人類発祥の地アフリカ の商品レビュー
南米からアフリカまで自転車やカヌーや歩きで行ったことが、すごいなぁと思った。 場所がとびとびだったから、その間のことも知りたいなぁと思った。
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(2004.12.28読了)(2004.12.22購入) 副題「グレートジャーニー・人類5万キロの旅15」 グレートジャーニーも最終行程。アフリカへ。エジプト、スーダン、エチオピア、ケニア、タンザニア。国境を越えるのはできるところとできないところがあるので、それぞれの国に入って...
(2004.12.28読了)(2004.12.22購入) 副題「グレートジャーニー・人類5万キロの旅15」 グレートジャーニーも最終行程。アフリカへ。エジプト、スーダン、エチオピア、ケニア、タンザニア。国境を越えるのはできるところとできないところがあるので、それぞれの国に入って、国境に近づいてつなぐしかないところもある。国境に近づくには特別な許可が必要だったりする。一年のうち特定の時期しか国境の通行ができないところもある。国境があるのかないのか簡単に通れてしまうところもある。国境を接する二国間の関係によって様々だ。 関野さんの旅は、一本の線に最終的につながるのだけれど、線を引く順序は、線を引けるところから引いてゆき、間が開いてしまったところは、後で埋めるということもある。 1993年12月にアメリカの最南端を出発したグレートジャーニーも2002年2月にゴール地点タンザニアのラエトリに到着し、終了した。 ●エジプトのラクダ(スーダンで育てたラクダ) 「それにしてもおとなしいラクダたちです。棒でたたかれ、追い回されても、逃げ惑うばかりです。モンゴルのラクダだったら、人間にゲロを吐きかけ、けりを入れて逆襲するところです。」(モンゴルのラクダはフタコブラクダ、この辺りのラクダは、ヒトコブラクダです。) ●エチオピアのコエグ 「南米では、診療をすると、卵や鶏をお礼にプレゼントしてくれました。羊を一頭もらったこともあります。南米だけでなく、旅の途中でいろいろな土地の人たちを診察しましたが、診察が終わるとお礼を言われることがほとんどでした。コエグには「ありがとう」を意味する言葉がありません。コエグは物を蓄えない平等な社会です。「貸し」や「借り」という考えもありません。何かをしたり、してもらったりするのも、一種の「貸し」と「借り」です。その考えそのものがないのですから、何かをしてもらって当たり前、してあげても当たり前です。」 ●エチオピアのランナー 「エチオピアはマラソン王国です。みんな走るのが得意です。実際、普段からはだしで走っている人を見かけます。自転車と同じ速さで、笑いながらひたひたと小走りでついてきて、10キロメートルくらいは平気です。自転車のスピードを上げて、振り切ったかと思うと、いつの間にかまた追いついてきます。走りながらニコニコしています。」 ●エチオピアのキリスト教 「エチオピア正教は、ヨーロッパに伝わって発達したキリスト教の影響を受けていないのです。エチオピア正教では、進歩を善とは考えていません。人間は神の心のままに、あるがままに生きればいいのだと教えています。」 ●ゴール タンザニアのラエトリには、人類の足跡の化石があります。 「大きな足跡が一対。その足跡と明らかに歩幅を合わせている小さな足跡が一対。そして大きな足跡に重なる小さな足跡。計三人の足跡です。僕は、この足跡は三人の家族のものだと信じています。およそ360万年前の「人類最古の家族」が残した足跡なのです。」 最古の人類が歩き出した地点として、ここがゴールと決められたのです。 ☆関連図書(既読) 「草原と砂漠のモンゴル」関野吉晴著、小峰書店、2003.03.24 「チベットの聖なる山へ」関野吉晴著、小峰書店、2003.08.26 「イスラム世界を走る」関野吉晴著、小峰書店、2004.04.11 (「BOOK」データベースより)amazon グレートジャーニーとは、五百万年前に東アフリカで誕生した人類が、アジア、北アメリカを経由して南アメリカの南端にたどりつくまでの五万キロの旅のことです。一九九三年十二月、探検家・関野吉晴はこの人類の旅路を、徒歩、カヤック、自転車という、自分の足と腕の力だけでたどりはじめました。二〇〇一年五月、アフリカ大陸に到達、エチオピアでは先住民の村、ダナキル砂漠、エチオピア正教の聖地「ラリベラ」に寄り道をしました。二〇〇二年二月一〇日、タンザニア・ラエトリにゴールするまでを報告します。
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