抱く。 著者曰く『人によってライフスタイルや価値観が違うのであれば、理想の家庭像だって違うはずである。』 自分の理想を掲げる前に「〜であるべきだ」というイメージを植え付けられているために、自分で自分を縛っているのだ。 しかしそれは幻想なのだ。自分の家庭には自分の価値観を合わせればいい。"〜であるべき"性役割から解放されるには自分の意識から変えていくしかないのだ。 時間がないならインスタントだってお惣菜だって手抜きだっていい。それは決して言い訳ではない。時と場合で自分で考えていけばいい。手抜き=愛情がない、なんて所詮創り上げられた幻想なのだから。

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2013/05/09

「『どうして私が毎日料理を作っているのか』という漠然とした疑問の答えを垣間見た気がしたのである。」(「おわりに」より) 私自身は、料理は好きな家事であり、何かを創造する楽しさやまるで実験をしているようなワクワク感がありまるで苦痛にならないのだが、どんなに好きでも献立が全く思いつか...

「『どうして私が毎日料理を作っているのか』という漠然とした疑問の答えを垣間見た気がしたのである。」(「おわりに」より) 私自身は、料理は好きな家事であり、何かを創造する楽しさやまるで実験をしているようなワクワク感がありまるで苦痛にならないのだが、どんなに好きでも献立が全く思いつかない日がある。もし仮に料理が苦手なら毎日がどんなに辛いだろう。冒頭にあるような疑問を持つのは当然で、「料理は愛情」という、誰かに作られ植え付けられた固定観念との狭間でストレスを感じるのもうなづける。 本書は料理番組の移り変りに見え隠れする主婦史の、女性史である。

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