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東京焼盡 の商品レビュー

3.9

11件のお客様レビュー

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百間の東京空襲体験記…

百間の東京空襲体験記。時に詩的でさえある日記文学の名作

文庫OFF

2024/03/14

終戦間際の東京での生活を綴った日記。連日連夜の空襲警報、食糧難、自宅の焼盡と普通に考えると絶望的な状況であるが、日記の内容は淡々と記されており、それがリアリティを生んでいる。

Posted byブクログ

2023/08/16

読んだのは旺文社文庫。 「戦時中はみんな、怯えながらも目を吊り上げて有事の生活をすごしていたんだろう」となんとなく思っていた。 繰り返される空襲(殺戮)にあたふたしながら、さらには圧倒的な物の無い暮らしのなか、会社に行ったり買い物したり「普通の生活」を営んでいるということにやや驚...

読んだのは旺文社文庫。 「戦時中はみんな、怯えながらも目を吊り上げて有事の生活をすごしていたんだろう」となんとなく思っていた。 繰り返される空襲(殺戮)にあたふたしながら、さらには圧倒的な物の無い暮らしのなか、会社に行ったり買い物したり「普通の生活」を営んでいるということにやや驚く。考えてみれば当たり前なんだけどね。 ウクライナ侵攻でも怯え、隠れて暮らす人々など暗い生活ばかり報道されるが、出かけたり出社したり学校に行くなど、日々営みを続けているのだ。 自分は「怖い」ばかりでそんな生活はできないと思う。 8月15日、玉音放送を聞いての記述。 「熱涙滂沱として止まず。どう云ふ涙かと云ふ事を自分で考へる事が出来ない」 作家などの玉音放送を聞いたときの述懐で、百閒先生のこの文章がいちばんしっくりくるような気がする。複雑な感情の動きはあとになって分析して解明するのだ。 8月16日 「今日辺りから日本の新しき日が始まると思ふ」 という、切り替えの早さ。実にたくましい。 8月18日 「去年の十一月以来随分こはい目を見て来た。臆病だから人並以上に恐れたが、しかし心行くばかり恐れたと云ふ片付いた気持もある」 「こはい事をこはいと思ふまいとしたり何かに気を取られて或いは遠慮して中途半端に恐れるのは恐怖以外の不快感を伴なふ」 すでに客観的な”振り返り”に入っている。「あー、怖かった」てなもんである。 そして日記の最終日の8月21日 「何しろ済んだ事は仕方ない。『出なほし遣りなほし新規まきなほし』非常な苦難に遭って新らしい日本の芽が新らしく出て来るに違ひない」 悲惨な生活を強いられていたにもかかわらず、こうした希望を忘れないで生きてきた人たちのおかげで、僕らの今があるんだなぁ。 たくましく、頼もしいご先祖がたに顔向けできる生き方ができていないところが悲しいけど。

Posted byブクログ

2022/11/30

 単行本として発行されたのは1955(昭和30)年。百閒はずっと日記を書き続けたそうだが、本書には1944(昭和19)年11月から1945(昭和20)年8月までのものが収められている。  私は本書を永井荷風の日記『断腸亭日乗』の同時期の部分と比較するべく読んだ。同時期に東京に住ん...

 単行本として発行されたのは1955(昭和30)年。百閒はずっと日記を書き続けたそうだが、本書には1944(昭和19)年11月から1945(昭和20)年8月までのものが収められている。  私は本書を永井荷風の日記『断腸亭日乗』の同時期の部分と比較するべく読んだ。同時期に東京に住んでおり、同じように自宅を焼失している。  荷風の方が10歳年上で、1945年の時点では、荷風66歳、百閒56歳。  特に異なっているのは、百閒は結婚して妻と2人暮らしをしており、ときどき子どもが訪ねてきている。また、当時百閒は日本郵船の嘱託職員をやっていて、水曜と日曜以外は基本的に毎日昼から夕方まで、半日の勤務をしている。百閒は文筆業の傍ら・・・・・・というつもりだったろうが、戦争によって仕事がほとんど無くなり、給料中心で暮らしていたようだ。  荷風はこの東京空襲の時期も相変わらず散歩もしたが、ほとんどは独り自宅に籠もって本を読むか、発表する当てのない小説を黙々と書き溜めていた。一方、百閒のこの日記には、およそ文学の気配もない。読書についいても触れないし、小説を執筆した形跡もない。単に日記に書かなかっただけなのかもしれないが・・・・・・。  本書を読んですぐに気づくのは、百閒の恐ろしく几帳面なところだ。  何時何分に警戒警報が鳴り、何時何分に解除されたということを、毎日ひたすら几帳面に記録している。どうやら数字への欲求があるらしく、米軍機が何百機飛来したかということにもこだわっているし、自分や奥さんの体調が悪くなると、1時間ごとに体温を測って日記に記録する。  こんなに細かくて、では神経質かというと、そんなことはない。気分的にはおおらかなところがあって、生死に関わる非常事態にも萎縮していない。 <何年か後にたって顧れば、あの時分の生活は張りがあった、生き甲斐があったと云ふ事になるかもしれない。敵の空襲がこはいのと、食べ物に苦労するのと、それだけであって、後は案外気を遣はないのんきな生活である。>(1945年3月28日、P114)  百閒は1945年5月25日から翌日にかけての夜に自宅を焼失し、奥さんとともに、やむなく近所の家の庭にある小屋に避難し、そのままそこで暮らすことにする。もちろん、電気も台所もトイレも無い。しかしそんな状況にありながら、 <焼け出されたけれども雨露を凌ぐいほり出来たので、これからの明け暮れが楽しみである。>(同5月27日)  などと、すこぶるのんきにしているのだから驚く。  このように飄々とした人柄を思わせる百閒は、おのずと荷風のそれとは異なっており、荷風はこうなったら死ぬときは死ぬさ、くらいの捨て鉢な態度なのに対し、百閒は万一を覚悟しながらも飄々と生活を楽しんでいるようでもある。  おまけに、こんなときにもほとんどの日は休まず通勤し続けるのだから、当時の東京人というのはどこか奇妙な生活を続けていたらしい。  また、荷風は例によって一歩世間から身を引いて、世間や権力に対しては隙さえあれば批判してやろうと身構えているのだが、百閒にはそうしたスタンスはないものの、やはり当時の軍部に対しては面白くなく思っていたうようで、しばしば痛快な書き方が見受けられる。

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2021/10/27

火の下でも生きていた、息づいていた人間を想う。 数歩ばかり世相から離れた目、でも厭離しきらない目で綴られる記述が妙に心地好い。毎夏読む。

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2020/03/07

たまたま読んでる最中に「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を観る。どちらも市井の人々はもうなすすべもなく、読んでて辛くしんどかった。一夜の眠りすら安楽におくれないあんな生活は厭だ。昨今、そこに至る道がちらちら見えてる気がしてちょっとしんどい。

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2019/04/24

東京で初めて空襲警報が発令された昭和19年11月1日から終戦直後の昭和20年8月21日までを生き抜いた百閒先生のレポートである。日記の体裁をとっているため、ルーティンの描写が多いが、空襲とそれに伴う東京での暮らしが目に浮かぶように描かれている。5/30の条で、焼夷弾により家財を焼...

東京で初めて空襲警報が発令された昭和19年11月1日から終戦直後の昭和20年8月21日までを生き抜いた百閒先生のレポートである。日記の体裁をとっているため、ルーティンの描写が多いが、空襲とそれに伴う東京での暮らしが目に浮かぶように描かれている。5/30の条で、焼夷弾により家財を焼かれた著者が、雑用の堆積が焼き払われてせいせいしたと言う部分は、なんだか悲しいやら可笑しいやら。先日ブラタモリでやっていた戦時下のワイン醸造も、7/5の条で「酒石酸を抜きたる生葡萄酒」と出てきたので、思わずニヤリ。

Posted byブクログ

2019/02/05

政治・政局の批判に向かうでもなく、自分の不幸を嘆くでもなく、淡々とその日その日が楽しかったことを書き綴る。傍から見ていれば悲惨な生活なのに、百鬼園先生からすればこれもまた一興といったような悠然とした佇まいの暮らしのように受け取れるのだ。戦時下にも確かに幸せを見い出せるだけの知性の...

政治・政局の批判に向かうでもなく、自分の不幸を嘆くでもなく、淡々とその日その日が楽しかったことを書き綴る。傍から見ていれば悲惨な生活なのに、百鬼園先生からすればこれもまた一興といったような悠然とした佇まいの暮らしのように受け取れるのだ。戦時下にも確かに幸せを見い出せるだけの知性の持ち主がここに居た……改めて先生の凄味を思い知らされ、私も貧しい暮らしをしているけれど(先生と違って私はお酒は嗜まないけれど)この暮らし/人生を腹を括って受け容れようと思った次第だ。そう考えてみれば先生こそ「人生の教師」なのかも?

Posted byブクログ

2015/04/22

昭和19年11月から20年8月21日まで、東京都麹町区五番町?にお住まいだった、内田栄造さん(当時、55歳位)の空襲下の日記です。他人の日記を盗み読むのはかなり興味津々なことですが、これはやはり出版用に脚色してある雰囲気もあります。しかし、内田百閒というペンネームの著者の生活と空...

昭和19年11月から20年8月21日まで、東京都麹町区五番町?にお住まいだった、内田栄造さん(当時、55歳位)の空襲下の日記です。他人の日記を盗み読むのはかなり興味津々なことですが、これはやはり出版用に脚色してある雰囲気もあります。しかし、内田百閒というペンネームの著者の生活と空襲の記録はなかなか克明で素直に面白い、と感じさせられます。著者のお酒に関する並々ならぬ根性にも感動さられること(非酒飲みにとっては呆れること)請け合いです。(なお、私が読んだのは旺文社文庫版、1984年、です。)

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2013/05/28

内田百閒による日記。 ただに日記ではなく、毎日繰り返される「空襲警戒警報」と「空襲警報」、そして、空襲によって、まさに「焼盡」の記録。 すさまじいまでの観察力。 空襲によって、焼け野原となっていく東京だけでなく、人々の生活の営み、感情、そういった細部までの描写がやはり秀逸。 ...

内田百閒による日記。 ただに日記ではなく、毎日繰り返される「空襲警戒警報」と「空襲警報」、そして、空襲によって、まさに「焼盡」の記録。 すさまじいまでの観察力。 空襲によって、焼け野原となっていく東京だけでなく、人々の生活の営み、感情、そういった細部までの描写がやはり秀逸。 読む価値あり。 読んで、たいへんよかった。

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