タイムクエイク の商品レビュー
過去、ヴォネガットは3作品を読んでいる 『プレーヤー・ピアノ』 『猫のゆりかご』 『スローターハウス5』 いま、このブログにある自分の感想を見てみると、どれも好もしくよろしい感触 さもありなん、このもう最後の作品になるのかという、作者73歳か74歳発表の...
過去、ヴォネガットは3作品を読んでいる 『プレーヤー・ピアノ』 『猫のゆりかご』 『スローターハウス5』 いま、このブログにある自分の感想を見てみると、どれも好もしくよろしい感触 さもありなん、このもう最後の作品になるのかという、作者73歳か74歳発表の 『タイムクエイク』 やはり、なかなかの作物なり 創作あり、随筆風あり、思い出あり、文学紹介あり 幾層にも複雑化した構成の中に、いい年輪を感じさせる、その気持ち わたしたち年寄り(この本では「古手」といっている 笑)にはよくわかるのである タイムクエイク(時空連続体)によってある時、詳しくは2001年2月23日、 10年前逆戻りして1991年2月17日に戻ってしまい、 やり直しできるのではなく、繰り返さなければならない日常になって いざ、タイムクエイクがストップしても、何をしていいか戸惑う設定 人間繰り返しが続くと自分の頭で考えることを無くす しかも、随筆風の部分の2001年は作者の将来で、長生きするつもりで 「そんな風に自分はこの世にいる」と想像するのであって これもわたしがよくやる手(笑) いろいろ文学的な思い出やら、薀蓄もわたしにはおもしろかったですね
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小説なのかエッセイなのか? 例によって散文の集合と言う特異な文体で綴られた作品ですが、これまで以上に奇天烈です。もはや物語のストーリーなど無く、むしろ作者自身の意見が中心にあるように思えます。 作者の言いたい事は色々とあるのでしょう。それが、様々な風刺で描かれます。共産・社会...
小説なのかエッセイなのか? 例によって散文の集合と言う特異な文体で綴られた作品ですが、これまで以上に奇天烈です。もはや物語のストーリーなど無く、むしろ作者自身の意見が中心にあるように思えます。 作者の言いたい事は色々とあるのでしょう。それが、様々な風刺で描かれます。共産・社会主義的な発想、拡大家族。。。 しかし、何か伝わってきません。言いたい事が沢山有ると言うのは判るのです。でもそれが一体何なのかが判らないのです しばらくヴォネガットさんから離れていたせいかもしれません。
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もう少し読み易いことを希望する小説エッセイとも中途半端 表紙 7点和田 誠 浅倉 久志訳 展開 5点1997年著作 文章 5点 内容 456点 合計 473点
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映画『マトリックス』シリーズを見ていて鼻白んだのは、終盤、すべては主人公の「選択だ」みたいな話になるところ。あれだけ新しい世界観(みたいなもの)を示してくれた映画でも、結局、これだ。自由の虚妄に蝕まれたアメリカ人は本当に自由意志が好きなんだ。 カリフォルニア州バークリー上空...
映画『マトリックス』シリーズを見ていて鼻白んだのは、終盤、すべては主人公の「選択だ」みたいな話になるところ。あれだけ新しい世界観(みたいなもの)を示してくれた映画でも、結局、これだ。自由の虚妄に蝕まれたアメリカ人は本当に自由意志が好きなんだ。 カリフォルニア州バークリー上空あたりから爆弾を落として、十和田湖に着弾させる、みたいな離れ業な導入、ヴォネガットはうまい。『老人と海』の話の中で、釣り上げた魚を鮫に食われないための方法から話を起こして、『タイムクエイク』の成立に話を落とす。ヴォネガットはまず『タイムクエイク』なる小説を書いて、気に入らず、その美味しいところだけ切り身にして、あとはエッセイみたいなものとごたまぜにしてしまったのだ。 タイムクエイク=時震とは、2001年2月13日、時間がけいれんを起こして、1991年2月17日に戻ってしまったこと。いや、『フラッシュフォワード』とは違います。 1991年2月17日から2001年2月13日まで、人々はまたもや同じことを繰り返さなければならなくなったのだ。だからリプレイ。変えようとしてもできないのだ。その間に死んでいた人は1991年に生き返って、また死ぬまでの人生を繰り返すのだ。自由意志はない。何と間が抜けて情けないことか。 で、2回目の2001年2月13日が過ぎたとたん、人々は再び自由意志で行動しなければならなくなるのだが、その10年間に自由意志で行動することを忘れちゃったのだ。 エッセイみたいな部分では、第2次世界大戦直後、死にかかったSS隊員が言う。「この十年のわたしの人生はまるきりむだだった」。なんてエピソードも出てくる。 つまり、ヴォネガットはアメリカ人の大好きな「自由意志」を徹底的に虚仮にしているのである。 そんなテーマをひっさげながら、この「最後の本」でヴォネガットは自分の人生を振り返りながら、人生というものについて省察する。自分があることにかけてはえらぶつだと思っていても、遅かれ早かれ、その分野で一枚も二枚も上手の誰かに出くわして「ケツの毛まで抜かれる羽目になる」。 ちょっと文章が書けると思っていてもケツの毛まで抜かれて、「猫のひきずってきた何かのような気分を味わう」。そこでブクログの書評などを書いて「いいね!」がいっぱいついたりすると、「これがすてきでなくて、ほかになにがある?」。 そういうものだ。 とはいえカート老いわく「われわれはぶらぶらひまをつぶすために、この地上に生まれてきたのだ」。私ならこう言う。息抜きの合間に人生を送る。 「あなたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」。自由意志で行動することを忘れちゃった人たちに向けて、ヴォネガット小説の最重要人物、SF作家のキルゴア・トラウトがこう言って、「自由意志」で行動することを思い出させる。私は総理大臣とか幹事長とかいった人にそう言ってあげたい。
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アメリカ人にヴォネガットの作品がどれくらいポピュラーか尋ねた すべてのアメリカ人が彼の著書を読んでるらしい アレッ!?
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ラスト感漂う筆致で最後の方は涙が出そうだった。出なかったけど。大統領選に5度立候補したユージン・デブスの引用はヴオネガットの好きな部分が詰まってる。優しくて、優しくて、不器用。でもとってもクレバー。
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誰にも生んでくれと頼んだ覚えは無い、というフレーズが出てくるたび心に突き刺さりました。ヴォネガット慣れしてない人には読みづらそう?
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トラウトとヴォネガットのグランドフィナーレを飾る、ヴォネガットの最後の長編小説。 タイムクエイクとは、過去十年をリプレイする現象だ。 これまで過ごしてきた十年間を、自分の意思とは無関係にやり直さなければならない。 あのときの事故を防ぐことも、あのときの失敗を防ぐことも、あのときの...
トラウトとヴォネガットのグランドフィナーレを飾る、ヴォネガットの最後の長編小説。 タイムクエイクとは、過去十年をリプレイする現象だ。 これまで過ごしてきた十年間を、自分の意思とは無関係にやり直さなければならない。 あのときの事故を防ぐことも、あのときの失敗を防ぐことも、あのときの失言を取り消すこともできない。 皆一様に、自らのたどってきた、愚かしくも誇り高き十年をなぞる羽目に陥る。 ところが、リプレイ終了と同時に、自分の意思で行動をしなければならない。 何にも考えずに行動してきたのに、ある瞬間を境に、「自由意志」のスイッチが入る。 そうすると、人はどうなるか。たとえば、動く歩道に乗って移動をして、 歩道が終わると自らの足で一歩を踏み出さなくてはならないが、 あなたが相当ぼーっとしていたとしたら……。 突如、動く歩道が終わり、おそらくあなたは前につんのめって転ぶだろう。 タイムクエイクとは、そういうことである。 十年間のリプレイ。 非常に面白い発想で、 最後の最後にヴォネガットはSF的な要素の小説で グランドフィナーレを飾ってくれたと思ったものだが、 このリプレイとは、今のわれわれのことなのかもしれないと思うに至った。 自らの意思で考え、気づき、動けとずっと訴えてきたヴォネガットだった。 しかし、もう「坑内カナリア」理論だけでは追いつかない世界情勢に業を煮やし、 読者への最後の贈り物としてこの物語を仕上げたのではないだろうか。 ヴォネガット作品に度々登場した孤独で不遇なSF作家、 キルゴア・トラウトは、リプレイ終了後に 「あんたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」と、 混乱する人々を励まし続けた。 そして、たくさんの人々から感謝されたトラウトは、一人ぼっちではなくなった。もう孤独じゃない! 「タイムクエイク」は、ヴォネガットのラストの小説であり、 これまでのヴォネガットの小説を継続して読んできた読者への特別なプレゼントでもある。 そのため、他の本を読んでない人にとっては、おそらく意味不明な描写も多いはずである。 が、個人的には、いろんな思い入れのある作品だ。
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エッセイ?小説?よく分からない作品。 本の中心になるストーリーは、時間が突然10年前に逆戻りし、人々はまったく同じ10年間をデジャブの中でリプレイする。それが突然終わった時の混乱で、おなじみのキルゴア・トラウトが活躍する、というものなのだが……。 冒頭で作者は、「老人と海」...
エッセイ?小説?よく分からない作品。 本の中心になるストーリーは、時間が突然10年前に逆戻りし、人々はまったく同じ10年間をデジャブの中でリプレイする。それが突然終わった時の混乱で、おなじみのキルゴア・トラウトが活躍する、というものなのだが……。 冒頭で作者は、「老人と海」を引き合いに出してこう説明する。「老人と海」で釣り上げたカジキはヘミングウェイが書いた長編小説のことで、それが鮫に喰われてしまうのは、批評家たちにボロクソにけなされたことの象徴なのだと。 釣り上げた魚は食われる前にバラしてしまえばよかったのだ。 今回、作者は自分の作品が気に入らないので、自分でバラバラにして、いろいろぶち込んでシチューを作ったのだという。 出来上がったのは、なんとも不思議だが味わいのある作品だ。作者の、シニカルだが暖かい人間愛はけっして衰えていない。 これで、最後の作品だと、作者は宣言しているけれど、まだまだこれからもすばらしい作品を作り続けてほしい。
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村上春樹の初期の文体は、ヴォネガットから70%、ブローティガンから30%の影響を受け、そこにチャンドラーの性格設定が加わり完成されたのでは?この3人の中でも、特に僕のオススメはヴォネガット。初めて読んだ時はショックを受けた程、そのスタイルは似ている。しかもヴォネガットは春樹に負け...
村上春樹の初期の文体は、ヴォネガットから70%、ブローティガンから30%の影響を受け、そこにチャンドラーの性格設定が加わり完成されたのでは?この3人の中でも、特に僕のオススメはヴォネガット。初めて読んだ時はショックを受けた程、そのスタイルは似ている。しかもヴォネガットは春樹に負けないくらい、いい言葉満載!
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