ダダイスト新吉の詩 の商品レビュー
教科書で中原中也の詩にであい、ご多分にもれず魅了され中也の詩を読みすすめた高校生の頃。 その時から気になっていた『ダダイスト新吉の詩』 たまたま図書館で見つけ40年強の時を経て手にした。 みつけただけでは借りて読もうとは思わなかったが、巻頭の佐藤春夫の序「高橋新吉のこと」の中に...
教科書で中原中也の詩にであい、ご多分にもれず魅了され中也の詩を読みすすめた高校生の頃。 その時から気になっていた『ダダイスト新吉の詩』 たまたま図書館で見つけ40年強の時を経て手にした。 みつけただけでは借りて読もうとは思わなかったが、巻頭の佐藤春夫の序「高橋新吉のこと」の中に、新吉が差し出した新聞の切れっぱしのような反古が辻潤からの紹介状、とかかれていた。 先日、金井真紀『酒場學校の日々』を読んで、酒場學校を設計したのが辻まこと、辻潤の息子、であったことを知ったばかりだったので、思わず借りてきた次第。 いやぁ、ぶっとんだ。 これがダダイスト 高橋新吉の世界なのか。 カオスである。 理解不能な面もある。 しかし、大正期の自由な空気も感じられて、目から鱗であった。 いやぁ、しかし、凄い。
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手持ちのものがこちらの愛蔵版ではなく、古書店で手に入れた昭和の代物で、 古めかしい字体に所々かすれた印字、切りっぱなしの装丁、 その他モロモロの手作り感とレトロ感がとてもお気に入りな一冊なのですけれど、 この様なレトロな外観に相反したアバンギャルドな中身と、 そのギャップにトコト...
手持ちのものがこちらの愛蔵版ではなく、古書店で手に入れた昭和の代物で、 古めかしい字体に所々かすれた印字、切りっぱなしの装丁、 その他モロモロの手作り感とレトロ感がとてもお気に入りな一冊なのですけれど、 この様なレトロな外観に相反したアバンギャルドな中身と、 そのギャップにトコトンハマり、 眠る事をも放棄して一気にガッツリ読み倒してしまいました。 頭で理解するよりも先に、ジリジリと確実に迫り伝わってくる何モノかに囚われながら、 あまりの迫力に度肝を抜かれたり、逆に可笑しくなってみたり、 ハッとしたり、ふっとしたり、離れてみたり、近づいてみたり。 …と、夜中にこんな翻弄されてしまってはそりゃあ眠れるはずもなく。 非常に濃い、深夜の読書となったのでありました。
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中原中也が好きだった詩人ということで読んだ。 人間の命のベースにしがみつき離れまいとする詩人に感じた。 【2008年5月19日読了】
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パラノイアはダダと相姦です。パラノイアは30歳が発症限界です(と、中也の発狂を否定する小論の中で大岡昇平は書いていた)。新吉は27歳から4年間精神疾患というから発症したのでしょう。私もパラノイアです。27歳から30歳まで、危うく発症するところでした。いや発症していたのかもしれませ...
パラノイアはダダと相姦です。パラノイアは30歳が発症限界です(と、中也の発狂を否定する小論の中で大岡昇平は書いていた)。新吉は27歳から4年間精神疾患というから発症したのでしょう。私もパラノイアです。27歳から30歳まで、危うく発症するところでした。いや発症していたのかもしれません。そんな生活でした。だからいまでもダダが好きです。疲労で日常の掌握能力が壊れてあちらこちら切断された日常観念を、ダダはとことん解体させてくれ、おかげで束縛なく一から組み立てられ、「解体-復元」なんて微塵も見せぬ顔で生活圏に戻れるからです。不徹底な解体はしつこくいつまでも不徹底の苦しみを持続させてくれるので、シュルっと壊してくれるダダの詩は生活の上で必需薬です(と、今日悟った)。治ったら意味のない集合の言葉群に見えるのに、パラノイアがぶりかえしてきたらダダ詩がちゃんと詩として読めてしまうのが不思議です。パラノイアならではの言葉と言葉をつないでいる糸が見えるからでしょう。ちなみに高橋新吉22歳の詩集。ふつうパラノイアというものはそのころがピークとききます。
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