時間の比較社会学 の商品レビュー
「自分が不老不死ではなくそのうち死ぬことに虚しさを覚えないためにはどうしたらいいか」「時間に急き立てられず充実を感じるためにはどうしたらいいか」の本。
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これはかなりおもしろかった。「比較社会学」ということで、人類学的な知識を縦横に活用するが、「時間」という、もともとかなり哲学的に問題性の高いテーマであることもあり、相当に哲学的な深みのある本だった。 我々は西欧的な語彙に慣れ、そのパースペクティブに縛られているため、時間というもの...
これはかなりおもしろかった。「比較社会学」ということで、人類学的な知識を縦横に活用するが、「時間」という、もともとかなり哲学的に問題性の高いテーマであることもあり、相当に哲学的な深みのある本だった。 我々は西欧的な語彙に慣れ、そのパースペクティブに縛られているため、時間というものを数直線的なイメージで物象化してとらえ、「過去ー現在ー未来」という区分を当たり前だと思っているが、ムビティによるとアフリカにはもともと「事実上未来(という概念)が存在しない」。さらに、エバンズ=プリチャードによれば、ヌアー族には「時間という概念が、そもそも存在しない」。 この本にあげられた「未開社会」では、人びとは過去の祖先や神話などが共時的に混在したものとして「現在」を生きている。彼らは、西欧人のように壮大な未来を描いたりしないから、人類や社会の末路に思いをはせることもない。 逆に、西欧人はむしろ「未来」ばかりを見て生きることで、「文化の発展」やら「経済的成功」はたまた「人類最後の日」を夢見てばかりいる。 時間を計測し、分割し、能う限り合理化することにより、西欧の資本主義経済は爆発的に発展し、われわれもその流儀の世界観の中で過ごさざるをえない。 しかし思うに、「未来」が常に頭から離れないために、うつ病だの統合失調症になるのではないか。空虚な「未来」の前で行動不能に陥るうつ、「未来」に先走ろうという焦燥に身を焼かれる統合失調症。そういえば、つかの間でも「幸福感」を感じるひとときというのは、「未来」に思いをはせている瞬間ではなく、「現在」がそれ自体の充実として実感できるような瞬間なのではないだろうか。 近代西欧的な「時間の対象化」のなかで、「個人」が解き放たれるとともに疎外される。それは著者によると、カルヴァンの独白に見られるように「地獄」のような体験でもあるのだが、日本人は中途半端に近代化したため、そのような「個人」像とも「時間」観ともあまり密着しないままに現代を迎えた、という指摘はなかなか面白い。 この本に挙げられているいくつかの文献も読みたくなった。 「時間」については、今後真剣に考えてみたい。
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現在の近代社会の持つ直線的で不可逆的な時間感覚が、独特なものであることを示す。社会学と言うより哲学に近い部分もある。著者の言う「ニヒリズムからの解放」が現代社会でどれほど可能なのか・・・
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真木悠介になると途端に文体の精度が緻密になるのは気のせいだろうか。 原始共同体、日本の古代社会、ヘレニズム、ヘブライズム、近代、それぞれの時間意識について骨太な考察をする。 参考文献を巧みに駆使し、真木流の社会学に仕上げていく様は圧巻。 時間からの疎外、と時間への疎外 共同態と集...
真木悠介になると途端に文体の精度が緻密になるのは気のせいだろうか。 原始共同体、日本の古代社会、ヘレニズム、ヘブライズム、近代、それぞれの時間意識について骨太な考察をする。 参考文献を巧みに駆使し、真木流の社会学に仕上げていく様は圧巻。 時間からの疎外、と時間への疎外 共同態と集合態へのシフトによる時間意識の変遷。 そして最後に至るニヒリズムからの解放。最後まで読むと感動します。 時間論、終末論、社会学が好きな人は必携の一冊。
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