戦争の世紀を超えて の商品レビュー
68/100 41頁:(イエドヴァブネユダヤ人虐殺事件について姜さんが)虐殺に加担した父親が、帰宅したときには普通のお父さんになりうるということ。そこに戦争というか、殺戮の本質が非常によく表れていると思いますね。
Posted by
イエドヴァブネというところから始まった姜尚中と森達也の対談。普通の、あるいは善良の市民が大量虐殺に加担した理由は何だったのか、という疑問から戦争について考えていく。恐怖と、そこから生まれる被虐的な観念。この辺がキーワードとして語られていたけど、なかなか深い洞察に満ちていたと思う。...
イエドヴァブネというところから始まった姜尚中と森達也の対談。普通の、あるいは善良の市民が大量虐殺に加担した理由は何だったのか、という疑問から戦争について考えていく。恐怖と、そこから生まれる被虐的な観念。この辺がキーワードとして語られていたけど、なかなか深い洞察に満ちていたと思う。自虐が憎しみの連鎖を断ち切るという指摘がおもしろいと思った。21世紀は地球から戦争を失くすことができるのだろうか?
Posted by
森達也、といえば、読まなければなりません。 それに加えて姜 尚中。 え?読まずにいられるかって話。自分の教養のために。 相変わらず森達也氏のいいたいことの論点はといえば、 主語の喪失 と 想像性の欠如。 つまりは、主語が失われていくことへの喚起が行われているわけです。 ...
森達也、といえば、読まなければなりません。 それに加えて姜 尚中。 え?読まずにいられるかって話。自分の教養のために。 相変わらず森達也氏のいいたいことの論点はといえば、 主語の喪失 と 想像性の欠如。 つまりは、主語が失われていくことへの喚起が行われているわけです。 自分を主語に何事も考えていかないと。しかし、そうしないことは、とても楽なので、そうしてしまう。 自分に置き換えることや、もしくは実に自分を主語としていることでさえ、主語を失わせる。それってとっても生きるうえで楽なわけで、でもその、思考のなさが、すべてを悪い方向に持っていくのです。 自分たちの中にも過去の歴史の暗い部分を担うものがあり、かれらが日常の中で異常な行動をとったことを忘れてはならない。自分を主語にして。 一番感動したのは、アウシュビッツについて、二人が違和感を感じていたこと。私もこの間アウシュビッツに行って、なんだか違和感を感じた。 その違和感の理由を森達也氏は教えてくれた。 被虐についてのみ考えるのではなく、加虐について考えるべきなんだ! あまりにも被害者意識と、かわいそう、あんまりだ!って思いばかりがあらわされていて、思想の少なさ、というか、思考の少なさ、もしくは欠如があまりにも如実。 あぁ、被害者について考えることは、意外と簡単なんだから。私たちは、主語を自分にして、自分の心に聞いてみなければならない。そして、その残虐性や異常性が、日常の中に現れうるのだということを、認識しなければ。 とってもとってもいい本。なのですが、ちょっと無知な私には難しいところもあり、眠りに誘われることも多々・・・。
Posted by
- 1
- 2