美の呪力 の商品レビュー
少し前に岡本太郎ブー…
少し前に岡本太郎ブームがあったけれど、そこでは岡本太郎は、テレビに出ていた岡本太郎でしかなく、はっきりいって野暮ったかった。復元された巨大壁画も、はっきりいって、「デカい、すごい」くらいにしか感じられない人が多かったと思う。本も売れた。けど、この本はあまりフィーチャーされなかった...
少し前に岡本太郎ブームがあったけれど、そこでは岡本太郎は、テレビに出ていた岡本太郎でしかなく、はっきりいって野暮ったかった。復元された巨大壁画も、はっきりいって、「デカい、すごい」くらいにしか感じられない人が多かったと思う。本も売れた。けど、この本はあまりフィーチャーされなかったようだ。僕はこの本が岡本太郎のベストだと思う。ここには岡本太郎の着想、言動の意味が、凝縮されている。岡本太郎を知りたいなら、この本をまず買うべき。
文庫OFF
アンドレ・ブルトンの…
アンドレ・ブルトンの魔術的芸術をご存知だろうか。この本は岡本太郎にとっての魔術的芸術であろう。太陽の塔・眼を見開く絶叫の芸術家とはすこし違う、岡本太郎がそこにいる。
文庫OFF
岡本太郎の著書は不思議な魅力があって、一見すると個々の芸術に関する考察や批評なんだけれども、それらを通して人間や人生についての深い洞察が語られていて、かつその多くが「生きること」について掘り下げて考えるスタイルなので、読んでいて生きるエネルギーが湧いてくるというか、生きていること...
岡本太郎の著書は不思議な魅力があって、一見すると個々の芸術に関する考察や批評なんだけれども、それらを通して人間や人生についての深い洞察が語られていて、かつその多くが「生きること」について掘り下げて考えるスタイルなので、読んでいて生きるエネルギーが湧いてくるというか、生きていることの実感を得たくなるんですよね。 本作も、様々な美や芸術の世界における「石」「血」「怒り」「仮面」「火」「夜」の性質や意義を考察するというものなのに、読んでいて不思議と力が湧いてくる気がします。 美術や芸術、あるいは民族学や人類学の観点からの評論集という読み方もできますが、それらを通じて「人が生きること」について考察した哲学書として読むこともできますし、そういう意味では強く生き抜くための「自己啓発書」として読むこともできるのではないでしょうか。
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凡人の私には理解(読解?)するのが難しかった。 民族史とか芸術とかに興味があって、いろいろ背景を知っている人にはもっと面白く感じるのかも。
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芸術への造詣の深さとか、熱量の高さとか、すごいと思うけど私の読解力だと理解できず。ただ、ゴッホに関する意見だけは腑に落ちた。 もう一度じっくり読んでみようと思う。
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2月にあった岡本太郎展のグッズ販売で、いいなと思った手ぬぐいが売り切れていて腹立ち紛れに手にとったこの本が思いのほか凄くて買って帰った。 縄文土器の美を公に広めたのが彼だというのはよく知られているけど、他にも仮面、火、石、あやとり、戦国時代の兜といった事象に感受性を刺激されてい...
2月にあった岡本太郎展のグッズ販売で、いいなと思った手ぬぐいが売り切れていて腹立ち紛れに手にとったこの本が思いのほか凄くて買って帰った。 縄文土器の美を公に広めたのが彼だというのはよく知られているけど、他にも仮面、火、石、あやとり、戦国時代の兜といった事象に感受性を刺激されていることに共感。太陽の塔って謎めいている。その謎めき加減はこういう太古から通じる、はっきりとは表にでてこない感覚、恐ろしさの入り混じった感覚につながっているんだなと思った。 この前投稿した「ゆふ」という画集にも同じようなことが書かれていたんだけど、「没入する自分を客観視する、俯瞰する目、遊びがあってこその芸術」ということをタロウさんもおっしゃっている。古典芸能や演劇やバレエを見に行くのに、お話の筋や登場人物を見るというよりそれを役者やダンサーがどう演じるかというほうに興味があって見に行く。なるほどなあ。
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大阪万博の制作と並行して著されたと言う『岡本太郎による世界美術館』的なエッセイ。 怒り・憤り・畏れ… 太郎なりの美的感性から評されるテーマはゴッホ、ピカソ、ゴダールらの著名美術作品のみに留まらず、作者不明の作品、聖地、土着の祭り・儀式など、アミニズム・シャーマニズムに根差した有形...
大阪万博の制作と並行して著されたと言う『岡本太郎による世界美術館』的なエッセイ。 怒り・憤り・畏れ… 太郎なりの美的感性から評されるテーマはゴッホ、ピカソ、ゴダールらの著名美術作品のみに留まらず、作者不明の作品、聖地、土着の祭り・儀式など、アミニズム・シャーマニズムに根差した有形・無形の『美』にも及ぶ。 “才能と技巧は違う。技巧を伴わない才能こそが芸術。” 評論の形を取りながら、各々に挑み向き合う様な、ほとばしる言葉は、全編にパワーが漲っている。 この空気感から『太陽の塔』は産まれたのだなと。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
太郎さんの何がって限定したくはないけど 私の知ってるうちじゃ、柳さんとパイロットと重なるときがある、あともう一人か。 芸術家が芸術作品に興味ないって言ってるなら、素人の私もそんなの知らない、あんなのこどものらくがきでしょっ、って言えるだろうか。そしてその理由を質すされたときにだってあの偉い人もそういってるんですよなんて、子どもの絵と馬鹿にしておきながら、それでもって子どもの絵も馬鹿にしておきながら、お主がやっておるのは子どものそれとはどうちがうのじゃろう?それは理解できないだけで外にいるものが内側にいる者、内側に入ることができたものに対する嫉妬、そう嫉妬。芸術、芸術家というものがこの世には存在していました、そして今も存在し、この先も存在し続けるでしょう。我々人類のうち一体何割の人間がこの存在をその生のうちに自分の内側に認めることができるのでしょう? 極めて少数なら存在しなくても、存在しないとみなしてもよいのではないでしょうか? そう、微分です。存在量が少ないものは微分して、多で世界を構成させましょう。我々が依れるのは極めて少数の有限な存在だけ。希少性は不要でございます。 美なんて言葉は女性にだけ用いるのが正しい。 芸術作品があるから凡人は引け目を感じるのです。 理解できない存在ガボン人にとってどんなに苦しい次第か、それはちょうど天才がなぜ凡人は自分たちの作品を理解してくれないのかと悶々とするのと似たようなものでしょう?お互いが会い寄れない。そのようなモノが存在していることが誠に滑稽でございます。 芸術作品と芸術家と鑑賞者。 いつまでたっても私にはすごい上手って言葉しか 出てこないのが、とっても恥ずかしい....
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大阪万博の直前に芸術新潮で連載された「わが世界美術史」がもとになった本。 自分も生まれる前だし、日本中が熱狂した万博直前の岡本太郎がどれほど忙しかったかは想像もできないが、たぶん寝る間もないほど忙しかったと思う。それなのに、こんな連載を執筆していたなんて、おそろしいほどのバイタ...
大阪万博の直前に芸術新潮で連載された「わが世界美術史」がもとになった本。 自分も生まれる前だし、日本中が熱狂した万博直前の岡本太郎がどれほど忙しかったかは想像もできないが、たぶん寝る間もないほど忙しかったと思う。それなのに、こんな連載を執筆していたなんて、おそろしいほどのバイタリティだ。 岡本太郎の作品は公共の場にもよくあり、目にする機会が多いが、著作を読んだのは恥ずかしながら初めて。 著述の範囲は、イヌイットの石像、ストーンヘンジ、スフィンクス、グリューネバルトの宗教画、アステカ文明と血の儀式、オルメカ文明の巨石人頭像、曼荼羅、菩薩像、ロシア・イコン、ボッシュの絵、ゴッホの絵、平治物語絵巻、組紐文、ケルトと縄文・・・ などなど、多岐に渡る。 それらに共通するテーマが「呪力」だ。 炎や血などの鮮烈で荒々しいイメージ、石像や仮面に込められた念、動と静のようなイメージの中にも、二律背反するように静と動が内在されていることが、感じ取れた。 この1冊しか読んでいないのに、うんぬんするのは良くないが、おそらく岡本太郎にとっては、美しいとかきれいとか、日本人一般が「美術」と捉える心を落ち着かせるようなものには、あまり美を見出さなかったのではないかと思う。 うまくまとめられないけど、解釈の仕方が独創的で新鮮だった。 巻末の鶴岡真弓さんという方の解説が丁寧で大変助かった。あっちこっちに話が飛び、芸術家らしく、情熱の赴くまま綴られる熱い文章が表したかった真意がよくわかった。 岡本太郎の作品を見かけるたびに、読みなおしたいと思う本だ。
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あるということを拒否するところからないを考えるという言語化の仕方が気に入ったけど、後半同じテーマの話が引き延ばされている感じでちょっとぐだった。あとあらすじが「わたしは赤が好きだ」という引用からはじまっているがあまり適当でないと思う。
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