ブッダ最後の旅 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『大般涅槃経』のパーリ語(サンスクリットの俗語の一つ)からの翻訳である。ほかの仏典と同様にくり返しが多いものの、ガウダマの死に関する物語であり、ストーリー性があって比較的読みやすい。興味深いと感じたのは、アーナンダがガウダマに死なないでくれと懇願しなかったため、もはや弟子たちがガウダマから独立して教えを説けるといった悪魔の言葉をゴウダマがききいれ、寿命の素因を断つ所である。キリスト教でもそうだが、奇跡を行う教祖の死には愚かな弟子がつきものなのである。ガウダマは鍛冶のチェンダが捧げたキノコ料理を食べ血を吐いて、沙羅双樹の所まで歩いて、そこで死ぬ。死ぬ前に、チャンダの不安を取り除いてやること、修行・布教・葬儀(千枚の布にくるんで、油につけて火葬)、教団内の不満分子に「清浄な罰」(教えないこと)をするように等と言い残す。また、修行者は葬儀に関わらず、在家信者の王族にまかせるように言うのだが、アーナンダや大カッサバらが遺骨の分配をとりしきる。そして、あちこちにストゥーパ(卒塔婆)が建つことになる。
Posted by
ブッダに最後に供養をささげたチュンダに注目です。 カーストの外にある鍛冶屋の息子チュンダの供養の食事を ブッダは快く受けてその結果死へとむかうのですが・・・ この供養は釈尊がお悟りを開かれたときのスジャータの 乳粥の供養と同じように尊くおおlきな功徳があるということ・・ チ...
ブッダに最後に供養をささげたチュンダに注目です。 カーストの外にある鍛冶屋の息子チュンダの供養の食事を ブッダは快く受けてその結果死へとむかうのですが・・・ この供養は釈尊がお悟りを開かれたときのスジャータの 乳粥の供養と同じように尊くおおlきな功徳があるということ・・ チュンダは日本では純陀尊師といわれ在家仏教の祖といわれるかたですね。
Posted by
仏陀の死までの最後の旅を描いた仏典。 仏典にしては珍しくストーリー性が有り、 死という結末に向かって話が展開される。 阿南尊者が懇願すれば死ななかった事になっていたり、 地震が起こったりと神話的な描写もあるものの、 驚くほど人間らしい「死」の様子が描かれている。
Posted by
先に、渡辺照宏先生の『涅槃への道―仏陀の入滅』(ちくま学芸文庫) http://booklog.jp/users/murasakiasano/archives/448008956X を読んでから、こちらに取りかかるほうが、一般の読み手には 都合がよいと思います。
Posted by
一周するとここに辿り着く本。 ウンベルト・エーコが「全編アクション、現代の読者が現実から逃避するために書物にもとめるすべて、セックス(それもたっぷり)、不倫、男色、殺人、近親相姦、戦争、虐殺、なんでもござれときている」とおちょっくっていた「聖書」とか、その親戚(「聖書」で反省し...
一周するとここに辿り着く本。 ウンベルト・エーコが「全編アクション、現代の読者が現実から逃避するために書物にもとめるすべて、セックス(それもたっぷり)、不倫、男色、殺人、近親相姦、戦争、虐殺、なんでもござれときている」とおちょっくっていた「聖書」とか、その親戚(「聖書」で反省したのかかなり堅物)の「クルアーン」よりは面白くないけど。
Posted by
苦からの解脱を解き続けた釈迦、最晩年も説法の旅を続けた。病気に苛まされながらも訪れた村々で渾身の教えを説く。比較的史実に近いのではないかと推測されている涅槃経です。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
p156 「アーナンダよ。わたしが亡くなったのちには、修行僧チャンナには、<清浄な罰>(ブラフマ・ダンダ)を加えなさい。」 「尊い方よ。<清浄な罰>というのは、そもそも何ですか?」 「アーナンダよ。修行僧チャンナは、自分の欲することを何でも言ってもよい。しかし修行僧たちはかれに話しかけてはならないし、訓戒してはならないし、教えさとしてはならない。」 ※チャンナーChannaー車匿. かれは気むずかしく、かたくなで、教団内部にあっても他人と協力せず、とかく摩擦・抗争を起こした(詳しくは赤沼智善『印度仏教固有名詞辞典』p128−130)しかしここで述べられている罰を受けてのちには、人格も円熟したと言われている。 Wikipediaー チャンナは釈迦と同じ日に生まれたという。チャンナは自分がクシャトリアであり、仏と最も親しい者であると思い込んでおり、しばしば悪口を働き、そのため悪性車匿(あくしょう・しゃのく)、あるいは悪口車匿(あっく・しゃのく)といわれた。舎利弗や目連に対しても嫉妬し悪口をいい、釈迦仏も幾度も彼に注意したが、その場では大人しいが、しばらくするとまた悪口を言うことを繰り返した。また戒律を犯しても認めようとせず、他の比丘衆からもよく駆遣呵責(くけんかしゃく=厳しくその責を咎める)された。 釈迦仏の入滅直前に、阿難(アーナンダー)がチャンナをどう扱えばよいかと問うと、ブラフマ・ダンタ(黙擯=だまってしりぞける、つまり無視する)の罪法を科した。アーナンダーは、それでもチャンナは気が荒く乱暴者であるから、そのばあいはどうすればよいか再度訊ねると、仏は大勢の比丘を率いていけばよいと答えた。しかして釈迦仏が入滅した後に、アーナンダーは500人の比丘を連れてコーサンビーのゴーシタ苑に彼を呼び出し、仏から伝えられた罪を申し渡した。彼はそれを聞き、気絶して倒れたが、それを機に心を入れ替え修行に励んだ。 p313 「つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。生じては滅びる。それら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。」 というこの詩は、釈尊の亡くなったときに唱えられた詩である。
Posted by
釈迦の最期の日々が、事実・創作入り乱れて詳細に綴られている。 永遠の命であるはずの神格化されたブッダと、生身の人間として必ず臨終があるブッダに、どう整合性を持たせるか。 そんなことに後代、経典をつくった人々は悩んだに違いない。 もちろん、下痢をしたとか腹痛を起こしたなどの生々しい...
釈迦の最期の日々が、事実・創作入り乱れて詳細に綴られている。 永遠の命であるはずの神格化されたブッダと、生身の人間として必ず臨終があるブッダに、どう整合性を持たせるか。 そんなことに後代、経典をつくった人々は悩んだに違いない。 もちろん、下痢をしたとか腹痛を起こしたなどの生々しい描写のほうが、惹きこまれる部分だ。 詳細な訳注とともに読めば面白い。
Posted by
『大般涅槃経』ともいいますが、お経のような難しいことが書いてあるのではなく、ひとつの物語調に書かれていてとても面白いです。
Posted by
- 1
- 2