ケータイを持ったサル の商品レビュー
現代における希薄な人間関係、公を忘れ「私」に走る若者のコミュニケーションについて書かれた本。 確かに自分も「サル」化傾向にあるのではないかと心配になる。
Posted by
かなり話題になった新書ですのでご記憶の方お読みになった方おられると思います。将来家庭を持ったら、どんなご時世であれ、「子供中心主義」にさせない教育を施そうかと思った
Posted by
人間はサルに一歩一歩近づいていってる。ケータイは便利だが使うことによって頭が退化するのを忘れてはならない。
Posted by
山岸さんの「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)と合わせて読むと、問題意識の共通点が感じられるように思うが、前提としている公的領域・私的領域というのはそれ程自明ではないように感じる。
Posted by
現代の若者についての評論。私も現在のケータイ文化には不安を感じる。しかし、著者みたいに愚痴を言っているだけでは何も解決しないのじゃないか、と思った。現代社会に危機感があるなら、行動してほしい。
Posted by
本書ではサルの研究者である著者が猿と現代社会のコミュニケーションについて比較し論じています。 行動の背景や問題点の指摘した理由には説得力があり納得できます。サルの研究者の視点から人間の行動を観察し研究というのが他のコミュニケーション論とは違う点で面白いところです。 IT技術の進歩...
本書ではサルの研究者である著者が猿と現代社会のコミュニケーションについて比較し論じています。 行動の背景や問題点の指摘した理由には説得力があり納得できます。サルの研究者の視点から人間の行動を観察し研究というのが他のコミュニケーション論とは違う点で面白いところです。 IT技術の進歩によりさまざまなコミュニケーション形態が生まれていますが、本質であるコミュニケーション能力は 低下というより退化しています。退化した形態を研究してみるとサルのコミュニケーションに通じる行動もあるということには驚きました。昔に比べコミュニケーション手段は増えているのにコミュニケーション能力は低くなったというのは皮肉な結果です。最近は教育方法についての議論が盛んに行われていますが、IT・英語など実務的学力向上も大切だと思いますがコミュニケーション能力を鍛えるということも考えてほしいです。実社会にでて最初に必要なのはコミュニケーション能力です。コミュニケーション豊かな人は世渡り上手な人が多いです。コミュニケーションについてあまり考えたことありませんでしたけど実は社会生活に密接に関わった重要な能力ということがわかりました。
Posted by
ケータイを中心に生活を組み立てる人間を、サルとの類似点を探ることでえぐり出す。 結構テンプレートな説もあって、飽きるところはあるが基本的には面白い。
Posted by
7点 地べたに座る若い子たちは、「内」(家の中)を「外」(電車の中とか普通の道)に持ち込んでるらしい。その原因は豊かになった日本社会のせい。両親が過保護になっちゃって子供が「外」に出れなくなったらしい。これは、正高先生からすると、「人間のサル化」みたいなものらしい。しかし、この...
7点 地べたに座る若い子たちは、「内」(家の中)を「外」(電車の中とか普通の道)に持ち込んでるらしい。その原因は豊かになった日本社会のせい。両親が過保護になっちゃって子供が「外」に出れなくなったらしい。これは、正高先生からすると、「人間のサル化」みたいなものらしい。しかし、この本はずいぶん売れた。やっぱ、ケータイっていう身近なものから「人間」をサルを通して見るという試みが面白いからなのでしょう。
Posted by
とっても面白く、示唆にとむ一冊。行動学者の筆者が、ルーズソックス、ひきこもり、パラサイトシングル、携帯依存症などを社会構造の変化による当然の帰結であることを、主にサル社会との比較によってわかりやすく解明します。なるほどなあ、と、うならされました。つまり、どの現象にも、「家の外」へ...
とっても面白く、示唆にとむ一冊。行動学者の筆者が、ルーズソックス、ひきこもり、パラサイトシングル、携帯依存症などを社会構造の変化による当然の帰結であることを、主にサル社会との比較によってわかりやすく解明します。なるほどなあ、と、うならされました。つまり、どの現象にも、「家の外」へ出ることを拒絶する、または、どこまでも「家の中」を敷衍する意識が根底にはあるというのです。人間は、甘えの許される閉じた「家」で守られて成長し、やがて家から出て社会の中で自己実現していくものとされたが、今日、その時は遅くなってきているというのです。しかしながら、この本は単なる「だから今の社会は狂っている。昔の社会はすばらしかったんだ」という懐古本にとどまりません。
Posted by
これを読んで、載せようかホントに迷いました。 賛否両論、分かれると思います。 今回、自分としてはいくつかの不満をもちました。 そこで、自戒の念を込めて、記しておこうと思います。 そもそもタイトルと中身とが一致しているのでしょうか。 文章のタイトルは、その全体にふさわしいものが望ま...
これを読んで、載せようかホントに迷いました。 賛否両論、分かれると思います。 今回、自分としてはいくつかの不満をもちました。 そこで、自戒の念を込めて、記しておこうと思います。 そもそもタイトルと中身とが一致しているのでしょうか。 文章のタイトルは、その全体にふさわしいものが望まれるように思います。 次に、論証の仕方が気になります。 数十ページ前には、これこれの原因は「〜かもしれない」「〜といえるかもしれない」だったものが、原因は「〜である」と変わっていたりする。 そんな文章はほんとに読みづらいし、意図的じゃないかと不快になります。 さらには、他の部分の確かさ・明らかさにも、かなりの疑問をもたせてしまいます。 さらに、社会の原因を1つに確定しすぎる感があります。 「専業主婦→社会的知識の不足(→衰え)→子どもたちを甘やかし→甘えた子どもの発生」 というような見解を採るのですが、「ほんとかよ?」と言わずにはいられません。 「風が吹けば桶屋が儲かる」的なつながりしか見えてこない。 そんなに簡単に原因が見つかるなら、社会を良くするのは簡単でしょうな、と皮肉めいたことをいいたくなってしまいます。 社会科学は、著者の専攻じゃないしね。仕方ないよ。 …というのが精一杯のフォローでしょうか。
Posted by