放送禁止歌 の商品レビュー
人の無関心・無知が、…
人の無関心・無知が、また多くの人を傷つける。この本で、そんなことを知った。放送禁止の歌が成立した過程、それらに関わる人々。この本を読んで多くの人にその衝撃を味わってもらいたい。
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時代は変わった 以…
時代は変わった 以前放送禁止だった言葉は今では解禁になった言葉も少なくない。だけど 人の内面はどれだけ変わったのだろうか。差別する 区別する そんなことがなくなる日はくるのだろうか
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様々な理由からメディ…
様々な理由からメディアに締め出されていた「放送禁止歌」。その規格の虚構性から「歌」が生み出された社会的背景までを描ききった良作。
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8歳下の森達也が心の奥の小さな炎に燃料をくれた。こんな人だろうとは思っていたがそれ以上だった。 岡林の声が聞きたかった! Spotifyで岡林の「手紙」や「チューリップのアップリケ」を聴きながら。
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放送禁止歌はまことしやかに言われて来た事で、子供の頃から様々な曲が放送禁止になっていると耳に入ってきたものでありました。最も昔に聴いたのは「キンタの大冒険」と「お万の方」の2曲でしたが、これに関してはそりゃそうだろうとしか思わなかったし、むしろ聞きたくなるためのスパイス位に思って...
放送禁止歌はまことしやかに言われて来た事で、子供の頃から様々な曲が放送禁止になっていると耳に入ってきたものでありました。最も昔に聴いたのは「キンタの大冒険」と「お万の方」の2曲でしたが、これに関してはそりゃそうだろうとしか思わなかったし、むしろ聞きたくなるためのスパイス位に思っていました。 それなりの年になった時に「イムジン河」という発売禁止だった曲が改めてリリースされてニュースになった時、何とも言えない違和感を感じたものでした。 自分もギターを弾くようになって、過去のフォークを勉強する時に沢山の放送禁止曲が有る事を知りました。放送禁止になりそうな体制批判や過激な内容。性的な内容など分かりやすいものの中に「なぜ」と思わせる曲が混ざっている事を不思議に思っていました。 この本で森さんは放送禁止をする大きな権力と戦うつもりでありましたが、そもそも放送禁止歌というものはなく、「要注意歌謡指定」というガイドラインがあっただけで罰則は無かったし、1983年を最後に自然消滅しているとの事でした。 これは何を意味しているかというと、見えない何かに配慮して放送自粛した挙句、その相手は既に消滅して存在していなかった。これって物凄く怖い話だと思います。 他の事に関しても、誰も困らない慣例になっている禁止事項に関しても、そういった忖度で永遠に禁止し続ける事があり得るという事です。 何とも虚しく、無限に怖い話です。
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ちょっと目を通してみたら気づけば最後まで読み切っていた。 多くは語らないけど(根)深いわこれ……。 単なる放送禁止の話だと思ったら火傷する。 ポリコレに対するカウンターとしては抜群の内容でもあると思う。
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選挙を前に政権があからさまにメディアへ圧力を掛ける様子が連日Twitterに流れる。だからか余計に、この本の指摘がリアルに刺さる。後半、デーブ・スペクターさんの語るアメリカ事情は特に明快で分かりやすかった。同和問題を間口に切り開くので苦手な人も多いかも。
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●こんなに放送禁止歌があるとは驚く。 ●見えない何かを追い続けて、それは自分の中にいたというような… ●忖度の自主規制が膨大な禁止事項を生み出す。そこには中心はない。 ●難しい問題だけど、向き合って、考えていくしかないんだよね。ガイドラインは思考を停止できるから楽だけど、やっぱり...
●こんなに放送禁止歌があるとは驚く。 ●見えない何かを追い続けて、それは自分の中にいたというような… ●忖度の自主規制が膨大な禁止事項を生み出す。そこには中心はない。 ●難しい問題だけど、向き合って、考えていくしかないんだよね。ガイドラインは思考を停止できるから楽だけど、やっぱり頼ってしまったらダメ。表現者、ジャーナリズムなら尚更。
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2020年11月読了。 畏友芝田兄よりご恵贈の一書。 フジテレビの超深夜番組(26時スタートとかそんなんじゃなかったかな)ノンフィックスで放送されたのが1999年の11月というから、もう20年以上も前の作品なんだけど、衝撃的な内容だったので今も記憶に新しい。 「実際には「放送禁...
2020年11月読了。 畏友芝田兄よりご恵贈の一書。 フジテレビの超深夜番組(26時スタートとかそんなんじゃなかったかな)ノンフィックスで放送されたのが1999年の11月というから、もう20年以上も前の作品なんだけど、衝撃的な内容だったので今も記憶に新しい。 「実際には「放送禁止歌」などというものは存在せず、せいぜい民放連の内規みたいなものしかなくて、実は差別とか、反政府運動とか、もっと言うとそんな硬派なジャンルじゃない歌であっても、いわゆる「厄介な存在」である歌を、いわば厄介払い的に放送できない、しない、しちゃいけない」と思考停止的にメディアが扱ってきた経過が非常に鮮明に描かれている。 テレビ番組の方は、最後のところで、「誰が放送禁止歌を放送禁止歌たらしめているのか?」という問いに対して、鏡をカメラで捉えて「おまえだ」というメッセージの後で岡林信康の「手紙」が流れるという、当時高校生だった自分にとっては非常に衝撃的な内容だったと記憶している。つまり、無自覚に「臭い物には蓋」をすることで、差別やその背景を理解しようとすることなく、当座の安穏を維持するというその姿勢に批判が向けられていた、なんということは、だいぶ後年になってようやく理解できたような気がする。 なお、岡林信康は同志社大学神学部中退、小生は在学中に被差別の問題にはそれなりに関心を持ち、京都や大阪のそれらの地域を巡ったこともある。 分からないことには蓋をしたり、とかく付和雷同しがちな性向には、日頃から注意している。と言いながらそんなに強くはないので、せめておっかなびっくりながらも物事を仔細に見たり、異なる方向から見るよう心がけている。
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「差別」と言うものはほとんど能動的なものだと思っていたけど、私たちの文化や生活の中で刷り込まれた「無自覚の差別」の存在を初めて知った。 ただ、個人が無自覚を自覚しても「社会の無自覚」に飲み込まれてしまうのではないかと思う。そうした空気や同調性を正せなければ、恐らくあらゆる形の差別...
「差別」と言うものはほとんど能動的なものだと思っていたけど、私たちの文化や生活の中で刷り込まれた「無自覚の差別」の存在を初めて知った。 ただ、個人が無自覚を自覚しても「社会の無自覚」に飲み込まれてしまうのではないかと思う。そうした空気や同調性を正せなければ、恐らくあらゆる形の差別はなくならないのだろうな。
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