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僕の叔父さん 網野善彦 の商品レビュー

4.4

34件のお客様レビュー

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2025/03/04

「僕の叔父さん 網野善彦」 https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292033.html 「ザスーリチへの手紙」 https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292131.html

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2024/12/13

筆者の中沢新一は、高名な宗教学者・哲学者。本の題名にもなっている、網野善彦は高名な歴史学者である。中沢新一の叔母が網野善彦と結婚したので、網野は中沢の叔父となったのである。2人は中沢がまだ子供の頃に出会い、そして中沢が長じて学問の道を歩むにしたがい、双方にとって最良の対話の相手と...

筆者の中沢新一は、高名な宗教学者・哲学者。本の題名にもなっている、網野善彦は高名な歴史学者である。中沢新一の叔母が網野善彦と結婚したので、網野は中沢の叔父となったのである。2人は中沢がまだ子供の頃に出会い、そして中沢が長じて学問の道を歩むにしたがい、双方にとって最良の対話の相手となる。本書の中で紹介されている対話の内容は、学問的な、知的な議論が中心であるが、もちろん、生活一般についての会話も多く行われたはずだ。 本書は、網野が亡くなった際に、中沢が追悼の書として記したものがベースとなっている。そして、その追悼文を下記のように結んでいる。美しい文章なので、下記に引用しておきたい。 【引用】 死は人生最善の友である。それに網野さんは揺るがない魂をもつ唯物論者だから、きっと恐れずにこの最善の友の手に、自分をゆだねていくのだろう。人生は神秘にみちている。私は自分が網野さんのような人と出会い、叔父と甥の関係をとおして親友のように仲よくなり、たがいが心に思うことを存分に語り合うことができた、そのことにかぎりない人生の神秘を感じるのだ。私は思うさま泣いて、そして深く感謝した。このようなつたない人間でしかない私を最後まで心からかわいがってくれた「僕の叔父さん」、長いあいだほんとうにありがとうございました。 【引用終わり】 叔父についての追憶は、筆者が初めて会った子供の頃に遡り、主として中沢が網野と語り合った会話の内容を中心に構成されている。その会話を通して、網野の人柄と共に、学者としての業績を描き切っている。評伝としても価値の高いものだと思う。

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2021/08/24

網野善彦と中沢新一(とその家族)の知の交感の姿。なんというか、中沢新一は中沢新一だし、網野善彦は網野善彦だった。感応するのも宜なるかな。そして血脈としての中沢家にも興味を持った。

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2021/07/10

この本が、網野善彦さんに興味を持つきかっけでした。網野さんのようなおじさんが近くにいらした中沢新一さんがうらやましいです!

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2020/07/26

宗教史学者・中沢新一さんが叔父であった歴史学者・網野善彦について語った本。 追悼文として、叔父・網野善彦との出会いから別れまでが書かれています。 網野善彦との濃密な交流の中で網野の学説「網野史観」が形作られていく状況が書かれており、網野史観の入門書として読むこともできます。

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2019/04/25

歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。 網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に...

歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。 網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に気づいたと、著者は証言しています。「民衆」は、国家が成立する以前の「自然」を体現する、かぎりなく神に近い存在であり、土地や社会関係などが生み出す「縁」から離れた人びとだとされていました。 従来の歴史学では、近代的な権力と、それと同じ地平で対峙する民衆との闘争という図式にもとづく理解がなされていました。しかしそうした民衆の理解は、近代の人間観の「底」を突き抜けていないと著者は批判します。そして、網野のたどりついた新しい「民衆」の概念は、そうした近代人よりも深いところに根ざしている「大地的概念」だったと述べられます。このような地平に降り立ったところに、網野史学の意義があると著者は考えています。 また、網野の『異形の王権』と、それを追いかけるかたちで書かれた著者の『悪党的思考』の「コラボレーション」についても触れられており、大胆すぎる思考の冒険と見られがちな中沢の思想の背景に、民俗学・歴史学的な資料がどのように利用されていたのかをうかがうことができます。

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2018/11/23

たしか、フォローしている「とくさん」のツイートで気になって図書館で借りたのだと思う。リンク先のツイートとは違うものだと思うのだけど、見つからない。 興味深い本だった。が、深すぎて自分には感想が書けないな。。

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2016/04/24

十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買...

十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買って読んでいた。柿爺にとって中沢というものはどこかうなぎのような存在で、こんどこそ捕まえたとおもったら、するりと逃げられてしまい毎度毎度歯がゆい思いをするのだった。そんなこんなで先日本屋でこの「僕の叔父さん 網野喜彦」をふと見かけ、早速読んでみることにした。網野喜彦が中沢新一の叔父さんであることは前から知っていた。この本を読んで網野と中沢の交流の本質的な部分や「悪党的思考」の書かれた舞台裏を知ることができきた。崇高な数学の問題がどうしても解けず、分かりやすい参考書の答えを見て「なあるほど」とやっと理解できたような、そんな感じ。

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2016/01/30

中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。 網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫...

中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。 網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫)にあたり、本書では、網野史学のエッセンスとそれが如何なる経緯で確立されていったのかという流れの中に、中沢氏が子供の頃の網野氏との出会いや、その後の密度の濃い交流の様子が散りばめられて描かれており、他の学者・評論家には書き得ないものとなっている。 また、大学時代の中沢氏が、網野氏との会話の中で、「非農業民の思想を追求することの中から生まれた網野史学と、芸能史を根拠地にする折口学とは、深いレベルで通底し合っているのだ。まれびとの神と自由都市を生み出す無縁の思想とは、根柢においてひとつのものである。そうか、折口信夫のまれびと論は、こっちの方向に発展させていかなきゃいけないんだ」とひらめいたという場面などは、学問・研究の場での叔父と甥の繋がりのエピソードとして、印象的なものである。 新たな歴史のアプローチを切り開いた歴史学者の叔父と、分野横断的な新しいアカデミズムのスタイルを持つ学者の甥の、交流の軌跡として、興味深い作品である。 (2005年9月了)

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2015/06/18

著者の中沢新一は20年ほど前新進気鋭の宗教学者としてメディアに登場しました。当時学生だった私は浅田彰などの著書といっしょに目を通すことはしました。が、どれもそれほど興味は持てずにいました。本書のタイトルにもなっている網野善彦は異端の歴史学者としてその名前は以前からよく目にしました...

著者の中沢新一は20年ほど前新進気鋭の宗教学者としてメディアに登場しました。当時学生だった私は浅田彰などの著書といっしょに目を通すことはしました。が、どれもそれほど興味は持てずにいました。本書のタイトルにもなっている網野善彦は異端の歴史学者としてその名前は以前からよく目にしました。しかし、私自身の興味がそこに向かわなかったため1冊の著書も手にすることはありませんでした。ところが3年ほど前、民俗学者宮田登との対談「歴史の中で語られてこなかったこと」(洋泉社新書y)をふと手に取り(宮田登の著書は以前に何冊か読んでいた。そこに至るには伊藤比呂美という詩人との対談がある。)、とくに「もののけ姫」を観たすぐ後ということもあって、それを一気に読み通した。そのとき、宮田氏はすでに亡くなられていた。網野さんの本をいつかじっくり読まないといけないとだけ思って、そのままになっていた。そしてその網野さんも亡くなられたという記事を新聞紙上に見つけた。たぶんそのときだったと思う。中沢さんが網野さんの甥にあたるということを知ったのは。本書の広告を新聞で見たとき、なぜかものすごく興味をそそられ、すぐに読みたいと思った。近くの書店は売り切れ。アマゾンで注文して、他の本といっしょだったのでものすごく時間がかかったのだけど(と言っても1週間くらい)、手にして一気に読み通した。あとがきで中沢さん自身が本書を執筆するときには何かにとりつかれたようだったと述懐しておられるが、私もまた、何かにつかれたように本書を読んだ。中沢さんのお父さん(網野さんにとっては義兄)や新一さんと網野さんとの会話のようすが、本当にありありと描写されており、新一さんがそういう環境にいられたことをうらやましく思った。対話から得られるものがどれほど多いかを思い知らされた。そして、本書を読んだことで私自身の興味も次から次へと広がっていく。直接対話ができる環境になくとも、読書から得られる「つながり」というものの影響は本当に大きい。(これを読むと、本書が私の中沢新一デビューだったのかもしれない)

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