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呪いの研究 の商品レビュー

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2014/05/16

心理学的観点から呪術を解明するかと思いきや、 本書の前半は四国の術者(?)たちに話を聞いたものをまとめ、具体的な事例紹介をしていた。 紹介された事例をざっくり表すなら、マンガで描かれてる世界に、日本の田舎(集団)が持つの嫌な一面を加えた感じ

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2014/05/02

著者は、呪いが存在することを認め、その体系などを詳細に説明するとともに、 トランスパーソナル心理学の観点からの説明も試みている。 著者は愛媛大学教授ということで、呪いにどのように学術的に切り込んでいくのかを期待したけど、 内容は信じられないほど胡散臭いものだった。 まず、著者が...

著者は、呪いが存在することを認め、その体系などを詳細に説明するとともに、 トランスパーソナル心理学の観点からの説明も試みている。 著者は愛媛大学教授ということで、呪いにどのように学術的に切り込んでいくのかを期待したけど、 内容は信じられないほど胡散臭いものだった。 まず、著者が呪いを信じるようになった経緯や根拠が全く提示されず、 呪いが存在するものとして話を進めていくものだから、全く話が飲み込めない。 4章でようやく超心理学というものを引っ張り出してきて、呪いを科学的に考えようとするが、何を説明できたのかさっぱりわからない。 呪いとなんとなく関係しそうな先行研究をいっぱい並べる一方で、呪いそのものに切り込むような研究はないし、著者がそれをやるわけでもない。 「こういうこともあるんだから、こんなことがあってもおかしくない」ぐらいのことしか言ってない。 だからなにも断言できることはないのに、胡散臭い結論を断定口調で述べていたりする。 また、得体のしれない用語を何の説明もせずに出してくるところも信用出来ない(知覚野という曖昧な語句とともに空想野とか仮性幻想野とかいう正体のわからないものをしれっと並べてくる)。 全体を通して、著者には読者を説得する気がないように見える。 この本が対象とする読者は、「すでに呪いを始めとする超常現象を盲信していて、研究者による衒学的な支持がほしいと望む」人々である。

Posted byブクログ

2011/10/27

これはどうなのだろう。……思わず眉につばを付けてしまいました。面白くないわけではなかったので、最後まで読みましたが、ちょっと俄には信じられない感じです。トランスパーソナル心理学って一体何なのかまるで判らないし、心理学って言われてもなあ、というのが正直な感想。フロイトも、世に出てき...

これはどうなのだろう。……思わず眉につばを付けてしまいました。面白くないわけではなかったので、最後まで読みましたが、ちょっと俄には信じられない感じです。トランスパーソナル心理学って一体何なのかまるで判らないし、心理学って言われてもなあ、というのが正直な感想。フロイトも、世に出てきたときはこんな受け取られ方をしたのでしょうか。

Posted byブクログ

2010/11/10

呪いは実在することを、宮司でもある筆者自身の環境と経験によって裏付けるというのがコンセプト。 心理学や医学まで広げ、読み物としてもおもしろく書かれている。 そもそも呪術や土俗的風習がなかったというのはおかしな話で、たとえば現代でもわら人形が神社の木から見付かったりもする。その人...

呪いは実在することを、宮司でもある筆者自身の環境と経験によって裏付けるというのがコンセプト。 心理学や医学まで広げ、読み物としてもおもしろく書かれている。 そもそも呪術や土俗的風習がなかったというのはおかしな話で、たとえば現代でもわら人形が神社の木から見付かったりもする。その人物は間違いなく【呪術をした】のだから、実際そういう風習は現存するのだ。情報があり実践があれば、どんな古い習俗も現存するということになる。 効果があるかないかはまた別の話。 ヌミノース的性質、投影(projection)、護法、トランスパーソナルと、知識欲をくすぐる単語が多く出てくる。そういうものにワクワクする人は楽しめるはずだ。

Posted byブクログ

2010/03/29

185p 私は、従来の心理学に、超心理学、トランスパーソナル心理学を含めた新しい心理学の枠組みを考えている。これを魂の心理学と呼ぶ事にする。 「魂」というものを基点に心について考えていくのは、心理学が学問として成立し始めた頃(十九世紀)からの究極のテーマでもあるのだ。 意識の...

185p 私は、従来の心理学に、超心理学、トランスパーソナル心理学を含めた新しい心理学の枠組みを考えている。これを魂の心理学と呼ぶ事にする。 「魂」というものを基点に心について考えていくのは、心理学が学問として成立し始めた頃(十九世紀)からの究極のテーマでもあるのだ。 意識の拡張とは、個人的な自我意識が失われることなく、気、霊、魂の次元に向かって起きる過程を意味している。 意識の進化とは、単に霊や魂の次元にまで意識が拡張していくことではない。 意識の全体的発達とは、1.認知 2.道徳 3.感情 4.対人関係 5.霊性といった心の機能のそれぞれが、総合的にバランスよく発達することを意味している。 だから、いくら霊性のレベルで意識が拡張していても、それに道徳的な心の発達が伴わなければ、全体としてみれば意識は進化していないことになる。これは呪い専門の拝み屋や、恐怖で信者を呪縛する宗教団体の専属祈祷師に特に当てはまる。 人間は社会的な動物である。いくら、超俗的な世界の様子が「わかる」ようになっても、対人関係能力や社会性がこれに伴わなければ、ただの独りよがりな覚者になってしまったり、自己中心的な呪詛呪術の魔界に陥ってしまうだけであろう。 199p ニューエイジ思想では、ノンローカルな意識を 甘美さと光に満ちたすばらしい領域として位置づけようとする傾向があるが、実際は善と悪、光と闇はノンローカルな意識の表と裏であり、こうした意識領域との接触は、癒しをもたらすと同時に病をもたらす可能性もある。 そして、われわれが心の光や善良さだけを追求し、心の闇や影の領域を否認しようとすればするほど、圧倒的な闇の力も深まっていくことを忘れてはならない。 ニューエイジ思想では、個人の心の持ち方によって自分自身の肉体に影響が生じると考える。もし何か悪い事が自分のみに降りかかって来たならば、それは自分自身が招き寄せた結果であり、それに対して自分が責任を負うべきだと考えようとする。この考え方では、しかし、どうして善良な人々の身に不幸や病魔が襲うのか、説明できない。現実に自分にトラブルや不幸が起こっても「これは試練であり、魂の成長にとって必要な経験だ」と、あくまでも能天気に、お題目を唱え続けるようにプラス思考でいることが、現実否認とこじつけでないとすれば、いったい何なのだろうか。 私は愛と光と善良さだけに目を向け、憎しみと闇と悪を自分の中にはないものと否認し、それから逃れようとする一面的な態度こそ、ノンローカルな意識の本質を見失い、一なる心からの反動に対する免疫力、抵抗力を弱めると考えている。心の光の部分だけを保持し、闇を抑圧すると、実際に闇体験や、ネガティブな出来事に直面した時に、意識の全体性のバランスを崩してしまい、かえって悲劇や病やアクシデントに逆襲される可能性さえある。 ここで私が言いたいのは、自分の心の中に巣食う闇、悪感情を否定したり、抑圧することなく、これと自然に正直に向き合い、受け入れる姿勢をまず固めることが大事だということである。ただ闇雲にこれを否認するのは不自然である。 森羅万象において、陰と陽は表裏一体である。ノンローカルな意識は全体性そのものであり、光と闇の二面性の源であって、病気や悲劇でさえも例外ではない。悪いから取り去ってしまえというのではなく、悪いものも自分の一部と認めて共存させていく姿勢が、自然の理にかなっていると私は思う。

Posted byブクログ