カンバセイション・ピース の商品レビュー
小説家の私が妻、猫三匹と暮らし始めた東京・世田谷にある築五十年の一軒家。友人が経営する社員三人の会社が間借りをし、妻の姪も転がり込んだ。にぎやかだがゆったりと流れる日常のなか、お盆にやってくる陽気なイトコたちの昔話や、同居人たちとの会話から、かつてそこで暮らした人々の記憶が立ち上...
小説家の私が妻、猫三匹と暮らし始めた東京・世田谷にある築五十年の一軒家。友人が経営する社員三人の会社が間借りをし、妻の姪も転がり込んだ。にぎやかだがゆったりと流れる日常のなか、お盆にやってくる陽気なイトコたちの昔話や、同居人たちとの会話から、かつてそこで暮らした人々の記憶が立ち上る。濃密な時間が流れ、過去と現在がつなが り、生と死がともに息づく長篇小説
Posted by
買ったのに長い間放置していた本。気づいたら文庫まで出てしまっていた。急いで読んだら逆に全部が無駄になちゃうな、と理解していたものの、やっぱりせかせか読んでしまった。だから放置しておいたのに・・・・・・
Posted by
「新潮」連載時に楽しみに読んでいたのですが、一冊の本でも読んでみたくなり、再読中です。子ども時代の一時期、いとこ達と過ごした叔父叔母の家で、今、大人になった主人公が、妻や三匹の猫たち、三人の友だち、妻の姪と共に、ゆったりと暮らしている日常生活が気持ちよく描かれています。昨日、炬燵...
「新潮」連載時に楽しみに読んでいたのですが、一冊の本でも読んでみたくなり、再読中です。子ども時代の一時期、いとこ達と過ごした叔父叔母の家で、今、大人になった主人公が、妻や三匹の猫たち、三人の友だち、妻の姪と共に、ゆったりと暮らしている日常生活が気持ちよく描かれています。昨日、炬燵で読みながら寝ちゃって、目が覚めたとき、内容は覚えていないながら、すっごい穏やかな夢を見たなぁ、って・・。まだ、5分の1ほどしか読んでいないし、図書館本は今のところこれしかないので、ゆっくり読み進めようと思ってます。
Posted by
保坂本の中でこれがもっとも最後まで読むのが難しい。再読ですが。実際はもう何度も手をつけていて、その結果、最後まで辿り着いたのが2回という意味での再読です。今回の再読終了までにもたぶん3ヶ月はかかってます。ちょっとずつちょっとずつ。会話の交錯。風景の描写。全てがハイレベルだというこ...
保坂本の中でこれがもっとも最後まで読むのが難しい。再読ですが。実際はもう何度も手をつけていて、その結果、最後まで辿り着いたのが2回という意味での再読です。今回の再読終了までにもたぶん3ヶ月はかかってます。ちょっとずつちょっとずつ。会話の交錯。風景の描写。全てがハイレベルだということもあるけれど、読んでいると頭の片隅でいろんな思考が並行して走り出してしまって、なかなか先に進めないという方が大きい(冒頭で書いた閃いたこともその一つ)。自分と語り合う物語。(06/7/19)
Posted by
「家」での日常を通してとりとめなく浮かんでくる記憶や感覚や感情。そんなものの正体を、「私」は、時に科学的に、哲学的に、宗教的に、 自由な思考方法で、淡々と考察し続ける。 読み手としては著者の言わんとするところを、なんとか実感すべく、文章のみを頼りにイメージ化することが求められるた...
「家」での日常を通してとりとめなく浮かんでくる記憶や感覚や感情。そんなものの正体を、「私」は、時に科学的に、哲学的に、宗教的に、 自由な思考方法で、淡々と考察し続ける。 読み手としては著者の言わんとするところを、なんとか実感すべく、文章のみを頼りにイメージ化することが求められるため、結構疲れはする。しかし、それは不思議と心地よい疲れで、なんだが幸福な気持ちにすらなった。 それは、著者の意図を完全には理解できなくても、それについて自分が一緒になって考えてみること自体が楽しくておもしろいと思えたからだと思う。猫たちも含めた登場人物のキャラクターも魅力的だった。取り上げられているテーマも含めて、こんな小説読んだことがなかった。
Posted by
保坂和志の小説では、いまのところ最新作(エッセーは、新しいのがあるけど)で最高傑作ではないでしょうか。 相変わらず、読んでいるときにしかその楽しさがわいてこなくて、3回よんだ今でも、読後は何がこの小説に書かれていたのかなんて、気にしなくなる。 読んでいるときというのは、文章を追...
保坂和志の小説では、いまのところ最新作(エッセーは、新しいのがあるけど)で最高傑作ではないでしょうか。 相変わらず、読んでいるときにしかその楽しさがわいてこなくて、3回よんだ今でも、読後は何がこの小説に書かれていたのかなんて、気にしなくなる。 読んでいるときというのは、文章を追っている正味の時間じゃなくて、小説を読んで、中断して、また読んでを繰り返しながら、頭の中にこの小説が住み着いているときのことです。 でも、無理矢理に思い出してみると、この混乱(?)の原因は時間軸のぶれというか、例えば家に流れている時間があったり、ベイスターズに流れている時間があったり、もちろんベイスターズファンに流れている時間があったり、が語り手の中では整理されているわけはなく、最もそれがリアリティーなわけなんだけれど、こういうリアリティーを表現されると、読者はなんともなく居心地が悪い。 居心地が悪いことが、小説として悪いかというと、むしろ良くて、「プレーンソング」のあの幸せな時間の経過というのはやはりどっかで残っている。 ああ、また読みたくなった。 とにかく読んでみてください。
Posted by
ふとした瞬間にこの家でかつて暮らした家族との記憶の世界に飛ぶ。すごく映像的だ。ありありと目に浮かぶ。今この家に暮らす人々も昔の家族も渾然となってひとつの家の記憶となる。今時期読むにいい作品だった。ワタシとしては途中、説明調な所がちょっと物語の邪魔をしているような気がして気になった...
ふとした瞬間にこの家でかつて暮らした家族との記憶の世界に飛ぶ。すごく映像的だ。ありありと目に浮かぶ。今この家に暮らす人々も昔の家族も渾然となってひとつの家の記憶となる。今時期読むにいい作品だった。ワタシとしては途中、説明調な所がちょっと物語の邪魔をしているような気がして気になった。
Posted by
例えば一般的な文学は物語性を帯びていて、読み進めていくに従って地上からまっすぐに伸びた階段を上っていくような気持にさせる。それは物語の結びという場所に読者が誘導されるということで、私がこれまで読んだどの小説もこれに属するものであった。しかし、保坂和志はその階段が複雑で(というより...
例えば一般的な文学は物語性を帯びていて、読み進めていくに従って地上からまっすぐに伸びた階段を上っていくような気持にさせる。それは物語の結びという場所に読者が誘導されるということで、私がこれまで読んだどの小説もこれに属するものであった。しかし、保坂和志はその階段が複雑で(というよりむしろストレートなのかもしれないが)こちらが油断していると地上も屋上も見えない螺旋階段をひたすらぐるぐると回り続けてしまうのである。だから彼の小説は故意に注意深くアンテナを張って、その一文一文を噛み締めるように何度も読み返したりして、それがまたものすごい疲労感をもたらすのだがそこにまた風情というか、小説を読むという行為の醍醐味というものが感じられて、いつもより思考回路を極限にまで広げて作家の放つ言葉そのものを「私は今、聞いているのだ」という気分で小説を読むというよりはむしろ作家の思考、本音というものを垣間見たような気さえしてくる。そして、それらのほとんどが日常的に感たり疑問に思ったりしているのだけれど、まぁこんなものか、と見過ごしてしまうような些細な瞬間の明晰であったり、解答であったりして、面白いほど素直に音や映像、そして言葉というものに対して五感を働かせることができるのが保坂の小説。例えば、記憶というものは曖昧でころころと変化するものであるし、また記憶の中には、いつも自分の姿が混じっていてそれらの風景を見ている自分と、そこにいる自分の二種類の人間が存在しているのはなぜか?という疑問を私も漠然と感じていたのだけれど、保坂はこの作品の中で、終始そのことに触れていて、「記憶というものは、技巧というようなことではなくて、もっと原初的な記憶や認識の仕組みということみたいで、そういう記憶が思い出されるたびに変化するものだとしたら、固定されないことが記憶にとって、色褪せずに人の中で息づくための大事なファクターなのではないかと思う」と書いている。保坂和志は小説の中に彼自身の疑問を投げたり、思考を散りばめていて、この作品の主人公は反射的に突飛もないところに意識を脱線させてしまうのだけれど、それがむしろ私の日常や記憶といった風景を鮮明にしたり、活用することのない意識に触れさせてくれるのだ。
Posted by
全然村上春樹とは似てないけど、何故かこの人の本に手を出したくなる人っていませんか?「書きあぐねている人のための小説入門」とか読むと、如何にこの人が、理論的に”なにげない日常”世界を作り出しているかが良く分かる。僕は小説よりエッセイの方が好きです。
Posted by
これは保坂さんでにばんめ。野球のところがたのしすぎた。これをよんだときに、ひとりの人間のなかのいくつもの矛盾はちっとも矛盾してなくって、つながっているということを考えていたのだった。
Posted by