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社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 の商品レビュー

3.8

16件のお客様レビュー

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2012/11/06

マックスヴェーバーの社会科学入門的な著作であり、名作として知られる。 本書は社会科学における意義とその目的・方法について言及している。 「社会科学本来の任務は、具体的な歴史関連の文化意識の認識に仕えることこそが究極の目的で、絶えず新しい観点や概念構成を追い求めるようなことではな...

マックスヴェーバーの社会科学入門的な著作であり、名作として知られる。 本書は社会科学における意義とその目的・方法について言及している。 「社会科学本来の任務は、具体的な歴史関連の文化意識の認識に仕えることこそが究極の目的で、絶えず新しい観点や概念構成を追い求めるようなことではない」という、社会を観察する立場を貫いて論じている。 本書の中で、社会科学の本質的な任務について書かれた一文がある。 “社会科学の本質的な任務とは、理念を解明して精神的に理解させる事である” では、なぜ理念を解明することが重要なのか? マックスヴェーバーは、20世紀初頭(1905年に書かれている)の世界を次のように認識している 「認識の木の実を喰った一文化期の宿命として、他の理念が他人にとって神聖なのは、われわれの理想がわれわれにとって神聖なのとまったく同等である。それゆえわれわれを揺り動かす最高の理想は、どの時代にも他の理想との闘争を通して実現されるほかはない」 マックスヴェーバーにとって理念とは究極の公理に近づく方法であり、神々の黄昏を理解するための道ともいえる。それゆえ理念を解明することの意義を神秘的な表現を使って描いている。 「あの最高の価値理念から分かれ出てくる光は、時を貫いて流転していく膨大な出来事の混沌のなかから、たえず交替していく一有限部分をとらえてそのときどきに降り注ぐのである」 本書が非常に難解に思われるのは、一般の人々に向けて書かれた論文ではないからかもしれない。本書に書かれた内容は「雑誌アルヒーフ」の傾向(立場)を示したもので、当時の思想家や政治運動家に向けて書かれたという特性はあると思う。 それゆえ、核心については理解されている前提で書かれているのではないか。本書が婉曲的な表現で書かれていると思われがちな問題がここにあるように感じた。 例えば、本書冒頭にでてくる文章だが、 「われわれは意欲された目的の達成が、予見出来る出来事の連鎖を介して、他のいかなる価値を損なうことになるか、そうした形でなにを犠牲にするかという問いに答えることができる」 マックスヴェーバーたちの意欲された目的というのは、本書では明示されていない。思考実験の結果、出来事の連鎖によって得られた結論に関しても然り。 マックスウェバーが社会科学によって達成されるべき “何か”について明確わかってくると、本書に対する印象も変わるのだろうなとは思う。

Posted byブクログ

2011/08/04

ヴェーバーはやっぱりかっこいい 価値理念同士を科学的に否定し合うことはできない、ということをこの本で学んだ 解説がついているのもありがたいが、段落によっていい解説と納得できない解説がある、依って立つ価値理念の違いである 科学は現実を写真のように一面的に写し取ることしかできない—...

ヴェーバーはやっぱりかっこいい 価値理念同士を科学的に否定し合うことはできない、ということをこの本で学んだ 解説がついているのもありがたいが、段落によっていい解説と納得できない解説がある、依って立つ価値理念の違いである 科学は現実を写真のように一面的に写し取ることしかできない——すなわち理性は現実界を目にすることができない——という意訳はゆるされるだろうか。そういうところでヴェーバーはニヒリストのような気がしていたが、職業としての学問なんかを読んでいると、マルクスのように日々の市民生活の中で真実に辿り着こうとしている、そのうえでヴェーバーはザッヘということに着目しているところが真面目な彼らしいと思う

Posted byブクログ

2011/01/20

社会科学における認識の客観性はいかにして信憑性を得て、いかにして妥当性を得るのか。社会科学における客観性は、当該のものの「重要度」を誰もが理解できることを指し、その理念型の構築こそが肝要である。理念型を構築するためには、概念を用いる。概念とは用語や意味ではなく物事、現象の定義であ...

社会科学における認識の客観性はいかにして信憑性を得て、いかにして妥当性を得るのか。社会科学における客観性は、当該のものの「重要度」を誰もが理解できることを指し、その理念型の構築こそが肝要である。理念型を構築するためには、概念を用いる。概念とは用語や意味ではなく物事、現象の定義である。よって、客観性とは、概念の布置連関の総体を指す。 すっごい、難しい本を簡単に要約するとこんな感じ。だけど、ウェーバーが措定する客観性は、概念の同定をあまりにも主観に依存しすぎている。社会政策を推進する駆動力とすると日和見的になってしまうのではないか。

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2010/11/02

買ったのは一年と半年前、授業の先生が「難しいが読んでみなさい」という趣旨の発言をしたために勢いで買って読んでみたが、その時は全くわけがわからない状態で今日まで我が本棚で長い眠りについておられた、いわば眠れる獅子である。 だが今秋、構成員3名からなるヴェーバー小研究会なるものを主...

買ったのは一年と半年前、授業の先生が「難しいが読んでみなさい」という趣旨の発言をしたために勢いで買って読んでみたが、その時は全くわけがわからない状態で今日まで我が本棚で長い眠りについておられた、いわば眠れる獅子である。 だが今秋、構成員3名からなるヴェーバー小研究会なるものを主宰したために封印を解き手にとった。やはり一回の通読では理解できない、僕の頭では。だがヴェーバー知識は昔よりは蓄えたので完全に読めないわけではなかった。情熱と想像力をもって、何度も臨むのであります。

Posted byブクログ

2011/03/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

少しづつ近代について勉強していこうということで読む なんでこういう学者先生の訳本というのはこうも読みにくいのだろう まあ正確を期すためにはどうしてもこうしなくてはいけないというのも理解できなくはないのだけれども 読んで思ったことは 討論番組や昔のしゃべり場、または国会放送を見ていて感じた違和感を難しく言った本だなあ、と というかこれくらいの時代の思想がきっと現在を生きている自分の思考様式にも影響を与えていて、その源流となる文章がこの本に当たるのかも知れないなあ、と 多分、これ以外にも似たようなことを言った本や文章はあると思うけど 総じて読んで良かった 以下、自分なりのまとめ  この本は著者が参加していた、当時盛り上がっていた「労働運動」を含むあらゆる社会政策に関して「科学的な態度」で批判していくという雑誌の態度を表明するための文章である  では、その態度とは何か  社会科学というものは現象そのものを(無限に豊饒な個々の現象を全て汲みつくすことなどできることではないという点で)説明することはできないし、また説明していると標榜している社会科学は、それはすでに科学的態度を失っているし、この雑誌はそのような態度を断固として否定する  誰かがある現象について語る際には、どうしてもその誰かが(意識的・無意識的に)とっている立場が、視点に影響を与える  つまり、現象の説明材料を恣意的に選んでしまう  重要なことは現象を説明し尽くすことができない、ということではなくて、そのことに無自覚的(或いは自覚的)なままで、かくいう現象は「そうあるべきものだ」、とか、「そういうものである」と言ってしまうことだ  だから、「科学的な論」と言って、「~べき論」とかそういうことを言う際には、その自分自身の価値基準を明確にしたうえで、論を展開するべきだ  しかし、この雑誌では「~べき論」のような個人の価値理念に踏み込むことはしない  なぜならそれは科学的な態度ではないからであり、科学的態度に基づいてこの雑誌ができることは、ある政策の政策実行可能性と施行した場合のあらゆる(正負や意図しないことも含めた)影響を、述べることだけだ  そこから先の判断に関しては、決定者の価値判断に委ねられる  あと大事な言葉として「理念型」というのが挙げられる  これは、社会科学の態度ではなく方法論の話で、乱暴に要約すると  一つの現象について考える際、自分が説明に使おうと考えているいくつかの説明体系や論理を、思考実験として究極まで突き詰めていくとどうなるのか、その説明体系や論理の究極型を「理念型」と呼ぼう、というもの  方法論としては、この理念型と実際の現象を比較することで、現象の洞察をより鋭く行えるのではないか、というもの  ただ、この理念型を使う際には、自分がどんな立場でどのような考え方を採用しようとしているのか、常に厳しく把握していなければいけない  そういう意味でも、この雑誌における科学的態度というものは、重要である 要らない言葉が多いし必要な言葉がなかったりすかもしれないけど、概ねこんな感じの内容だったと思う  

Posted byブクログ

2009/10/07

 とても素晴らしい本であった。  価値自由―価値からの自由、価値への自由。  特に「理念型」について。社会科学の分析装置である概念は、研究者が独自に作りだしたものであり、現実の実在と一致するようなものではなく、また模写されるものではなく、それによって現実が秩序づけられるような、あ...

 とても素晴らしい本であった。  価値自由―価値からの自由、価値への自由。  特に「理念型」について。社会科学の分析装置である概念は、研究者が独自に作りだしたものであり、現実の実在と一致するようなものではなく、また模写されるものではなく、それによって現実が秩序づけられるような、あくまで人間の側の、超越論的な概念装置なのである。そして、作り出される分析装置としての「理念型」的概念は、 あくまで研究者の「価値理念」から、すなわち研究者の超越論的規範から作り出されるのであり、決して現実と一致するとかしないとかではなく、また一致するからその概念が「それ自体」として実在しているといったようなことではないのだ。  超越論的概念、すなわち理念は、思考の秩序付けのための、加速器のようなものであり、その性質ゆえ、それを目指していくところの実践的理想として機能しやすい、という点もかなりすばらしい観点である。  社会科学は、自然科学のように、それによって現実を「演繹」することのできるような究極の「法則性」を見つけ出すことを目指しているのではない。そういった法則性はあくまで社会科学の単なる手段であり、社会科学の目標は、現実現象を超越論的概念によって切り出し、因果的に秩序づけ、それを他の人々に主観的に「理解させ」るところにある。  カント的思考をあくまで貫き、人間の限界を自覚した上で、理性の越権を抑えつつ、それでもなおわれわれに可能な「科学」としての方法をウェーバーはこの本によって説いた。  なお、仮説の実証的確証のための方法は詳しく書かれてなかったので、もっと社会科学の方法について、より知っていきたいと思った。ウェーバーは天才だ。  何がやりたいのかいまいち納得のいかなかった「社会科学」であったが、この本でかなり好きになり、もっと社会科学について詳しく知りたいと思うようになった。  これは今年読んだ中でベスト5に入る本だろう。図書館で買ったのだが、購入し座右の銘として置いておいてもよかったくらいだ。非常に感動した。  2008.10.26-28.

Posted byブクログ