孔雀の羽の目がみてる の商品レビュー
処女エッセイ集だというが、この段階で既に蜂飼耳は完成していたのかな、と失礼なことを考えてしまった。それくらいスキがなく巧いエッセイ集だ。逆に言えば達者過ぎるせいでこちらにしつこく余韻を残さないきらいがある(堀江敏幸にそのあたりでは似ていると思う)。本をこよなく愛する書き手が書いた...
処女エッセイ集だというが、この段階で既に蜂飼耳は完成していたのかな、と失礼なことを考えてしまった。それくらいスキがなく巧いエッセイ集だ。逆に言えば達者過ぎるせいでこちらにしつこく余韻を残さないきらいがある(堀江敏幸にそのあたりでは似ていると思う)。本をこよなく愛する書き手が書いた、賢いエッセイ集だと思わされる。蜂飼耳の視点はあくまでミクロ/細部に向けられる。大上段に構えるところがなく、日常の些事や書かれた書物の一節を引いて色々と思考は巡らされる。このエッセイ集、そろそろ白水Uブックスにならないものだろうか
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ほとんどが読みやすい短いエッセイなのだが、ときどき「えっ?」と立ち止まってしまう箇所があって、そこがものすごく魅力的。 飛躍、たゆたい、旋回。かんたんに理解や感情移入をさせてくれない細部の違和感。全体の印象の、不思議な重たさ。 普通の顔をした変な生き物のような本だ。詩もぜひ読んで...
ほとんどが読みやすい短いエッセイなのだが、ときどき「えっ?」と立ち止まってしまう箇所があって、そこがものすごく魅力的。 飛躍、たゆたい、旋回。かんたんに理解や感情移入をさせてくれない細部の違和感。全体の印象の、不思議な重たさ。 普通の顔をした変な生き物のような本だ。詩もぜひ読んでみたいと思わせる。
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北見葉胡さんとの絵本『おやゆびひめ』といい、 宇野亜喜良さんとの『エスカルゴの夜明け』といい、 最近なにかと目にする機会が多い、蜂飼耳さんの名前。 これはなにか縁があるのでは、と勝手に思いながら、 装幀の見本にもなるしと買った『孔雀の羽の目がみてる』。 装幀は、菊池信義さん。 ...
北見葉胡さんとの絵本『おやゆびひめ』といい、 宇野亜喜良さんとの『エスカルゴの夜明け』といい、 最近なにかと目にする機会が多い、蜂飼耳さんの名前。 これはなにか縁があるのでは、と勝手に思いながら、 装幀の見本にもなるしと買った『孔雀の羽の目がみてる』。 装幀は、菊池信義さん。 チリがたくさんとってあるのですが、恥ずかしながら私、 つい先だってまで、この「チリ」という言葉を知りませんでした ・・・だ、だって雑誌にチリなんてないんだもん! 「見返しってどこですか? それは表2表3とは違うんですか?」 に続く、久々の「わからない書籍用語」でした。
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「たとえば詩を書こうというとき、言葉の出てくる手前すれすれの時空は濃密だ。ぎっちり詰まっている。これを、早くなんとか、と思う。が、一度言葉に置くと、言葉と言葉のあいだに落ちて、ふたたび上がって来ないなにものかがある。」 蜂飼耳のエッセイのようなもの(のようなもの、と敢えて書い...
「たとえば詩を書こうというとき、言葉の出てくる手前すれすれの時空は濃密だ。ぎっちり詰まっている。これを、早くなんとか、と思う。が、一度言葉に置くと、言葉と言葉のあいだに落ちて、ふたたび上がって来ないなにものかがある。」 蜂飼耳のエッセイのようなもの(のようなもの、と敢えて書いておきたい気持ちが起こるのは、その文章から立ち上がるイメージが見慣れた日常から少しずれた風景のように見えるからなのだ)を読みかけているとき、新聞広告で速読を売り込む記事めいた宣伝文を目にする。曰く、文字を心の中で声に出して読むこと、それが読むスピードを規制しているのだ、と。それはそうなのかも知れないが、その心の中での音読を止め、文字を記号として瞬間的に解読する技術を手にした後、小説を早く読めたりして何か楽しいことがあるのだろうか、とぼんやり思う。まあ、新聞のような情報をやり取りすることを主とする文章であれば兎も角も、少なくとも蜂飼耳の文章を速読して得られるものって何だろう、と大いに疑問になる。 言葉は確かに情報をコード化したものであるけれど、小説家や詩人が言葉を書き下ろすとき、文字に置き換えたいと思っている何かは必ずしもコードに落ちていかない可能性は高いだろうと思う。荒川洋治は「行間はない」と言い切るけれども、そうだとしても声に出して見ること、その動きの中で(声を発すること、その声を聞くこと)文字に置き換えられた情報以外のものが読み手(聞き手)の中で「発生する」ような感覚になること、それこそが読むことの最大の楽しみであると自分は思う。 特に、蜂飼耳の文章は、目だけではなく、黙読ではあっても心の中で音になる文字を耳で聞くことが、彼女の魅力を知る必要最低限のことであるように思うのである。このエッセイのような文章においてさえ、文字列から事実のようなものを拾い出す以上のことが、できるのであるから。
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エッセイ集。第一章は日常について、第二章は本について、第三章は旅について書かれている。デティールの捉え方がものすごくまっすぐだ。その素直な視線に、毎日目にしているものが自然にまかせて成り立っていることを知らされる。それぞれがそれそれの意思を持ちながら。旅に出てもそこは異国で、無理...
エッセイ集。第一章は日常について、第二章は本について、第三章は旅について書かれている。デティールの捉え方がものすごくまっすぐだ。その素直な視線に、毎日目にしているものが自然にまかせて成り立っていることを知らされる。それぞれがそれそれの意思を持ちながら。旅に出てもそこは異国で、無理をして自分をねじこめようとしていない。あくまでも自然体である。とことん清清しい。こんな日常を過ごしていけたらと思う。
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