灰色の魂 の商品レビュー
第一次大戦の頃、前線にほど近いフランスの田舎町。1917年12月のある朝、この町の川から、少女の死体が上がった。犯人は誰なのか。小さな町にすむ人々に訪れる悲しみ。全てが過ぎ去った今、語り手である「私」は、過去と現在を行きつ戻りつしながら、苦しみに引き裂かれ喘ぐ魂の物語を書き残す。
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時は1917年12月の最初の月曜日、所はフランスの一寒村。居酒屋の看板娘で、その美しさから「昼顔」と呼ばれていた十歳の少女が殺された。現場は村人が「城(シャトー)」と呼ぶ宏大な屋敷近くの岸辺。首を絞められた後で川に投げ込まれたらしい。「城」の当主は近くの市の検察官を務めるピエール...
時は1917年12月の最初の月曜日、所はフランスの一寒村。居酒屋の看板娘で、その美しさから「昼顔」と呼ばれていた十歳の少女が殺された。現場は村人が「城(シャトー)」と呼ぶ宏大な屋敷近くの岸辺。首を絞められた後で川に投げ込まれたらしい。「城」の当主は近くの市の検察官を務めるピエール=アンジュ・デスティナ。早くに妻を亡くして広い屋敷に僅かな使用人と暮らしている。感情を表に出さず、人付き合いもよくはないが村人には一目置かれていた。 独仏国境近くにある村には、長引く戦争で傷ついた傷病兵が大量に流れ込んでいる。少女殺害の犯人として逮捕されたのは二人の脱走兵だった。一人は自殺し、もう一人は拷問の末に自白。これで解決と考えられたが、実は事件当日「昼顔」と親しげに話をしているデスティナを見た人物がいた。 こう書いてくると、いかにも推理小説めいて聞こえるかも知れない。事実、物語は少女殺害の真犯人をめぐる謎を追う形で展開し、中盤に差し掛かったあたりで、語り手である「私」は刑事であったことが分かってくる。しかし、話者の語りに引き込まれるように読み進めながら感じるのは、謎解き小説を読んでいる時とはまるで異なった感興である。その印象を一言で言えば、いかにも重苦しく暗い。 ついこの間書かれたばかりのはずなのに、まるで19世紀の小説を読んでいるような気がしてくる。それではそれが嫌か、と聞かれるとそれはちがう。近頃ではあまり流行らないらしいが、人生というものの持つ重さや、人と人の出会いの不思議さ、人間の数奇な運命などという一昔前の主題群が、対比を駆使した典型的な人物造型、卓抜な譬喩、陰影を帯びた人生観を感じさせる警句、そして何よりも「民衆的な、時には卑俗とも言える文体と、詩的かつ叙情的な文体の混淆」に支えられて重厚な輝きを帯びて迫ってくるのだ。 小説は、事件の関係者であった元刑事の回想録とも手記ともいえる体裁で展開される。しかし、年老いた男の回想は記憶の小路を彷徨うように往々にして横道に逸れ、時間を遡行し、行きつ戻りつを繰り返し、なかなか謎の解決にはたどり着かない。しかも、男は事件の最中に最愛の妻を死なせるという悔恨を背負ってもいる。人生の終わりに近づいた人間がこれだけは語っておかなければ従容として死の床につくことができない、その謎とは何か。事件に関係する二人の男やもめと、検察官の敷地内の館に住まうことになる美しい女教師の関係はどうなるのか。女教師のモロッコ革の手帖に書かれていた秘密とは。近頃、こんなに読む愉しみを堪能させてくれる小説を読んだことがない。一気に読まされてしまった。 「ろくでなしだろうが、聖人だろうが、そんなのは見たことがないよ。真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。人間も、その魂も同じことさ…」。「泣ける」という触れ込みの本や映画が流行る昨今だが、自分の魂の色も知らずして、手放しで泣いていられるほど、この世界も人間も単純ではない。全編をおおう戦争の影、愛する者を喪失した人間の魂の悲哀を描いて近頃稀に見る力作。人の営みの愛しさが読後にしみじみとした余韻を残す。
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陰鬱な小説である。 文体も決して読みやすいとは言えず、属性がくどいほど精緻過ぎたり、さほど重要でない人物の名前や風貌の描写も時として割りこんでくる。 しかし、読み進むうち、作者が綿密に計算した用意周到なプロットの罠に陥ちたことに気づくのはそう遅くはない。 この小説には語り手...
陰鬱な小説である。 文体も決して読みやすいとは言えず、属性がくどいほど精緻過ぎたり、さほど重要でない人物の名前や風貌の描写も時として割りこんでくる。 しかし、読み進むうち、作者が綿密に計算した用意周到なプロットの罠に陥ちたことに気づくのはそう遅くはない。 この小説には語り手が存在する。 「私」の素性ははっきりしない。 まるで、バルザックの『サラジーヌ』の語り手のように、一見第三者的だが、『サラジーヌ』の語り手よりもその情報は多く「私」はその事件の時や人々と絡み合っている。 第一次世界大戦の前後、フランスの田舍町で、10歳の少女が川で発見された。 少女は大聖堂の向かいにある食堂の末娘で、可愛らしく、店でも人気者だった。 この田舍の町には城があり、その城の城主は検察官であったが、少々変わり者で手伝いの者はいたが一人暮らしをしている。 彼は妻を亡くし、孤独であったが、威厳のある紳士であり城主であった。 やがて、その町の学校に、前任者が狂人になったため、後任として若い女性の教師がやってくる。 彼女は検察官の城内にある家に住むことになったが、暫くのちに突然死んでしまう。 そして、私の妻もはじめての子の出産で命を落とし、それから時は流れて検察官も死に、また時が流れ、誰も居なくなった城で、私はモロッコ革で覆われた赤い手帳を見つける。 時代、町、人々、殺人事件、戦争、愛憎、不信、悔恨、煩悶、これらが私の回想のなかで絡まり合い決してほどけることはない。それらは読者の心に一種のわだかまりを残し、謎解きのため、少女が沈められていた川の岸辺に、検察官の城に引き寄せられる。 赤い手帳は読者の謎をすべて解くことができるのだろうか。
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『あちこち揺れ動くものなど、はるか彼方の出来事のように思える。もはや私の物語とは言えない、ある大きな<物語>の渦のなかで、私は生きている。私は徐々に自分から離れてゆく』 この作家は過去の出来事を、その場の空気も写し取るように細かく登場人物に語らせながら、いつでも語られていない何...
『あちこち揺れ動くものなど、はるか彼方の出来事のように思える。もはや私の物語とは言えない、ある大きな<物語>の渦のなかで、私は生きている。私は徐々に自分から離れてゆく』 この作家は過去の出来事を、その場の空気も写し取るように細かく登場人物に語らせながら、いつでも語られていない何かがあることを伝えるのが巧みだ。しかもその語られていないことが、あたかも<真実>と呼ばれる類のものであるかのように思わせることが。 フィリップ・クローデルは「リンさんの小さな子」を読んだのが最初だったけれど、語られていない何かがあるという雰囲気はその本にも通底していたように思う。しかし、真実、と呼んでみたところでその言葉がどれ程のことをつかまえられるというのだろうか。語られなかったというのは語る必要がなかった、ほんの些細なことであったのだ、とも言えるのかも知れない。 その場の空気も写し取るようだと書いたけれど、その空気はめったに乾いていないし暖かくもない。こちらの身に着けているものまでずしりと重たくなったような気にさせる空気に満ちている。その重さはもちろん冷たい水気によるものだ。そんな感慨に囚われると、たちまちの内に湿った冷たさが肌に絡みついてくる錯覚に襲われる。着ているものの外側は雨とぬかるんだ泥に少しずつ覆われてゆく。汗と血と、ありとあらゆる体液が衣服に浸み込み、ますます重たくなる。その重さに耐えかねて、その場に、冷たい泥の中に押し込められてしまいそうな気になる。それを、フィリップ・クローデルの描く物語の悲惨さのせいであると言うこともできるだろう。 しかしある種の悲惨さは砂丘でまとわりつく砂粒のように振る舞うこともある。それは一端体に張り付くけれど、ゆっくりと乾き、手で払い落とせばさらさらと剥がれ落ちてゆく。しかしこの作家の描くものは違う。それはじっとりと身に着けているものに滲み込み体温を奪ってゆく。振り落とそうとしてもそれは衣服と渾然一体となってしまっている。だからと言って服ごと捨てて行こうにも、そこは余りにも寒さが厳しくて服を脱ぐことは適わない。その内に身に着けたものは形を失い粘土か何かのようになる。一つ一つの輪郭を失いやがて皮膚との境さえあいまいになる。 物語の中盤でやや唐突な形で描かれる神父の白い肌。濡れた服を脱ぎ取った下にあるものが白い肌であることの意味は、だからとても象徴的であると思うのだ。一方物語の語り手の肌は既に澱のようなものに覆われて白くはない。かといって黒でもない。つまりは灰色で、それはさっきまで身に着けていた服の色とさして違いはない。 この物語の中で、人々の人生は言葉によって語られてゆく。けれど、そうやって言葉が集められれば集められるほど、その物語の意味が失われてゆくように感じてしまうのはとても奇妙な感覚だ。言葉は、言葉を発したものから何かを抜き取ってゆく。やがて死がそのものに訪れ全てを奪ってゆく前に。死は全ての意味を押し流してしまう、と言ってしまえば余りに紋切り型に過ぎるけれど、一人の人間の中にあったものが言葉によって少しずつ写し取られ、別な物語の中に吸収されてしまった後では、言葉を発したものは用済みになるしかない。 しかし人はすがるように言葉を頼る。それが誤解されてしまおうと、何かを永遠に留めておくことなど叶わないと知っていたとしても。そうやってすっかり自分の中から吐き出す言葉がなくなった時、死が訪れる。語り切ったことが、真実を伝えきったこととは必ずしも同じことではないのは、余りにも必然なのだ、という感慨が残る。 『「ろくでなしだろうが、聖人だろうが、そんなのは見たことがないよ。真っ黒だとか、真っ白なものなんてありゃしない、この世にはびこるのは灰色さ。人間も、その魂も同じことさ…。あんたは灰色の魂、みごとに灰色、みんなと同じようにね…」「そんなものはみな言葉だ…」「言葉に恨みでもあるのかい?」』
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20世紀の初頭、フランスのある田舎町で、うつくしい少女が殺されます。彼女は一体誰に、そして何のために殺されたのか? 物語はそこから始まりますが、決してミステリーのお話ではなく、 長い長い冬の中で、冷えた肌の中にこころを隠してしまったひとたちが、ゆっくりと見えない道を歩いていくよ...
20世紀の初頭、フランスのある田舎町で、うつくしい少女が殺されます。彼女は一体誰に、そして何のために殺されたのか? 物語はそこから始まりますが、決してミステリーのお話ではなく、 長い長い冬の中で、冷えた肌の中にこころを隠してしまったひとたちが、ゆっくりと見えない道を歩いていくようなお話でした。 物語のキーパーソンとも言えるピエール=アンジュさんを、ノートルダムの鐘のフロロー判事で想像しながら読んでました。ちょっと顔が凶悪すぎるけれども…でもこの本で初めておじいさまと結婚したいという願望が生まれました。名前の通り、石のこころをもった天使でした。
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2003年から2004年にかけてフランス文学界に〈事件〉を巻き起こしたベストセラー小説。舞台は第一次大戦下の小さな町。冬の運河に浮かんだ10歳の美少女の死体から始まる「私」の物語は、あるいは時代をさかのぼり、あるいは後日談を明かしながら、さまざまな人間模様を綴ってゆく。謎解きは幾...
2003年から2004年にかけてフランス文学界に〈事件〉を巻き起こしたベストセラー小説。舞台は第一次大戦下の小さな町。冬の運河に浮かんだ10歳の美少女の死体から始まる「私」の物語は、あるいは時代をさかのぼり、あるいは後日談を明かしながら、さまざまな人間模様を綴ってゆく。謎解きは幾重にも絡み合い、読み出したら止まらない。この手記を書いている「私」とは誰か? パンクロック世代の作家が圧倒的な力量で書き上げた本作は、哀切きわまりないラストに向かってひた走る。
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第一次大戦下のフランスの片田舎の小さな町で起こる連続殺人事件というトピックだが、王道の推理小説でもなく、むしろアンチミステリーといった趣だが、静かな語り手による物語の展開はいたって緩慢である。この小説の要は語り手にある。語り手「わたし」の、急くことのない正確な状況描写(わかること...
第一次大戦下のフランスの片田舎の小さな町で起こる連続殺人事件というトピックだが、王道の推理小説でもなく、むしろアンチミステリーといった趣だが、静かな語り手による物語の展開はいたって緩慢である。この小説の要は語り手にある。語り手「わたし」の、急くことのない正確な状況描写(わかることのみを語る)は、事件の因果関係を明るみに出していくのだが、どうにも不透明な町の空気がその謎を覆い続ける。この町の人々は、戦時下にありながら戦争に駆出される兵員もおらず、日々の生活をただ送っているだけである。ただ遠くにはつねに砲撃の音を聞き、それを冷徹に見守るこの町の住民の無関心ぶりが「不思議な静けさ」を醸しだす。殺人事件の不可解さはこの町の人々の心の在り処と密接に関わっているのである。大作とはいえないが、訳者の見事な翻訳ぶりが伺える。
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