僕の叔父さん 網野善彦 の商品レビュー
網野善彦と中沢新一(とその家族)の知の交感の姿。なんというか、中沢新一は中沢新一だし、網野善彦は網野善彦だった。感応するのも宜なるかな。そして血脈としての中沢家にも興味を持った。
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この本が、網野善彦さんに興味を持つきかっけでした。網野さんのようなおじさんが近くにいらした中沢新一さんがうらやましいです!
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宗教史学者・中沢新一さんが叔父であった歴史学者・網野善彦について語った本。 追悼文として、叔父・網野善彦との出会いから別れまでが書かれています。 網野善彦との濃密な交流の中で網野の学説「網野史観」が形作られていく状況が書かれており、網野史観の入門書として読むこともできます。
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歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。 網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に...
歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。 網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に気づいたと、著者は証言しています。「民衆」は、国家が成立する以前の「自然」を体現する、かぎりなく神に近い存在であり、土地や社会関係などが生み出す「縁」から離れた人びとだとされていました。 従来の歴史学では、近代的な権力と、それと同じ地平で対峙する民衆との闘争という図式にもとづく理解がなされていました。しかしそうした民衆の理解は、近代の人間観の「底」を突き抜けていないと著者は批判します。そして、網野のたどりついた新しい「民衆」の概念は、そうした近代人よりも深いところに根ざしている「大地的概念」だったと述べられます。このような地平に降り立ったところに、網野史学の意義があると著者は考えています。 また、網野の『異形の王権』と、それを追いかけるかたちで書かれた著者の『悪党的思考』の「コラボレーション」についても触れられており、大胆すぎる思考の冒険と見られがちな中沢の思想の背景に、民俗学・歴史学的な資料がどのように利用されていたのかをうかがうことができます。
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たしか、フォローしている「とくさん」のツイートで気になって図書館で借りたのだと思う。リンク先のツイートとは違うものだと思うのだけど、見つからない。 興味深い本だった。が、深すぎて自分には感想が書けないな。。
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十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買...
十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買って読んでいた。柿爺にとって中沢というものはどこかうなぎのような存在で、こんどこそ捕まえたとおもったら、するりと逃げられてしまい毎度毎度歯がゆい思いをするのだった。そんなこんなで先日本屋でこの「僕の叔父さん 網野喜彦」をふと見かけ、早速読んでみることにした。網野喜彦が中沢新一の叔父さんであることは前から知っていた。この本を読んで網野と中沢の交流の本質的な部分や「悪党的思考」の書かれた舞台裏を知ることができきた。崇高な数学の問題がどうしても解けず、分かりやすい参考書の答えを見て「なあるほど」とやっと理解できたような、そんな感じ。
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中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。 網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫...
中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。 網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫)にあたり、本書では、網野史学のエッセンスとそれが如何なる経緯で確立されていったのかという流れの中に、中沢氏が子供の頃の網野氏との出会いや、その後の密度の濃い交流の様子が散りばめられて描かれており、他の学者・評論家には書き得ないものとなっている。 また、大学時代の中沢氏が、網野氏との会話の中で、「非農業民の思想を追求することの中から生まれた網野史学と、芸能史を根拠地にする折口学とは、深いレベルで通底し合っているのだ。まれびとの神と自由都市を生み出す無縁の思想とは、根柢においてひとつのものである。そうか、折口信夫のまれびと論は、こっちの方向に発展させていかなきゃいけないんだ」とひらめいたという場面などは、学問・研究の場での叔父と甥の繋がりのエピソードとして、印象的なものである。 新たな歴史のアプローチを切り開いた歴史学者の叔父と、分野横断的な新しいアカデミズムのスタイルを持つ学者の甥の、交流の軌跡として、興味深い作品である。 (2005年9月了)
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著者の中沢新一は20年ほど前新進気鋭の宗教学者としてメディアに登場しました。当時学生だった私は浅田彰などの著書といっしょに目を通すことはしました。が、どれもそれほど興味は持てずにいました。本書のタイトルにもなっている網野善彦は異端の歴史学者としてその名前は以前からよく目にしました...
著者の中沢新一は20年ほど前新進気鋭の宗教学者としてメディアに登場しました。当時学生だった私は浅田彰などの著書といっしょに目を通すことはしました。が、どれもそれほど興味は持てずにいました。本書のタイトルにもなっている網野善彦は異端の歴史学者としてその名前は以前からよく目にしました。しかし、私自身の興味がそこに向かわなかったため1冊の著書も手にすることはありませんでした。ところが3年ほど前、民俗学者宮田登との対談「歴史の中で語られてこなかったこと」(洋泉社新書y)をふと手に取り(宮田登の著書は以前に何冊か読んでいた。そこに至るには伊藤比呂美という詩人との対談がある。)、とくに「もののけ姫」を観たすぐ後ということもあって、それを一気に読み通した。そのとき、宮田氏はすでに亡くなられていた。網野さんの本をいつかじっくり読まないといけないとだけ思って、そのままになっていた。そしてその網野さんも亡くなられたという記事を新聞紙上に見つけた。たぶんそのときだったと思う。中沢さんが網野さんの甥にあたるということを知ったのは。本書の広告を新聞で見たとき、なぜかものすごく興味をそそられ、すぐに読みたいと思った。近くの書店は売り切れ。アマゾンで注文して、他の本といっしょだったのでものすごく時間がかかったのだけど(と言っても1週間くらい)、手にして一気に読み通した。あとがきで中沢さん自身が本書を執筆するときには何かにとりつかれたようだったと述懐しておられるが、私もまた、何かにつかれたように本書を読んだ。中沢さんのお父さん(網野さんにとっては義兄)や新一さんと網野さんとの会話のようすが、本当にありありと描写されており、新一さんがそういう環境にいられたことをうらやましく思った。対話から得られるものがどれほど多いかを思い知らされた。そして、本書を読んだことで私自身の興味も次から次へと広がっていく。直接対話ができる環境になくとも、読書から得られる「つながり」というものの影響は本当に大きい。(これを読むと、本書が私の中沢新一デビューだったのかもしれない)
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(2015.06.11読了)(2010.07.02購入) 「日本の歴史をよみなおす」を読んだときは、資料をどう読むかで歴史の読み方が変わってしまうことに驚いてしまいました。 その後、いくつかの著作を読んだのですが、この本で取り上げられているのは、『蒙古襲来』ぐらいしか読んでいませ...
(2015.06.11読了)(2010.07.02購入) 「日本の歴史をよみなおす」を読んだときは、資料をどう読むかで歴史の読み方が変わってしまうことに驚いてしまいました。 その後、いくつかの著作を読んだのですが、この本で取り上げられているのは、『蒙古襲来』ぐらいしか読んでいません。『無縁・公界・楽』『異形の王権』などは、今後読んでゆきましょう。 この本を読むと、網野さんが中沢家と姻戚関係を結んだことによって、網野史学が深化していった様が明らかにされています。網野さんの著作だけを読んだだけでは見えてこない、別の視点が見えてくるので、網野史学に対する理解が深まるのではないでしょうか。 興味深く読めた本でした。 【目次】 第1章 『蒙古襲来』まで アマルコルド(私は思い出す) 民衆史のレッスン 夜の対話 鳥刺しの教え キリスト教・皇国史観・マルクス主義 「トランセンデンタル」に憑かれた人々 飛礫の再発見 網野史学の誕生 真新しい「民衆」の概念 第2章 アジールの側に立つ歴史学 『無縁・公界・楽』の頃 若き平泉澄の知的冒険―対馬のアジール 自由を裏切るもの 未来につながる書物 仮面と貨幣 第3章 天皇制との格闘 コミュニストの子供 昭和天皇に出会った日 宗教でもコミュニズムでもない道 愛すべき「光の君」 国体とCountry’s Being 魔術王後醍醐 天皇制と性の原理 コラボレーション 異類異形の輩 葛の花踏みしだかれて 終章 別れの言葉 あとがき ●新しい歴史学(23頁) マルクス主義に『野生の思考』を導入して、時間の呪縛から人間を解き放つ、新しい歴史学というのがつくられなければならないんだよ ●歴史学とは(70頁) 歴史学とは、過去を研究することで、現代人である自分を拘束している見えない権力の働きから自由になるための確実な道を開いていくことであると、網野さんは信じていた。 ●コミュニズム(121頁) ぼくの考えでは、コミュニズムは宗教も含めて無限の可能性を持つ人間的自由を封じ込めてしまういっさいのもの、もちろん、その代表は宗教なんだけどね、そういうものへの闘いとして生み出されながら、またたくまに自由を拘束するための怪物的機構に変貌してしまった。 ●天皇制(124頁) 今の歴史学が説いているように、天皇制がただの封建的な抑圧機構であるとすると、武士権力はそれを消滅させて、別のものに置き換えることもできたはずです。ところが、そうしなかった、いやできなかった。いったいなぜなのか。 ●日本人と米(139頁) 米は食べるためにではなく、租税を収めるためにつくっていただけなんです。それに宴会などのハレの食事を見てみると、今だってサシミとか焼き魚が中心で、米の飯なんかは食べないのが本当でしょう。日本人は米を食べるのが好きだというのは、一つの神話ですね。 ☆中沢新一さんの本(既読) 「チベットのモーツァルト」中沢新一著、せりか書房、1983.11.20 「宗教入門」中沢新一著、マドラ出版、1993.02.01 「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一著、集英社新書、2006.08.17 ☆網野善彦さんの本(既読) 「日本中世の民衆像」網野善彦著、岩波新書、1980.10.20 「日本の歴史をよみなおす」網野善彦著、筑摩書房、1991.01.30 「続・日本の歴史をよみなおす」網野善彦著、筑摩書房、1996.01.20 「蒙古襲来(上)」網野善彦著、小学館ライブラリー、1992.06.20 「蒙古襲来(下)」網野善彦著、小学館ライブラリー、1992.06.20 「日本社会の歴史(上)」網野善彦著、岩波新書、1997.04.21 「日本社会の歴史(中)」網野善彦著、岩波新書、1997.07.22 「日本社会の歴史(下)」網野善彦著、岩波新書、1997.12.22 「歴史を考えるヒント」網野善彦著、新潮選書、2001/01 (2015年6月17日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。
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網野さんの本を読んでも、中沢新一の本を読んでも、こんなに面白く読み易くは読めないように思った。なにより中沢新一の、網野さんへの愛が強くてとても良い!
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