性愛と資本主義 の商品レビュー
読み進めていくと、そのうちに「第三者の審級」という言葉が出てくるたびに吐き気のようなものを催すようになる。 主として3篇の論文(?)が収められているが、それなりに理解できるのは「主体性の変移と資本主義の精神」のみ。最初の2篇は、論理の展開と独特の用語使用についていけず。どんな読者...
読み進めていくと、そのうちに「第三者の審級」という言葉が出てくるたびに吐き気のようなものを催すようになる。 主として3篇の論文(?)が収められているが、それなりに理解できるのは「主体性の変移と資本主義の精神」のみ。最初の2篇は、論理の展開と独特の用語使用についていけず。どんな読者を想定して書かれたものか、まったく想像できない。
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「愛」と「資本」は繋がっていた!それを繋げているのが「宗教的なるもの」である。愛という主題と「資本」や「貨幣」という主題を結びつけるのは、広義の「信」であると筆者は結論づけている。愛も貨幣も宗教も信じる事から始まるのだ。
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資本主義がいかに恋愛と云う幻想を作ったか。 これは改訂版ですが、原本はもう10年前に出版されています。 しかし今も十分読むべき価値のある本だと思います。 ぜひ「プロ倫」と併せて読んでみて貰いたいと思います。
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最初、自己の存在論的孤独の不可避性(他者の獲得不可能性)を論じた論文は、正直、社会学の領域外だろー、レヴィナスとか使うなよー、と思った(笑)。が、やっぱり社会学の論文集だと、事後的には深く納得。「第三者の審級」は、単に近代的超越性でもいいんじゃん…思うけれど、近代化論、資本主義論...
最初、自己の存在論的孤独の不可避性(他者の獲得不可能性)を論じた論文は、正直、社会学の領域外だろー、レヴィナスとか使うなよー、と思った(笑)。が、やっぱり社会学の論文集だと、事後的には深く納得。「第三者の審級」は、単に近代的超越性でもいいんじゃん…思うけれど、近代化論、資本主義論として、全体的な一貫性は伝わる。とくに(タイトルに!)そそられた「貨幣の可能性と愛の不可能性」論文は、どーも半端で、きっとルーマンが下敷きなのだろう…と思いつつ、わかったよーな、わからんよーな。個人的には、「主体性の変移と資本主義の精神」が面白かった。増補版のおまけ、「サッカーと資本主義」は愉快。いや、ちゃんとした資本主義論(なんだと思うが)。
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