ポロポロ の商品レビュー
強迫的なまでに徹底して物語を拒絶する姿勢。中国戦線の盟友についてひとしきり語った後で、「ひとのはじめとおわりに関与するなど、神のすることではないか。・・・物語をかってにつくってしゃべっていたのだ。」と振り返る様は、どこか痛々しくもある。種も仕掛けも、その過程や理由すら赤裸々に明か...
強迫的なまでに徹底して物語を拒絶する姿勢。中国戦線の盟友についてひとしきり語った後で、「ひとのはじめとおわりに関与するなど、神のすることではないか。・・・物語をかってにつくってしゃべっていたのだ。」と振り返る様は、どこか痛々しくもある。種も仕掛けも、その過程や理由すら赤裸々に明かさないと、語りが成立しさえしないとでも言うように。文体も簡潔、率直、着飾らない。大切なメッセージは、物語中2~3度と繰り返されているが、その文章の前には「くりかえずが・・」「前にも言ったけど」等とストレートに反復を知らせる副詞節が用意されており、勿体ぶることでメッセージが仰々しくなってしまうことを、防いでいるように思える。これも潔癖なまでの「アンチ物語主義」の表れだろう。島尾敏雄や小島信夫の戦争体験小説も好きだが、飄々とどこか滑稽でもある氏の物語を拒否した物語こそが、もっともリアルに思え、それゆえ、恐ろしくもある。
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禿げ頭にローマ法王のような丸い毛糸の帽子を被りすっとんきょうな表情で雰囲気は裸の大将の山下清さんそっくり、昔ちょくちょくTVに出てぼそぼそ喋っていた田中小実昌(こみまさ)さんのことはよく覚えている。どんなことを喋っていたかは皆目覚えていない。存在そのものは二人といない稀有の人だっ...
禿げ頭にローマ法王のような丸い毛糸の帽子を被りすっとんきょうな表情で雰囲気は裸の大将の山下清さんそっくり、昔ちょくちょくTVに出てぼそぼそ喋っていた田中小実昌(こみまさ)さんのことはよく覚えている。どんなことを喋っていたかは皆目覚えていない。存在そのものは二人といない稀有の人だったが、そもそも人の記憶に残るようなことは喋らない人だったのかもしれない。彼の「ポロポロ」という作品を読んでそう思った。 表題作「ポロポロ」以外の6篇は著者の中国戦線従軍記。戦争末期の学徒動員であり中国兵と派手にドンパチとかは一切ないものの飢えや病気で仲間たちと死に直面した過酷な体験記である。過酷な体験記であるが、それを描く彼の文章には怒りも苦しみも叫びもない。ほんとに不思議な人である。 従軍記で印象に残った文章を抜粋 「ぼくは、この伝染病棟にいるあいだに、まちがいなく死ぬだろうと思っていた。・・・軍医も、おまえは死ぬよ、と言った。・・・この軍医が、おまえは死ぬよ、とぼくに言ったのが、今だにぼくはおかしくってしようがない。・・・さっぱり見当はつかないが、ぼくが、きょう死んでも、明日死んでもあたりまえみたいな状態にありながら、死にかけてる者のマジメさに欠けており、軍医は意識しないで、それをたしなめたのではないか。・・・また、ぼくは、もうすぐ死ぬにはちがいないが、死ぬ前に、内地に帰れないのがざんねんだ、父や母や妹にあえないのはかなしい、なんてことはまるっきりおもわなかった。・・・くりかえすが、内地にはかえりたい。父母や妹にもあいたい。だが、死ぬ前に、内地にかえり、父母や妹にあいたい・・・・・・というフレーズにはならないのだ。ひとには、ごくふつうにあって、ぼくに欠けてるものは、このフレーズが成立しないことかもしれない。」 「(こう見えた、こんな体験をした)ことは事実だ、と言えばわかりやすいかもしれないが、ぼくは、なにかを事実とよぶことにも、疑いを持つ。事実といえば、事実そのままで、これくらいはっきりしたものはない、とおっしゃるだろう。しかし、そういうことになっているのが事実で、これもやはり物語用語ではないかともおもうのだ。」 「・・・物語は、ひとにはなしてきかせるだけではない。いや、自分自身に、物語ばかりをしゃべりつづけているのが、こまるのだ。」 「・・・物語は、なまやさしい相手ではない。なにかをおもいかえし、記録しようとすると、もう物語がはじまってしまう。」 過酷な戦争体験記は善や悪や人間の不条理が描かれ、ヒーローや悲劇の主人公が登場するのが常だが、彼の従軍記にはそれがない。喜怒哀楽の物語はいっさいない。 われわれは日々物語の世界に住んでいる「尖閣諸島反日物語」「検察データ改ざん物語」「イチロー200本物語」等々。新聞TVは毎日物語が満載だし、われわれ一人一人も毎日自身の小さな物語の中で生きている。無意識につじつまを合わせ、自分を世界をつくろい装って生きている。物語がないと人は生きていけないと言ってもいい。 田中小実昌さんの生き方はもう般若心経、色即是空不増不減である。どんな圧倒的な力を以ってしても彼のような存在は殺せても消滅させることはできない。胴体を二分したら二匹、六つに切ったら六匹になるプラナリアという下等生物を最近TVで見てびっくりしたがそんな感じである。 色即是空不増不減の聖・田中小実昌は物語がなくても平気だったと思うが、そうではない私には、物語のない人生はつまらない。ただ物語が過剰になるあまり感覚が麻痺してそれが物語であることを忘れると危ないなと思う。 表題作の「ポロポロ」はそんな田中小実昌さんの宗教観がうかがえて面白い。少し抜粋。 「父が牧師だったうちの教会では、天にまします我等の父よ・・・みたいな祈りの言葉は言わない。みんな、言葉にならないことを、さけんだり、つぶやいたりしてるのだ。・・・ただ、ポロポロ、やっているのだ。」「ポロポロを受ける、と言う。しかし、受けるだけで、持っちゃいけない。いけないというより、ポロポロは持てないのだ。」「持ったとたん、ポロポロは死に、ポロポロでなくなってしまう。」 「ぼくにはポロポロはでない。そのころも、今でもおんなじだ。だいたい、ポロポロが言えるとか言えないとかいったものではあるまい。・・・信仰というものにもカンケイないのではないか。信仰ももち得ない、と(悟るのではなく)ドカーンとぶちくだかれたとき、ポロポロははじまるのではないか。」 まさに色即是空、空即是色、不増不減、不生不滅である。 2010年09月23日 15時12分 [ 閲覧数 25 ]
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大型書店にて購入。 まずタイトルが気になった。 それと何かの本で誰かがレヴューしていたのをどこかで記憶していました。
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そうそう、そういえばレイモンド・チャンドラーの翻訳といえば、前述した清水俊二訳がもちろん超有名で定番のはずですが、私たち究極のマニアとしては、この人、コミさんこと田中小実昌訳の方が、ぶっきらぼうのようでいて、めちゃめちゃチャンドラーっぽくて、フィットするという感じを持っているので...
そうそう、そういえばレイモンド・チャンドラーの翻訳といえば、前述した清水俊二訳がもちろん超有名で定番のはずですが、私たち究極のマニアとしては、この人、コミさんこと田中小実昌訳の方が、ぶっきらぼうのようでいて、めちゃめちゃチャンドラーっぽくて、フィットするという感じを持っているのでした。 小説家としての彼は、おそらく長編偏重のこの時代、あるいはズブズブの物語を愛して止まない人たちの間では、拒絶・拒否されるに違いない存在だと思います。 何という平凡な、身辺雑記風のエッセイと見紛う、ちょこちょこっと簡単に書いた代物なんだろうなどと言う感想を抱いた人が、私の周囲に実際少なくとも今までに3人はいました。・・・・・
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短編集。表題作の「ポロポロ」は「アメン父」と並ぶ著者の代表作・・・ということは知っていたけど、「宗教ものか・・・なんかディープなキリスト教ものっぽいし」と敬遠していた。 しかし!再販されたときに本屋で平積みになっていたこの表紙を見て、「陸軍もの!」ということが判明したのです。
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とても哲学的な私小説。「事実を書こうとしていながらその事実が物語りになってしまうことを恐れる」という下りに深く頷いた。
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田中小実昌の文体というか思考はものすごく独特なリズム感を持っていて、ついついその思考過程に引きずり込まれてしまう。 気付くと一緒になって、「あれはこうだったかもしれない。いやでもその映像はあまりにはっきりし過ぎているから、あとで作った記憶だろう」などと考えている。(04.5.15...
田中小実昌の文体というか思考はものすごく独特なリズム感を持っていて、ついついその思考過程に引きずり込まれてしまう。 気付くと一緒になって、「あれはこうだったかもしれない。いやでもその映像はあまりにはっきりし過ぎているから、あとで作った記憶だろう」などと考えている。(04.5.15記)
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