アウステルリッツ の商品レビュー
「ファルシュ」という言葉が印象に残る。「まやかし」あるいは「間違い」。例えば本書に登場する語り部アウステルリッツの人生は、その異様なほど読みにくい(が、切実さを以てこちらを引きつける)語りに乗せてその「ファルシュ」の内実を語る。が、単にユダヤ人の迫害の歴史を語ったことが紛れもない...
「ファルシュ」という言葉が印象に残る。「まやかし」あるいは「間違い」。例えば本書に登場する語り部アウステルリッツの人生は、その異様なほど読みにくい(が、切実さを以てこちらを引きつける)語りに乗せてその「ファルシュ」の内実を語る。が、単にユダヤ人の迫害の歴史を語ったことが紛れもない歴史上の「ファルシュ」だったというわけではないと私は読んだ。その語りの錯綜の中で記憶は混濁し、事実とも思い込みともつかない「ファルシュ」な、甘美さすら感じさせる世界へと変容するのだ。そうした記憶を生きる、プルースト的な決意の産物だ
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twitterで見かけて手に取った本。 静謐な文章、一定の距離感、歴史(特にユダヤ、ナチ関連)に酷く惹きつけられた。実際の地理や風景が全く分からないのが悔しい。 父親を、「苦痛の痕跡」を、そして自分自身を捜し、どこまでも彷徨い続けるアウステルリッツの姿を想像すると、胸が苦しくなる。「おのれの意志とは無関係に引きずりこまれた、このまやかしの間違った世界から逃げ出」そうとしている洗い熊にアウステルリッツの影が重なる。 読了後、迷い込み部屋の片隅で死んでしまった蛾を見つけ、硝子瓶の棺に入れた。貴方が居るべき場所は、ここには無かった。
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震えるほどの素晴らしさ、否、震えるしかないほどの素晴らしさだった。歴史という忘却の渦に飲み込まれたひとつの人生、存在したかもしれない悲劇の人生をゼーバルトは繊細な文体とモノクロの写真によって丁寧に創造する。近過ぎも遠過ぎもない距離から確実に届けられる、ひとつの過去、記憶、そして歴...
震えるほどの素晴らしさ、否、震えるしかないほどの素晴らしさだった。歴史という忘却の渦に飲み込まれたひとつの人生、存在したかもしれない悲劇の人生をゼーバルトは繊細な文体とモノクロの写真によって丁寧に創造する。近過ぎも遠過ぎもない距離から確実に届けられる、ひとつの過去、記憶、そして歴史。それはとても孤独に思えるかもしれないが、不思議と心を穏やかにしてくれる。沈黙から生まれた声を静かに受け止めよう、それはか細き生、歴史から見放された生を丁寧に支えてくれる。色褪せない美しさが深い夜を包み込んでくれる、そんな傑作。
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この本を読むことは、記憶するという行為をなぞることだ。人間の知覚が物理的な意味で束だとしたら、この本の一文一文はそれを構成する糸である。糸を一つとるごとに、鮮やかに全体が蘇って行く感覚を味わうことができる。
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アントワープ中央駅の待合室で、私はアウステルリッツと知り合った。 彼がアウステルリッツと知り合う前のページには、メガネザルの目、梟の目、人間ふたりの目の写真が挿入されている。 この本には、このように、いたるところにモノクロの写真がある。 大きさもさまざまで、写真だけでなく、地...
アントワープ中央駅の待合室で、私はアウステルリッツと知り合った。 彼がアウステルリッツと知り合う前のページには、メガネザルの目、梟の目、人間ふたりの目の写真が挿入されている。 この本には、このように、いたるところにモノクロの写真がある。 大きさもさまざまで、写真だけでなく、地図や、図面、記号、絵、書面なども挿入されている。 説明もなく、文章と何気なく繋がって、そのアバウトさが、文章との相乗作用で夢想的な遊戯性を誘う。 建築の造形解釈や描写は、流々と続き、それらが主題なのかと思い始めた頃に、不意にその導入部分は浮き上がり、 アウステルリッツは、実は、アウステルリッツでなかったという。 正しくは、アウステルリッツから、ダーヴィス・イライアスに、そして15歳の時またアウステルリッツに戻った。 アウステルリッツはプラハに生まれ、4歳の時、イギリスに移送されたユダヤ人で、ウェールズの小さな田舍町で、カルヴァン派の説教師とその妻を養い親として育った。 15歳の時に本当の名前が告げられ、50歳を過ぎてから、自分の消え去った過去を取り戻そうと旅を続ける。 悲劇的な歴史が過去にくっきりと陰影を残し、細密画的に描く風景や町や建築物の描写。 忘却の彼方に自分の人生を見出そうとする努力と失望と悲哀に共感を覚える。 作者のW・G・ゼーバルトは、1944年、ドイツ生まれ。 25歳からイギリスに定住し、大学で文学の教鞭をとり、多くの文学賞を受賞。 将来のノーベル文学賞候補とも目されたが、2001年、車を運転中に、卒中の発作を起こし、事故で死去。 ドイツ生まれ、イギリス移住の経歴は、この作品にも色濃く反映され、作品の形式としても写真などを多く用いた新しい形の散文の手法は成功していると思う。 アウステルリッツという珍しい人名は、ナポレオン一世が皇帝に即位した1年後、勝利をおさめたアウステルリッツの戦いが名高い。 作者のW・G・ゼーバルトは、Austerlitz が、Auschwitz を連想させることも示唆していると述べている。
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「アウステルリッツ」(W・G・ゼーバルト:鈴木仁子訳)を読んだ。何かが、静かに静かに降り積もっていくのを古い窓ガラス越しに眺めているような感じがする。降り積もっていくのは時間の粒子なのかもしれない。あるいは人々の砕けた記憶の破片か。 効果的に配された、ざらついた写真を見つめていて...
「アウステルリッツ」(W・G・ゼーバルト:鈴木仁子訳)を読んだ。何かが、静かに静かに降り積もっていくのを古い窓ガラス越しに眺めているような感じがする。降り積もっていくのは時間の粒子なのかもしれない。あるいは人々の砕けた記憶の破片か。 効果的に配された、ざらついた写真を見つめていてふと思う。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹)の『夢読み』が読む『古い夢』とはまさにこのような感じなのではと。 とにかく静謐さを纏いながらもある種の張りつめた緊迫感が読む者を惹きつけてやまない傑作であると思う。
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街路や迷宮のような建物をさまよう登場人物と一緒に本の中をさまよう。堂々巡りのように、一度見た場所やものに何度も出会ううちに、空間に積もった時間の中、過去と今の区別がない場所で迷子になる。
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「私」が偶然出会った青年アウステルリッツは、その後も「私」との長い親交の中で、常に出会うなり前回の続きのように建築物や歴史に関する蘊蓄や自分自身の物語を語り出す……。その、アウステルリッツの中では途切れ目なく続いていると思われる時間観念そのままに、この作品は章立てどころか改行すら...
「私」が偶然出会った青年アウステルリッツは、その後も「私」との長い親交の中で、常に出会うなり前回の続きのように建築物や歴史に関する蘊蓄や自分自身の物語を語り出す……。その、アウステルリッツの中では途切れ目なく続いていると思われる時間観念そのままに、この作品は章立てどころか改行すらほとんどないスタイルで書きすすめられています。アウステルリッツが長い時間をかけて語る、彼の喪失した過去とそれを取り戻す探索の過程は、一人称で書けば非常にドラマチックで生々しいストーリーになるところを、「私」がアウステルリッツから、さらにアウステルリッツがまた別の他人から聞いた話を伝聞の伝聞として記録することで、時折挟みこまれている写真から感じるリアルさとは裏腹な、不思議な距離感を感じさせる物語になっていて。アウステルリッツという人物の根底にある“失われた過去”、その失われた過去を求めて個人のルーツを探しているはずが、この距離感ゆえに、次第に、ある世界・ある時代のルーツを紐解く旅、個人を超えたもっと大きな歴史を探る旅になっていく感覚が独特で…スタート地点では予想のつかなかったゴールにたどり着いた時には、何とも言えない強い感動が残りました。じっくり読み込み、反芻して消化したい作品。
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段落がない!が第一印象。 ~と語った、という伝聞調の文体が独特で 並大抵じゃないくらい引き込まれました。 アウステルリッツの忘れていた過去にびっくり。 (10.08.18) 遠いほうの図書館。 励まし合って読書会2010年8月の課題本。 (10.08.01)
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建築史家アウステルリッツは、帝国主義の遺物である駅舎、裁判所、要塞、 病院、監獄の建物に興味をひかれ、ヨーロッパ諸都市を巡っている。そして、 彼の話の聞き手であり、本書の語り手である〈私〉にむかって、博識を開陳 する。それは近代における暴力と権力の歴史とも重なり合っていく。...
建築史家アウステルリッツは、帝国主義の遺物である駅舎、裁判所、要塞、 病院、監獄の建物に興味をひかれ、ヨーロッパ諸都市を巡っている。そして、 彼の話の聞き手であり、本書の語り手である〈私〉にむかって、博識を開陳 する。それは近代における暴力と権力の歴史とも重なり合っていく。 多くの写真を挿み、小説とも、エッセイとも、旅行記とも、回想録ともつかない、 独自の世界が創造される。欧米で最高の賛辞を受けた、新世紀の傑作長編。
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