シンセミア(上) の商品レビュー
深い
舞台は「神町」。とある田舎の小さな街である。そこを牛耳っている一族を中心に、数十人の人物が交差する。何気ない日常に潜む癒着と確執と歪み。読後感が良い、とは言いがたい物語だが、惹き付けられる。深い。
abtm
登場人物が多いがそれぞれエピソードが濃いのでさほど混乱せずに読めた。田舎町の爛れた人間関係。話の終着点がまったく予想できず、続きが気になる。
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山形のある地域の住人を描いた小説である。異常な性と暴力を描いている。朝日新聞の文学紀行で紹介した山形の小説であるが、行ったことがないせいか、場所の描き方が具体的でないせいか、いまいち場面が目に浮かばない。
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犯罪といってしまえばそれまでなのだが,原罪を抱えたまま放置した末路がさまざまな人物によく現れていると思う。共感を放棄させるどころか,作者自身が覗きを推奨するような構成で意地悪い。
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東北の小さな町が舞台。殺人事件を契機としてコカインなど不審な事件が続発する。問題は米軍の占領期にまで遡る。戦後昭和の闇を突く。
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なんだこれは。まともな人間なんて一人もいない。 いや、これがむしろまともなのか。 イメージだけのまともなんていうものはもともと幻でしかないのかもしれない。 破局の未来しか見えないけど、隕石でも落ちてこない限り殲滅はできないな…。
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おそらく、21世紀入ってから出た日本の小説では一番好きなものです。 かなり長い小説で、ハードルが高いと感じる人も多そうなので、あえておすすめしてハードルを下げます。 この小説、ページ数が多いだけでなく登場人物も多いのですが、その登場人物全員が悪人かバカか変人で、誰にも感情移...
おそらく、21世紀入ってから出た日本の小説では一番好きなものです。 かなり長い小説で、ハードルが高いと感じる人も多そうなので、あえておすすめしてハードルを下げます。 この小説、ページ数が多いだけでなく登場人物も多いのですが、その登場人物全員が悪人かバカか変人で、誰にも感情移入なんかできやしません。それでも、一度この小説の世界を認識・把握できたら読むのが面白くて仕方なくなります。感情移入できなくても、小説は読めるといういい例なのではないかなと思います。 著者の出身地である山形県の神町を舞台に繰り広げられる群像劇で、それぞれの人物の点の動きがつながって線となり、その線がさらに交差して図形に変わっていく。そのように発展していく物語を読む快感を教えてくれる本です。 登場人物たちの悪意の持ち方や、ストーリーの無慈悲さを好しとするか悪しとするかは人それぞれだと思いますが、圧倒されるのは間違いないと思います。
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川上未映子つながりでこちらも読んでみましたが、エロスと暴力と退廃・歪みや超常現象・タナトスにメタフィクション・・・いろんな要素がてんこもり。登場人物が3世代まで登場する。本の最後の淡い光に包まれたもの静かな正面はずした著者のポートレートが印象的。
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山形県の神町を舞台に不可解な事件が連続し、幼なじみのパン屋と警察官が中心に話が進んでいく。 多数の登場人物の性癖、性格、弱さを含め、すべてに共通しているのは、歪みだと思う。主人公格の二人も世間的には軽蔑されるだろう性癖の持ち主である。 自殺、交通事故、失踪した人々をめぐる動き...
山形県の神町を舞台に不可解な事件が連続し、幼なじみのパン屋と警察官が中心に話が進んでいく。 多数の登場人物の性癖、性格、弱さを含め、すべてに共通しているのは、歪みだと思う。主人公格の二人も世間的には軽蔑されるだろう性癖の持ち主である。 自殺、交通事故、失踪した人々をめぐる動きは、住人の欲望や弱さとからみあって斜め上の方向へ向かっていく。 系統的には文学に傾斜しているとは思うのだけれど、暴力や濡れ場や卑語が読者を選ぶかもしれない。僕はたいへんおもしろく読んだ。警察官が不良少年を叩きのめすところが爽快。 タイトル通り、麻薬が多くかかわっているし、性癖に対する中毒も意味しているかもしれない。
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じつに10年間にわたる積読を経てようやく読了。阿部和重の代表作と位置づけられる本書だが、このあとに発表された『グランド・フィナーレ』では芥川賞受賞を念頭に置いたためなのか、諧謔趣味は健在だが苛烈さが弱まったこともあり、「前期・阿部和重」の頂点と見做されるべきなのかもしれない。「俺...
じつに10年間にわたる積読を経てようやく読了。阿部和重の代表作と位置づけられる本書だが、このあとに発表された『グランド・フィナーレ』では芥川賞受賞を念頭に置いたためなのか、諧謔趣味は健在だが苛烈さが弱まったこともあり、「前期・阿部和重」の頂点と見做されるべきなのかもしれない。「俺はビートニクじゃない!」と言い放ったジャック・ケルアック同様、阿部和重も「J文学」やら「シブヤ系」といったレッテルを忌避しているのだが、「異端」を認識下に置き支配するための詭弁にすぎないわけで、むしろ禁忌として扱われることで魅力を放つということもある。つまり『シンセミア』をはじめとした「前期・阿部和重」は日常のマージナルな部分を際立たせることで、ぼんやりとした「了見」に揺さぶりをかけるのだ。本作のそれに加えて「時間性」を導入しているところが出色だ。「時代」と「「歴史」とそれに付随する「継続性」は、「言い伝え」「たたり」「風習」に力を与える源泉となり、僕らに不条理を強いるわけだが、どうやらそれは無視できるもんでもないけど、渋々受け入れるもんでもない。「受苦者的振る舞い」の否定というのもメッセージとしてあるような気もする。「人間賛歌」というほど単純でもないが、「神町」に棲息するひとたちは憎めない。そう、そろそろ本書の紹介に入らねば・・・。
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