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廃墟をゆく の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2023/07/30

人は何故廃墟に惹かれるんだろう。 そこにかつてあった人の営みに思いを馳せ、栄枯盛衰、諸行無常にもののあはれを感じるから。 簡単に言語化してしまうとそんなところだろう。 2003年に発行された廃墟写真集。20年前の本なので、今は既に取り壊されている建物も多いだろう。そう思うとこ...

人は何故廃墟に惹かれるんだろう。 そこにかつてあった人の営みに思いを馳せ、栄枯盛衰、諸行無常にもののあはれを感じるから。 簡単に言語化してしまうとそんなところだろう。 2003年に発行された廃墟写真集。20年前の本なので、今は既に取り壊されている建物も多いだろう。そう思うとこうして写真で残しておくことは貴重だ。また、今でもその場所で姿を留めている廃墟もいくつもあるようだ。これもまた、その場所が開発を必要とする経済活動豊かな場所でなければ畢竟当然なこととも言える。 まだ残っているものは、いつか自分の足で訪れて自分の目で見てみたい。 ただ願わくば、もっと一つ一つの廃墟を掘り下げてほしかった。 大体どの廃墟も全体像が分からない内部の写真を1〜2枚撮っただけ。どういう建物で、どんな歴史があったのかというナラティブも無い。これは大変味気なかった。(よく分からないエッセイは書いてあったけど、読みもしなかった)

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2017/03/12

図書館で見つけて借りていました。 少し見ただけでそのままになっていたのですが、今朝、返却する前に続きを見て、引き込まれて一挙に見終えた、、というのが正直なところです。 「廃墟」と聞けば、イメージも人によって違うと思います。必ずしも廃墟に惹かれる人ばかりとは限らないでしょうが、私...

図書館で見つけて借りていました。 少し見ただけでそのままになっていたのですが、今朝、返却する前に続きを見て、引き込まれて一挙に見終えた、、というのが正直なところです。 「廃墟」と聞けば、イメージも人によって違うと思います。必ずしも廃墟に惹かれる人ばかりとは限らないでしょうが、私は「廃墟」という言葉から「終わったものの哀しさ」と「美しさ」を感じます。「美しさ」というのは語弊があるかもしれません。独特のもの悲しさといえば良いのでしょうか。 かつて大勢の人がそこで暮らし生活していた場所が今は時を止めいる。それでも、場所そのものの時は止まっても、その周囲の時間は流れてゆくのですね。その悠久の時間の中で次第に風化してゆく「建物」には独特の雰囲気があります。 この写真集を通して、そのもの悲しさや独特の雰囲気を感じ取ることができました。

Posted byブクログ

2012/11/23

特に表紙がすごい。すごい良い。よくもこんな色に辿り着いたものだ。 残酷な時間の流れに晒されて建築物はこんなに素敵になる!

Posted byブクログ

2011/10/13

寂しくなってしまう写真集です。賑わう町をタイムマシンで旅するとこういう気持ちになるのだと思います。一番印象に残っておりますのは、ガネーシャ。ポツンと一人取り残されて、蔦に絡まれながら忘れられていく姿が無性に悲しかったです。夜は開こうと思わない一冊。

Posted byブクログ

2011/08/25

おそるおそるの速度でページをめくりました。 忘却の遺産というのは形を成すと、ある種の恐怖を伴うものなんだなーと思って。 廃墟の写真の中には確実に人々の息づかいが聞こえて、そこに「存在していた」という香りみたいなものが写されていました。 だから余計に切ないし怖いのかなぁ。 蜜柑に...

おそるおそるの速度でページをめくりました。 忘却の遺産というのは形を成すと、ある種の恐怖を伴うものなんだなーと思って。 廃墟の写真の中には確実に人々の息づかいが聞こえて、そこに「存在していた」という香りみたいなものが写されていました。 だから余計に切ないし怖いのかなぁ。 蜜柑にカビがはえて腐っていく過程をじーっと観察したことがあるのですが、「朽ち行くものの美学」はあると思うんですよ。 芸術的ななんか。 そういうのがこの写真の中にもあると思います。

Posted byブクログ

2011/07/21

遊園地に乗り捨てられたメリーゴーランドや、今は死に絶えた炭鉱・造船所・銅山・ホテル・小学校などの建物や置き去りにされた物が、これでもかというほど残光に満ちて美しく映し出されたフォトグラフィの数々。 廃墟は本来けっして美しいものではありません。もし万が一そう見えたら、自分の目を、...

遊園地に乗り捨てられたメリーゴーランドや、今は死に絶えた炭鉱・造船所・銅山・ホテル・小学校などの建物や置き去りにされた物が、これでもかというほど残光に満ちて美しく映し出されたフォトグラフィの数々。 廃墟は本来けっして美しいものではありません。もし万が一そう見えたら、自分の目を、感性を、意識を疑ってみる必要があります。 そう見せようとする作者の謀略を暴くことも忘れてはいけません。 おそらく、この作者たちにかかれば震災直後の被災地でさえ、死体がゴロゴロころがっていたりほぼすべての家屋が倒壊する姿も、その映像美とやらで甘美な美しさで満ち溢れたものになることでしょう。 まったくもって、これは明らかに映像のファシズムです。しかもナチスのやった、ユダヤ人に対する残虐行為や戦争の美化という退廃美の創出よりも、もっとひどい最悪の表現です。 作者は、おそらく気づいていないというか無自覚なのです。 たとえもし、その対象の廃墟が美しい色彩と輝きにあふれているように見えたとしても、それは虚偽であり、それはその物体が人間に対する万感の思いを込めて怨念を放つ一瞬なのだということを。 廃墟の内実を見抜かなければならないと思います。それは同時に、目に見えるもの、またはカメラが映すものだけがすべて真実なのではない、という自覚にたつことでもあります。 この世界は陰謀に満ちています。奴らはスキあらばとあなたの心の隙間に入り込んで、活き活きした積極的な意識の中にどす黒い頽廃的なウィルスを植え込もうと企んでいます。 ・・・などという私が、実は大の廃墟好きなので困ってしまいます。 なぜか廃屋や廃工場が気になって、たとえ鉄条網で囲まれて入れなくしてあっても、あるいは頑丈な錠前や木や鉄の板がガンガン完璧に張り付けられていて蟻一匹入る隙間がないように見えても、どこかしらに忍び込む空間を発見して中に入ってしまうという特技(?)を持っているのが私です。 油のこびりついたボルト・ナットや錆びたニクロム線を、壁土の中の縄や焦げたヤカンの蓋を後生大事に宝物のように思うなんて、そういう性癖が芽生えた幼稚園生の頃から数えると、たぶん千件を下らないと思います、私の目に焼きついた廃墟は。 別に写真を撮るわけでも写生することもなく、ましてや文字に書きとめることもせず、ただただ、ひたすらその喪失感や虚脱感に浸るというだけですが、これが実に奇妙なことに満身の恍惚感、そのあとの爽快感というのがとんでもなく抜群で、さあ明日からまたバリバリやるぞという気になるから不思議です。 私の場合、たぶん廃墟を見ることは号泣することに似ていて、ものとことに対する強い愛惜の念を覚えるということなのでしょうか。

Posted byブクログ