死霊(2) の商品レビュー
生前埴谷氏は自分の作…
生前埴谷氏は自分の作品は文庫化しないと語っていたそうである。そういう意味ではいまこうして文庫で作品に接することができるのは、幸せなことである。この作品のほか、角川春樹事務所のランティエ叢書でも文庫化されている。それもお勧めである。
文庫OFF
リンチ事件や恋人との…
リンチ事件や恋人との心中を語る高志。中盤のヤマ場。
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とりあえずⅡまでの感想 登場人物たちが語る思想の内容が抽象的で高度すぎて、ほとんど理解できなかった これは評者が異端系の宗教思想に疎いからかも 「非在の王」とかいうフレーズがかっこいい(中二) 「よくわからないけどなんかすごい」というおもしろさはあった Ⅲまで読むかは微妙
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霧のなかで 悪魔の世界 《愁いの王》 第8回日本文学大賞 著者:埴谷雄高(1909-1997、台湾、評論家) 解説:鶴見俊輔(1922-2015、港区、哲学者)
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埴谷雄高 「 死霊 II 」形而上学的な思想小説。4章〜6章。特に 5章「夢魔の世界」が凄い。 静寂、霧、影、闇の演出、ランプシェードの明かりの対比が 幽霊世界を演出〜怨念や感情としての幽霊でなく、ただ存在を感じさせる幽霊を演出している。 神など人間を超克する概念を用いず...
埴谷雄高 「 死霊 II 」形而上学的な思想小説。4章〜6章。特に 5章「夢魔の世界」が凄い。 静寂、霧、影、闇の演出、ランプシェードの明かりの対比が 幽霊世界を演出〜怨念や感情としての幽霊でなく、ただ存在を感じさせる幽霊を演出している。 神など人間を超克する概念を用いずに、生者と死者との通信、死者から分解へ(魂の存在?)など 生と存在の関係を論述している。著者の思想を もう少し知ってから 5章を再読したい
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文庫版。読破。 一か月かけて読んでも小説内では一日も経過しておらず、 著者が24歳から87歳までかけて書き上げた全九章の全文で 三日しか経過していないのだっけと思いながら本を閉じた。 (誤っていたらすみません) 愁いの王のエピソードは好きですが、 同じ落ちがついに書き上げられなか...
文庫版。読破。 一か月かけて読んでも小説内では一日も経過しておらず、 著者が24歳から87歳までかけて書き上げた全九章の全文で 三日しか経過していないのだっけと思いながら本を閉じた。 (誤っていたらすみません) 愁いの王のエピソードは好きですが、 同じ落ちがついに書き上げられなかったマハーヴィーラでも起こるはずだったので延々と同じ事柄を繰り返し語っているようにも思える。 情景描写は無駄に長く感じた。
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第2巻は4〜6章を収録。 こういう、登場人物が延々と議論を戦わせているだけの小説に惹かれるところがあって、この巻も大変楽しく読んだ。 1巻から気配はあったオカルト的なテーマも割と突っ込んだ話をしている。オカルトというよりは精神世界的か。
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いよいよ本題に入ったらしいんだけど……(笑) 兄の告白をじっと聞く弟、彼らを取り巻くのは霧と夢魔。
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一巻と違って、読みにくいとか読みやすいとか、そういったものが全く気にならない(読みにくいけど)。ページをめくるのを忘れて考え込んでしまう。以下メモ。 三輪高志と夢魔との「虚体――かつて無かったもの、決してあり得ぬもの」をめぐる激論。「無」をつくるということの不可能性とそれを可...
一巻と違って、読みにくいとか読みやすいとか、そういったものが全く気にならない(読みにくいけど)。ページをめくるのを忘れて考え込んでしまう。以下メモ。 三輪高志と夢魔との「虚体――かつて無かったもの、決してあり得ぬもの」をめぐる激論。「無」をつくるということの不可能性とそれを可能にする「存在の革命」について…とかいろいろ。「意識=存在」「俺は俺だ、と言うことの不快」「俺は俺ではない」 『あるはない、ないはある、 けれども、ないともいえず ないともいえぬ ほかのまったくちがった何らかの何かもさらにまた まだまだほかならぬそこのそこに誰にも知られぬ面を伏せて隠れている。』 wikipedia面白。「ぷふい」ってそういう意味だったのかあ。
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1巻を読んでたときは「ちょっと青いんじゃないの?」と感じていたが、埴谷雄高のスタイルに慣れてきたのか、優れた部分も見えてきた。 埴谷雄高はドストエフスキーを「思想の書」として読解しており、私はバフチン的な読み方に賛同するので、彼の理解には同意できないけれども、それでもドストエフス...
1巻を読んでたときは「ちょっと青いんじゃないの?」と感じていたが、埴谷雄高のスタイルに慣れてきたのか、優れた部分も見えてきた。 埴谷雄高はドストエフスキーを「思想の書」として読解しており、私はバフチン的な読み方に賛同するので、彼の理解には同意できないけれども、それでもドストエフスキー流の「ポリフォニー」構造は、『死霊』の中に生かされているように思う。 作中の個人個人がもつ抽象的な思考が、会話の中であまりにも簡単に理解し合えすぎているのでリアリティはないものの、ポリフォニー的重層性によって、それなりに奥行きができている。 この小説は難解に見えるかもしれないが、表出されている思想自体は、実はそんなに難しいものではないと思う。理路整然とした、哲学書のような書き方をしないから明快さがないだけだ。 「存在=意識」という見方は、しょせんサルトル的だなあと思うけれども、その辺は最後の3巻を読んでからもう一度考えてみよう。
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