日本経済新聞は信用できるか の商品レビュー
タイトル通り。 日経新聞は信用できねーって内容。 この手の話はメディア全般に言えることだわなーと。
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日経が、成果主義とかグローバルスタンダードとか、定見などなく流行のネタを持ち上げてきたという部分は肯ける。が、よく読むとあちこちで「経済予測が当たらない」という批判に陥ってしまう部分は肯けない。それを言うなら「誰か当たってる人いるの?」ということになってしまう。それこそじゃんけ...
日経が、成果主義とかグローバルスタンダードとか、定見などなく流行のネタを持ち上げてきたという部分は肯ける。が、よく読むとあちこちで「経済予測が当たらない」という批判に陥ってしまう部分は肯けない。それを言うなら「誰か当たってる人いるの?」ということになってしまう。それこそじゃんけんあと出し的批判だろう。 著者は「エコノミストは信用できるか」(文春新書)においても似たような観点から採点を行っている面があるが、これには疑問あり。経済予測は「あたらない」のが当たり前であって、経済評論家は予想屋じゃないし、経済学者もまたしかり。この観点からは、「じゃあおまえがやって見ろ」的な批判からは逃れられないし、著者はそんな勝負を受けて立つわけにはいかないだろう。 とはいえ、経済報道についてガリバーである日経新聞の、実践的な「使用上の注意」を書いたという意味では、評価すべき仕事だと思う。
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おそらく大学に入ると一度は「日経に目を通すように」と教授やOB・人事の方々から言われたことがあるのではないかと思うのですが、この日経とやらは一体どんな新聞なのか、どこまで信用できるのかを知るために手に取った本。 最初から日経のことを疑ってかかって読み始めたというバイアスがかか...
おそらく大学に入ると一度は「日経に目を通すように」と教授やOB・人事の方々から言われたことがあるのではないかと思うのですが、この日経とやらは一体どんな新聞なのか、どこまで信用できるのかを知るために手に取った本。 最初から日経のことを疑ってかかって読み始めたというバイアスがかかっていた事を考慮しても、あまりにも無責任な社説を垂れ流す新聞社なのだなと、読んでいて気分が悪くなってしまった。よくもまあ自分たちの事を棚上げして政治家や企業の批判を行えたものだ。 第一章では『検証バブル 犯意なき過ち』という、日経が出版した本の言及をしているが、「犯意がなかったから過ちが許されるというのでは、バブルの教訓は活かされない。他人を気にする横並び意識、保身、あきらめといった人間の弱さや、興奮と熱狂を喜ぶ人間の業。問題の根っこにあるそれらをどう補うか。我々は一定の答えを出したつもりだ」と、高らかに宣言している。 が、「公的資金の投入を早くしていれば、円高は防げたのではないか」と批判しているが自分たちは紙面で「日本の黒字の絶対水準は高い。長い調整過程で円高基調は必要な条件」「金融政策の運営は他国と比べて余裕がある。対外協調を優先した金融政策のカジとりに徹してよい」など、全く真逆のことをつらつらと述べていた。銀行の不良債権問題についても「まず銀行が徹底した自己努力をすべし。公的資金の投入よりもマクロの景気テコ入れ策を軸にするのが筋だ」、日銀がバブル崩壊の一因ではないかと「日銀が公定歩合を一気に引き上げたことで副作用が噴出し始めた。経済のプロを自認する集団が冷静な判断力を失ったのだろうか」と批判しておきながら、経済報道のプロである彼らは「引き上げをしたのは避けられない選択だった。国内のインフレ懸念を払拭するのも大事だが、米国の景気低迷のことを考慮すると利上げ競争の先頭に立つのは避けるべき」と、これまた真逆のことを述べていた。 さらには「我々日経も過ちを犯した」と認めてはいるが、読売・朝日・毎日新聞の論説を引き合いにだし、「間違えたのは自分たちだけでは無かった」と正当化を図る。 根拠となるデータを持ち出さずに「こんな見方は常識になっていた」「ほとんどの人が予想もしていなかった」「自覚はだれにも無かった」と断じてしまっている。冒頭の高らかな宣言はなんだったのだろう。ちなみにこの章の終わりで、筆者はこの本を「経済癒し本」と皮肉っている。 念の為にもう一度書くが、上に書かれているのは一章からのみの要約である。これがあと六章も続くのだからたまらない。 事あるごとに「アメリカ(中国)ではこうだ、日本は遅れている」という社説を書いているが、その尽くがきちんとした調査が行われたのかどうか疑わしいものであった事が記されており、「貴方がたは本当に日本の新聞社なのですか。アメリカから日本を貶めるように指示を受けているのですか。自分たちが経済情勢を把握するプロだという自覚はあるのですか。」と詰問したくなってしまった。 筆者が行った日本経済新聞の読者アンケートでは「職業上仕方なく読んでいる、他に情報を得られるものが乏しい」という、冷静かつ冷淡に本を読んでいるようで、本誌の内容への不満も寄せられていたようだ。 読者である私が、読んでいて何度となく毒づきたくなったのだから、過去の紙面を何度となく見返し、その度毎に日経の無責任な飛ばし記事を読まされた筆者は大変しんどかったと思われる。今後もこの筆者には期待していきたい。 それにしても、『菊と刀』の続編ではアメリカが、日本人をどうすれば都合よく動かせるのかを熟知していたとは・・・。
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就職して3年ぐらいは日経を購読していましたが、やめました。 日経の記者と企業の広報部の持ちつ持たれつの関係が生み出すアドバルーンまがいの観測記事。 たとえば今日の「サーバー型放送、2007年度開始へ」なんかは、観測記事の好例です。このレベルの観測記事は2000年頃から何回も掲...
就職して3年ぐらいは日経を購読していましたが、やめました。 日経の記者と企業の広報部の持ちつ持たれつの関係が生み出すアドバルーンまがいの観測記事。 たとえば今日の「サーバー型放送、2007年度開始へ」なんかは、観測記事の好例です。このレベルの観測記事は2000年頃から何回も掲載されています。 大学で就職活動をしていたころは、素直にすべての記事を真実と思って読んでいましたが、会社に入って記事の作られ方の実態を知るにつれ、年に5万の料金を払うのが馬鹿馬鹿しくなりました。 この本の攻撃の対象は、そういった部分よりも、特にその時々のアメリカ型を絶対「正」とする日経の論調がいかに首尾一貫していないか、日本をミスリードしてきたかという部分に集中しています。 さらに「それでも日経新聞しかまとまった情報源がないから読むしかない」という人向けに、日経新聞の読む際の注意点をもまとめてくれています。 日経の記者もサラリーマンなわけで、書く記事がなければ紙面を埋めるべく観測記事でもアメリカの受け売りでもなんでもしちゃうんだろうなと、個人的には記者に同情できなくもないですが。 よろしくないのは、本来は読みたくなければ読まなければいいだけのはずが、上司の世代とコミュニケーションするには、どうしても日経を読まなければ会話が成立しない、それだけの理由つまり上司からの強制や惰性で今の読者数が支えられているという点です。 オリジナルの情報源をもっていることは優秀なリーダーの一条件であり、日経新聞の大見出しを部下との話題にするようなベタな上司に優秀な人はいません。 日経新聞を読まない若い人はどんどん増えています。読まないから優秀な上司にならないかと言ったらそんなことはありません。 そしてそのような彼らが上司になっても、部下に「日経も読んでないのか、読め」と強制することはないでしょう。 彼らがベタな上司を追い越す時代になれば、加速度的に日経新聞の読者が減っていくことは間違いありません。
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