“ぼく"と世界をつなぐ哲学 の商品レビュー
形而上学は人文科学系で扱われ、政治哲学が社会科学系で扱われ、両者が分断されている事に常々違和感というかしっくりこない感じを持っていたのだが、この本によってスッキリしたような気がした。<ぼく>というのが「私とはなにか?」という問いであり、<世界>というのが「社会とはなにか?」という...
形而上学は人文科学系で扱われ、政治哲学が社会科学系で扱われ、両者が分断されている事に常々違和感というかしっくりこない感じを持っていたのだが、この本によってスッキリしたような気がした。<ぼく>というのが「私とはなにか?」という問いであり、<世界>というのが「社会とはなにか?」という問いに該当する。そして両者をつなぐものが他者論であるという事に今更ながら気がついた。 著者は題名通り、両者を分断する事なく、連続するものとして思想史的に論じているのだが、独我論は認めない立場のようである。ここが難しいところで、時代を追って考えていけばどうしてもそういう結論になりがちだろう。そして結果的には分断が起きる。ここを乗り越えていくには独我論も認めていくしかないのだが、政治哲学にどっぷりつかると、存在論や認識論はどうでもよくなってしまうので、興味がないで片付けて考える事すらしない社会科学系の専門家は多い。他方、人文科学系の専門家は政治哲学には興味関心が薄い(多少は考えてはいる人はいる)。が、人間の生き辛さというのは両者のギャップであり分断であるので、興味がないでは済まされないと思うのだが、統合的に考えていく人は殆どいないのが現状であるように思う。元はと言えば、文科省のカリキュラムがそうなっていて、興味を持たなくとも済んでしまうようになっているので仕方ないのかもしれないが、これも専門主義のアカデミズムの弊害であるように思う。
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アイデンティティの迷宮◆記憶の思想史◆言語と独我論◆言語の起源◆他者と相互承認◆他者の異貌◆共同体と友愛◆共同体の内と外から 著者:中山元
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プラトン「知を愛し求める哲学者(フィロソフォス)の精神だけが翼をもっている。哲学者の精神は、力のかぎりで記憶(アナムネーシス)をよび起こしながら、いつも神が神としての性格をもちうる場所に自分を置くからである。人間はまさに、想起(アナムネーシス)の<よすが>となるものを正しく使うことで、つねに完全なる秘儀にあずかり、言葉のほんとうの意味で完全な人間となるのである」『パイドロス』p27 大森荘蔵「キメラ文」『流れとよどみ』p52 イギリスの哲学者ヒラリー・パトナムの論文「水槽の中の脳」p53 フロイト「欲動転換、特に肛門愛の欲動転換について」p124 ドゥルーズ「近くを可能にするのは、自我ではなく、構造としての他者である」『意味の論理学』p151 「他者とはさまざまなカテゴリーによるすべての知覚領域を構成するアプリオリな原理」なのである。p152 メルロ=ポンティ「世界の肉」:人間と事物とで織りあげられた織物 p197 <ぼく>を読むこと、それはぼくのうちに畳み込まれた他者や共同体や風土を読むことでもある。
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[ 内容 ] グローバリゼーション、IT革命、ボーダーレス化によって、私たちの社会は深刻で劇的な変化を遂げつつある。 これまでの枠組みはほとんど無効になりつつあるが、新たな座標軸はまだ見出せていない。 本書では、「アイデンティティ」「言語」「他者」「共同体」など身近な問題意識に沿...
[ 内容 ] グローバリゼーション、IT革命、ボーダーレス化によって、私たちの社会は深刻で劇的な変化を遂げつつある。 これまでの枠組みはほとんど無効になりつつあるが、新たな座標軸はまだ見出せていない。 本書では、「アイデンティティ」「言語」「他者」「共同体」など身近な問題意識に沿って哲学者たちの仕事の軌跡とその到達点を整理し、不透明な時代の〈ぼく〉について考える。 哲学史の中のさまざまな試みを手がかりに、素朴で根源的な問いにこたえる異色の入門書。 [ 目次 ] 第1章 アイデンティティの迷宮 第2章 記憶の思想史 第3章 言語と独我論 第4章 言語の起源 第5章 他者と相互承認 第6章 他者の異貌 第7章 共同体と友愛 第8章 共同体の内と外から [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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