日本の思想 の商品レビュー
そもそも、日本に無理から西洋文明を入れ込んだのが、根本的な無理があったような気がします。それでも、時代は、それに順応しようとする活動が盛んですが。
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この本は、「日本の思想」「近代日本の思想と文学」「思想のあり方について」「『である』ことと『する』こと」、の四章にわけて、日本の思想について説明している。 1・2章は著者が過去に書いた論文をまとめ直したもの、3・4章は著者が過去の講演をまとめたものとなっており、前半の文章は難解であるが、後半は語り口調となっており非常に読みやすくなっている。 第2章が文学についてかなり深いところまで述べられていたため、理解できないところが多かったのが残念だった。しかし、文学の中にも思想に影響を与えたものが多く、思想の本だけでなく、文学作品にも触れて、その中に隠れている思想を読み解いてみたいという新しい興味が生まれた。 また、第4章の「『である』ことと『する』こと」では、日本の近代化においての価値の転換について述べられており、昭和30年代の講演が元であったにも関わらず、現在読んでみても全然古くさくは感じられず、色あせないものに思われる文章であることがすばらしかった。 全体としては、「日本の思想」というタイトルにも関わらず読み進めていくほど、日本にはファンダメンタルな思想がないという皮肉めいた結論を思い知らされた。
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ビジュアルな表現でイメージしやすく読みやすい。1961年の著作だがま古びていない。タコ壷型の組織の群れとそれをつなぐ画一的なマスコミ。今もまったくそのままと感じる。丸山真男を読むならこれがよい。
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なぜ日本には自国の思想変遷を扱う研究が起こらないのか?日本を取り巻く思想の特徴を丸山真男が省察する。 ここではキリスト教思想とギリシャ哲学が生きづいた西欧型の社会様式を「ササラ型」、日本のように根柢を成す思想が欠落し、個々が独自の発展を遂げている様式を「タコツボ型」とそれぞれ形...
なぜ日本には自国の思想変遷を扱う研究が起こらないのか?日本を取り巻く思想の特徴を丸山真男が省察する。 ここではキリスト教思想とギリシャ哲学が生きづいた西欧型の社会様式を「ササラ型」、日本のように根柢を成す思想が欠落し、個々が独自の発展を遂げている様式を「タコツボ型」とそれぞれ形容している。 日本に独自の思想が生まれにくい環境の一因は、社会及びに学術界が「タコツボ型」だからであり、それぞれの学問は雑居すれども雑種を生むことが困難になっている。具体例として第Ⅱ章では「文学」「科学」「政治」の断絶が取り上げられている。 また、明治の近代化に際してタコツボを繋ぐ紐帯として「国体思想」が掲げられ戦後に崩壊したこと、社会全体を包括する思想形態が欠落した日本にとって社会主義思想が特別な意味を成したことなどにも触れている。 こうした本章の論旨に基づけばおそらく戦後の日本政治は日米関係を重視することで一致していたはずだ。冷戦と9.11の後に起きた国際情勢の変化は今後日本に大きな転換をもたらすように思える。果たして日本は独自の思想を手にするのか、それとも他から紐帯を取り入れるのか。個人的にはこうした現代の日本政治の側面に照らし合わせて読み進んだ。
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四章構成。 論文形式で書かれた第一章・二章は極端に難しく、何を言っているのかさっぱり分からなかった。 今まで読んだ本に何度も引用されている本だから、という安直な理由で手に取ったことを激しく後悔させられた。 しかし、講演形式で書かれた第三章・四章は非常に分かりやすく、面白かった。...
四章構成。 論文形式で書かれた第一章・二章は極端に難しく、何を言っているのかさっぱり分からなかった。 今まで読んだ本に何度も引用されている本だから、という安直な理由で手に取ったことを激しく後悔させられた。 しかし、講演形式で書かれた第三章・四章は非常に分かりやすく、面白かった。 日常における「イメージの壁」の形成と弊害、日本の「たこつぼ型」の性質とその形成過程、などを説明している。 まあしかし、読むにはまだ早すぎたかな…という感が否めない笑
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今さら読んだんですが、もうどっかで読んだような気も……タコツボ文化論で出てくる「『うち』の新聞社では」というくだりが面白かったですね。60年代から変わってないのね。
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Ⅰ 日本の思想 『私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。日本の近代天皇制はまさに権...
Ⅰ 日本の思想 『私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、国体が雑居性の「伝統」自体を自らの実体としたために、それは私達の思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ、否定的な同質化(異端の排除)作用の面でだけ強力に働き、人格的主体―自由な認識主体の意味でも、倫理的な責任主体の意味でも、また秩序形成の主体の意味でも―の確立にとって決定的な桎梏となる運命をはじめから内包していた。戦後の変革はこのエセ「精神的機軸」を一挙に顛落させた。ここに日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性は、第二の「開国」によってほとんど極限にまであらわになったように見える。思想界の混迷という言葉は明治以来、支配層や道学的保守主義者の合言葉であった。しかし思想が現実との自由な往復交通をする条件は戦前には著しく阻まれていたことを思えば、今にして私達ははじめて本当の思想的混迷を迎えたわけである。そこから何がでて来るかは何とも分らない。ただ確実にいえるのはもはやこの地点から引きかえすことはできないし、また引きかえす必要もないということである。』 Ⅱ近代日本の思想と文学 日本において政治と思想は孤立していた。しかしマルクス主義とコミュニズムの到来により、自らの居場所を設定する必要に否応無くせまられた。
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丸山眞男の主な著書のなかではかなり読みやすく、かつ全体的な視野をもった本である。 この本は、Ⅰ日本の思想、Ⅱ近代日本の思想と文学、Ⅲ思想のあり方について、Ⅳ「である」ことと「する」こと、という四章立てで、前二つが論文、後ろ二つが読みやすい講演録の体裁をとる。 Ⅰでは、「伝統的な...
丸山眞男の主な著書のなかではかなり読みやすく、かつ全体的な視野をもった本である。 この本は、Ⅰ日本の思想、Ⅱ近代日本の思想と文学、Ⅲ思想のあり方について、Ⅳ「である」ことと「する」こと、という四章立てで、前二つが論文、後ろ二つが読みやすい講演録の体裁をとる。 Ⅰでは、「伝統的な」日本の思想が無構造で雑多性のものと述べられ、そこに西洋の学科分化した学問が個別に流入し、伝統的精神と対立したと述べられ、前者が天皇制構築のためどのように使われたか、理論信仰と文学の対立などが明らかにされる。その二重構造は今でも引き継がれている。 Ⅱでは、政治、文学(思想)、科学の関係からそれぞれが昭和初期の社会状況のなかでどのような振る舞いをしたのかが述べられる。 Ⅲは講演録で、近代日本の学問や社会には共通の基盤というものがないまま西洋の個別理論を導入したり、論争をしているので、使っている言語の意味の食い違いがあちこちで起こっている。それを乗り越えなくてはいけないとされる。 Ⅳも講演録。儒教的社会では各々の属性や集団に基づいた在り方が社会関係において重要視されるのに対して、今日では個々がなにをするのかで社会関係を判断される。しかし、日本ではそのであることとすることを上手く使い分けられていないので、それを考えていくべきだという論。 維新後の日本の思想のあり方を、批判的に概観した本としては非常に重要で、今日グローバル化の中で日本のオリジナリティが議論されたり、学際的交流などということが流行る時、本書は変わりない輝きを放つ。われわれのよって立つ相対的状況を日本的に解釈したものとして、一読の価値ある一冊。
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この書物の存在は、ずっと前から知っていましたが、やっと読み終えました。今後は著者の「現代政治の思想と行動」を読もうかと思っています。
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日本の思想とあるが、近代日本思想についての書籍である。 もともとは4つの文章を1冊にしたものとのこと。 1 日本の思想 2 近代日本の思想と文学 3 思想のあり方について 4 「である」ことと「する」こと 最後の「である」社会と「する」社会の混交について、夏目漱石を例に示している。 考える視点、文章を書く視点としても有益だと感じた。
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