放送禁止歌 の商品レビュー
誰が放送禁止の規定や法律を作っているのか、というところから、取材ははじまる。しかし、調べていくと、放送禁止という規定あるいはガイドラインさえがそもそも現存せず、テレビ局各局というよりは、もっと小さい単位の制作の番組毎に、自主規制の空気感が醸成し放送禁止歌、テーマ、言葉といったよう...
誰が放送禁止の規定や法律を作っているのか、というところから、取材ははじまる。しかし、調べていくと、放送禁止という規定あるいはガイドラインさえがそもそも現存せず、テレビ局各局というよりは、もっと小さい単位の制作の番組毎に、自主規制の空気感が醸成し放送禁止歌、テーマ、言葉といったように「禁止」のムードが出来上がっていた、というのにびっくり。面倒は嫌だから、臭いもの、というより、臭そうな物にはハナから蓋をする、という事らしい。 デーブスペクターと森達也の対談が面白く、日本人は一度も人権公民権など、権利を自ら勝ち取った事がない。時代の変遷と共に、与えられて来ただけだから、法律や規則に対して疑い挑んでいく、対話していく、という姿勢がそもそも見受けられないとシカゴ出身ユダヤ人としてデーブスペクターが意見していた。。そもそもデーブスペクターって埼玉出身という設定じゃなかったっけ?と思った。
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実際にはもう存在しない放送禁止歌という規制(もともと規制ではなかった)を通じて、自分の頭で考えるということの重要性を説く。 (108)
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図書館で。 テレビ番組の放映が先にあり、その資料というか調査をまとめた感じ。中々興味深かったです。 放送禁止歌というものを調べていくと実はそんな規制は無かった、共有幻想にとらわれていた、という事がわかるのは恐ろしくもあり、中々興味深く読みました。 結局の所、情報を発信する方が自...
図書館で。 テレビ番組の放映が先にあり、その資料というか調査をまとめた感じ。中々興味深かったです。 放送禁止歌というものを調べていくと実はそんな規制は無かった、共有幻想にとらわれていた、という事がわかるのは恐ろしくもあり、中々興味深く読みました。 結局の所、情報を発信する方が自分の発言に自信がない、責任を取りたくないという所から出てきたんだろうなという事がよくわかります。 思考を停止して、ある単語が出てくるもの、自称を想起させるものを排除していくという方が簡単なのはわかりますがそれでは臭いものに蓋をしているだけなんだよな。場当たり的に対処していった結果、言葉狩りや検閲は悪いものだ!と言う声は上がるもののじゃあその検閲は誰がどうしてしているんだ?という所に目が行かない辺りは盲点だと思います。 ネットの書きこみなんて匿名を止めた方が良いんだろうなぁなんて思いました。アレこそ無責任発言のオンパレードだもんな。
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本のタイトルだけ見れば、放送禁止になった歌を集めた解説本だと勘違いされる方もいるだろうけれど、これは1999年5月23日の深夜に放送されたドキュメンタリー番組「放送禁止歌」の制作過程を追ったノンフィクション作品になっている。 著者の森達也氏はこの番組のディレクターだった人(僕...
本のタイトルだけ見れば、放送禁止になった歌を集めた解説本だと勘違いされる方もいるだろうけれど、これは1999年5月23日の深夜に放送されたドキュメンタリー番組「放送禁止歌」の制作過程を追ったノンフィクション作品になっている。 著者の森達也氏はこの番組のディレクターだった人(僕はオウムを扱ったドキュメント番組絡みでこの人の名前だけは知っていた)。 日本には法的に規制された「放送禁止歌」は存在しない、ということは実は知っていた。 ある程度の規範が示され、それに伴う各メディアの自主規制によって、いわゆる「放送禁止歌」が生まれてくる、ということも知っていた。 ただ、表面的に知っていただけであり、本書を読むまで全く知らなかったことが実に多く、本当に目からウロコの読書体験にもなった。 本書を読んでいると、「え、冗談でしょ?」なんて理由で放送を自粛するケースが結構ある。 本当かどうかはわからないが(ネットで検索すると「本当にあった」らしい)、例えば「ブラック・サバス」という名前のバンドの曲が全て放送自粛になった。 理由は「ブラック・サバスという言葉の響きが部落差別に似ている」から。 北島三郎のとある曲に「キュッ、キュッ、キュッ」という合いの手が入るが、これも放送自粛となった。 理由は「このキュッ、キュッ、キュッという音がベッドのきしむ音を連想させる」から。 この曲の詩の前後をどう読んでも、ベッドのきしむ音を連想させる内容は一切出てこないにも関わらず。 勿論、「ああ、これはちょっと公共の電波に乗せるのはまずいかな」という内容の曲もあるが、殆どが「とにかくちょっとでもクレームがありそうな箇所があったら自粛しちゃえ」というやり方のように思える。 あるいは、自分たちの頭で何も考えずに機械的に自粛してしまう。 自粛する方は楽だろうけれど、された方はたまらない(実際に歌手生活を絶たれたアーティストもいるし)。 とまぁ、読んでいるうちに腹が立ってくることにもなるのだけれど、本書のメインはもっと違ったところにあったように思う。 始めにドキュメンタリー番組の制作過程を追った作品、と書いたけれど、メインは「竹田の子守唄」を軸とした被差別部落の問題提起なのだろうな、と僕は解釈した。 被差別部落に対する知識は全く持ち合わせていないし、(差別された)経験も、(差別した)経験も(多分)ないし、非常に微妙で注意を要する問題だと想像できるので、ここでこの問題云々を書くことは出来ない。 ただ、「差別」ということに対して、色々と自問し、考えを巡らさざるを得ない状態に陥ってしまったことは事実だ。 僕は本当に差別をしてこなかったのか? 知らないうちに差別をしてきたのではないのか? ここでいう差別とは部落問題のことだけではなく、大きなところではナショナリズムが絡んでくる差別や、小さなところではほんの些細な優越感が生み出す他人を見下すような態度も含む。 そう考えてくると、はたして自分は差別を一切行ってこなかったのだろうか、といった自問に対して自信を持って答えることは出来なくなってしまう。 そして、そう考えてくると、前出の「冗談のような理由で自粛を決定してきた」人々を、果して僕は笑えるのか、という疑問にも直面する。 著者の森氏は、無自覚に自粛しているメディアに憤りを覚えながらも、自分自身もメディアの人間であることにジレンマを抱えている。 そして本書を読む方の僕も、読み終えた後にすっきりとしないモヤモヤを抱えている。 人間って何だろうねぇ……。 後書きを読むと「アジール」という単語が出てくる。 「聖域。自由領域。避難場所」(森氏は「異界・外界」としている)という意味の言葉で、あまりなじみがないのでご存知ない方も多いと思う。 僕は日本のロック・バンド「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」のアルバム「アジール・チンドン」でこの言葉は知っていた。 この「アジール・チンドン」には、赤い鳥ヴァージョンの「竹田の子守唄」が収録されている。 また、同バンドの「デラシネ・チンドン」というアルバムには、「竹田の子守唄」の元唄となった「竹田こいこい節」「竹田の子守唄(元唄)」が収録されている。 これら元唄も、赤い鳥ヴァージョンに負けないくらいに胸にしみてくる。 ちなみに「デラシネ」とはフランス語で「根なし草。祖国を失った人。故郷から疎外された人」という意味。 いずれにしても、非常に複雑な読後感を味わうことになった作品だった。
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初読の時に印象的だったのは「イムジン河」。書名どおり放送禁止歌という構造が強く記憶に残った。しかし、再読した今日は差別問題に言及したTVディレクターだった著者の筆致に想いを致す。放送禁止歌、同用語は共同幻想という砂上の楼閣の上に、21世紀の現代にも息づいている。関東・東北に被差別...
初読の時に印象的だったのは「イムジン河」。書名どおり放送禁止歌という構造が強く記憶に残った。しかし、再読した今日は差別問題に言及したTVディレクターだった著者の筆致に想いを致す。放送禁止歌、同用語は共同幻想という砂上の楼閣の上に、21世紀の現代にも息づいている。関東・東北に被差別部落がないかのような書きぶりだが、関東でも主に城下町には同和問題が残っている。本書の奥深さは、再読によりようやく認識できた。ただ自分の読書歴の中で『東京の下層社会』などを読む潜在的な欲求は本書の影響かも知れない。
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「理系の子」と、立て続けに当たりノンフ。こうなると、しばらくノンフばかりを手に取りたくなるくらい。それはさておき、これも面白かったです。かなり偏った音楽嗜好を持っている自分は、ここで取り上げられている楽曲も殆どが知らないものばかり。ただ、サザン(桑田佳祐)偏愛の流れで、「ヨイトマ...
「理系の子」と、立て続けに当たりノンフ。こうなると、しばらくノンフばかりを手に取りたくなるくらい。それはさておき、これも面白かったです。かなり偏った音楽嗜好を持っている自分は、ここで取り上げられている楽曲も殆どが知らないものばかり。ただ、サザン(桑田佳祐)偏愛の流れで、「ヨイトマケ~」と「I love youは~」がいわゆる放送禁止になったことは知っていて、でもなぜダメなのかが全く分からず、選定基準を知りたいとは思ってました。そもそも有名無実だったとは… その事実にも驚いたし、とっくに期限切れってことにもビックリ。アメリカでの実情と照らし合わせて見えてくるのは、悪い方向に発揮された日本人ならではの忖度ですね。見直すべきは、「デリケートな問題だから…」って言葉だけで思考停止に陥ってしまう回路ですね。
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この本を読むまでは「放送禁止歌」と呼ばれる曲があることを知らなかった。 誰が、いつ、どんな基準で決めたのか? 著者である森さんが丁寧な取材で次々と明らかにしていく。 正確には要注意歌謡曲と言うらしい。 一覧表がガイドラインとして作られてもいた。 取り扱いは3つの区分があり A. 放送しない B. 旋律は使用してもよい C. 不適当な箇所を削除または改訂すればよい と分かれていた。 森さんがある歌手に質問をしている。 「放送禁止とされた原因となった歌詞を替えて歌えば?」と。 これに対し歌手はきっぱりと答えている。 「絶対にそれはない。歌とはそんなものじゃない。 もし言葉を言い替えたならその瞬間に、この歌は意味をすべて失う。 だったら僕はもう歌わない」 歌には作った人間の思いが込められている。 第三者に不適当だと決め付けられても納得などなかなか出来ないだろう。 もともとこの本は、森さんが「放送禁止歌」をテーマにとりあげ、ほとんど視聴している人などいないだろう深夜に放送された番組制作過程の話が元になっている。 番組のラストには黒い画面にタイムコードだけを入れた状態で、岡林信康の「手紙」が流された。 NHK「紅白歌合戦」での美輪明宏の「ヨイトマケの唄」の熱唱はまだ記憶に新しい。 発売後まもなく民放連により「要注意歌謡曲」に指定され、以降民放では放送されなくなる。 制度自体は1983年に廃止されたが、実際はその後も制度の影響は続いた。 「紅白歌合戦」で初めてこの曲を知り、思わず聴き入った。 指定された原因はどうやら歌詞の中にある「土方」という言葉らしい。 歌そのものが持つ圧倒的な存在感を前に、規制をした人たちは何を思ったのだろうか? 本書には多くの楽曲が登場する。 もちろん、すべてが「放送禁止歌」である。 それらの多くは、現在YouTubeなどで聴くことが出来る。 「手紙」を探して聴いてみた。 切なくて哀しい歌だった。 正直、私にはこれらの差別に対して何かを語るには知識がなさすぎる。 生まれてから一度もそういう差別を身近に感じたことがないからだ。 「これっていまの日本でもあることなの?」と不思議な思いがしたくらいだ。 けれど、きっと現実のことなのだと思う。 そう思いながら「手紙」を聴くと、より胸が痛くなる。 「放送禁止歌」というだけでなく、多くのことを考えさせられた1冊となった。
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そういえば『拝啓、ジョン・レノン』も、ジョン・レノンを侮辱しているという抗議がくる「かもしれない」からって、NHKで放送自粛になったという騒動があったなぁ。
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[ 内容 ] 岡林信康『手紙』、赤い鳥『竹田の子守唄』、泉谷しげる『戦争小唄』、高田渡『自衛隊に入ろう』…。 これらの歌は、なぜ放送されなくなったのか? その「放送しない」判断の根拠は? 規制したのは誰なのか? 著者は、歌手、テレビ局、民放連、部落解放同盟へとインタビューを重ね、闇に消えた放送禁止歌の謎に迫った。 感動の名著、待望の文庫化。 [ 目次 ] 第1章 テレビから消えた放送禁止歌(企画の出発点―闇に消えた放送禁止歌;企画着手―放送禁止の歌をどうやって放送するんだよ? ほか) 第2章 放送禁止歌、それぞれの具体的な背景(放送禁止歌と発売禁止歌;有線放送で流される放送禁止歌 ほか) 第3章 放送禁止歌、日本vs.アメリカ―「デーブ・スペクターとの対話」(アメリカ初期の放送禁止歌―性を連想させる歌はご法度;アメリカ“表現の自由”をめぐる闘い―検閲は反対だが、創意工夫は必要 ほか) 第4章 部落差別と放送禁止歌(『竹田の子守唄』のルーツを訪ねて;大ヒットフォーク『竹田の子守唄』の系譜 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜という副題のドキュメンタリー。放送禁止の元を辿っていくと拍子抜けするほどいい加減。部落問題・原発・ドラッグ関連にナーバスになりすぎ。意外な曲が禁止です。
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