ローマ人の物語(11) の商品レビュー
マルクス・アウレリウス治世の前からセヴェルスの治世までを描く。 ネルウァからマルクス・アウレリウスまでを五賢帝と呼び、この時代がローマ帝国の絶頂期と一般的には捉えられている。しかし実は五賢帝4番目のアントニヌス・ピウスからローマ帝国崩壊の兆しが見え始めるのではないか、というのが塩...
マルクス・アウレリウス治世の前からセヴェルスの治世までを描く。 ネルウァからマルクス・アウレリウスまでを五賢帝と呼び、この時代がローマ帝国の絶頂期と一般的には捉えられている。しかし実は五賢帝4番目のアントニヌス・ピウスからローマ帝国崩壊の兆しが見え始めるのではないか、というのが塩野女史の見方。 アントニヌス・ピウス治世は運良く平和に終わったが、マルクス・アウレリウス治世では、パルティアから侵攻、ゲルマニアから侵攻、ペストの流行、総督の謀反と散々な不運に見舞われる。それでも誠実に対処する皇帝の姿が描かれる。 その息子コモドゥスは皇帝としての責務を放棄。その死後ペルティナクス、ディディウス・ユリアヌスと短命皇帝が続き、内戦でセヴェルスが帝位を勝ち取る。 セヴェルスは皇帝になった後パルティアに攻め込む。滅ぼしはしなかったが、その一端を担う形となった。塩野女史曰く、パルティアはローマにとっては仮想敵国であり度々諍いを起こす相手ではあったが、滅ぼしてはいけない相手だった。それはパルティアがローマにとって他民族からの攻撃を和らげる緩衝材になっていたからだ。パルティアは大国であり、そのために周辺の蛮族が侵入する対象になり得る。パルティアを支配下に入れた場合、その矛先はローマに向かう。そうなるとこれまで以上の軍備を整える必要がある。それはローマにとって避けるべき事態だった。だから歴代皇帝はパルティアを温存した。一方パルティアにとってのローマは強大すぎて本気でやり合う相手ではない。為政者が国威発揚のために、時々攻撃を仕掛ける程度だった。 そのパルティアをセヴェルスは弱らせてしまった。その結果ササン朝ペルシアに滅ぼされる。そしてこの国はローマ帝国の真の敵となる。 セヴェルスが良かれと思ったことは結果的にローマ帝国衰退の端緒を開くことになる。パルティア攻撃後、元老院も市民も大喜びだったという皮肉。政治というのは後になってしか成否が図れないのだと思わされる。
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マルクス・アントニウスの治世は、洪水と飢饉、アルメニアを巡るパルティア戦役、ゲルマン戦役、カシウスの謀反、第二次ゲルマン戦役と問題が噴出した。マルクス・アントニウスは皇帝の職務を真摯に誠実に果たし、それまでは属州経験も軍事経験もなかったが、経験豊かな専門家の意見を公平に聞いてある...
マルクス・アントニウスの治世は、洪水と飢饉、アルメニアを巡るパルティア戦役、ゲルマン戦役、カシウスの謀反、第二次ゲルマン戦役と問題が噴出した。マルクス・アントニウスは皇帝の職務を真摯に誠実に果たし、それまでは属州経験も軍事経験もなかったが、経験豊かな専門家の意見を公平に聞いてある程度適切に問題に対処した。しかし200年以上ぶりにリメスを破られたことも事実であり、これはアントニヌス・ピウス時代から皇帝を始めとする元老院階級で属州経験がなくなり、問題の発生を予防する打ち手がプロアクティブになされなかったためとも言える。 マルクス・アントニウスの実子であるコモドゥスの登場で5賢帝時代は終了し、ローマ衰退の時代に入る。実の姉の暗殺計画以降、疑心暗鬼になって粛清を繰り返すようになり、国政を顧みず公正で適切な人材登用が行われなくなった。結果コモドゥスは暗殺される コモドゥス死後、すぐペルティナクスが皇帝となるが近衛兵によって暗殺されてしまい、彼らはユリアヌスを皇帝に推挙する。その後、各軍団がそれぞれ皇帝を推挙するが、ドナウ川防衛線からの支持を得たセプティミウス・セウェルスが首都に入りユリアヌスが殺され、近衛兵を解散したあと、ニゲルとアルビヌスを倒し皇帝となる。セプティミウス・セウェルスは軍団を権力基盤として、給料の増額と軍務中の妻帯を認めてその地位を向上させた。 ・マルクス・アントニウスの人気には、自省録の存在と騎乗像の存在も無視できない。見えないものはないのと一緒なのだから ☆暗殺は事故のようなものだが影響は甚大。暗殺を許してはいけない
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賢帝の最後の一人とその後の混乱。権力者は適切な後継者を選択しないといけない、ということなんかねえ。まあそれが実に難しい訳だけど。特に実子がいると。
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ローマ人の物語は、塩野ファンのみならず、どなたにもお勧めしたいシリーズ。このころのローマはまだ元気です。
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久しぶりに読了したこのシリーズ。面白いのは、際立っている。なのに、一巻を読んだのが院生時代だから最初に読んで20年近く、最終巻が出て12年にもなり、かつ全巻本棚に陳列していながら、なかなか読み終えられないのは、それだけ知的負荷が高いからだろう。なんて、一見知的負荷が高そうで実は頭...
久しぶりに読了したこのシリーズ。面白いのは、際立っている。なのに、一巻を読んだのが院生時代だから最初に読んで20年近く、最終巻が出て12年にもなり、かつ全巻本棚に陳列していながら、なかなか読み終えられないのは、それだけ知的負荷が高いからだろう。なんて、一見知的負荷が高そうで実は頭の悪い文章を書いてしまったけど、本の中身はやっぱり面白く、読みながらいろいろ考えてしまう。だから、時間かかんだよね。この本自体、2002年発行の奥付だから20年近く前に出た本なんだけど、今まさに進んでいる事象について、読みながら照らして考えてしまう。まぁ、映画『グラディエーター』は、もはや知る人も少ないかもしんないけどさ。塩野氏のときに辛辣、ときにユーモラス、でも血の通ったところも感じさせてくれる文章はやっぱり良い。 『終わりの始まり』というタイトル自体、決して明るい印象ではないけどさ。最後の文章がまさに、もの悲しくなる。 「死ねば誰でも同じだが、死ぬまでは同じではない、という教示をもってローマを背負った、リーダーたちの時代は終わったのである。 この後にも、この種の矜持を自らの生き方の支柱にする人は、個々別々には出てくる。だが、彼らが主導権をふるえた時代というならば、確実に終わったのである。」 俺が生きている時代は、どうなのだろう。そして俺自身は、どちら寄りなのだろう、と思いかけて気づくんだ。 終わった後、後世の人が考えるなら、どちらかという問いはなりたつかもしれない。でも、いま生きている俺自身は、それを決めるべき側にいるんだよね。結果がどうなるかはわからないにしてもさ。
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なぜ優れた賢帝の時代に「帝国の衰亡」が始まったのか?が本書の主題です。本書では五賢帝の最後マルクス・アウレリウスから息子のコモドゥス、そして内乱を経てのセプティミウス・セヴェルスの治世までが記述されています。西暦でいうと紀元121年から212年までのおよそ90年間が本書の範囲とな...
なぜ優れた賢帝の時代に「帝国の衰亡」が始まったのか?が本書の主題です。本書では五賢帝の最後マルクス・アウレリウスから息子のコモドゥス、そして内乱を経てのセプティミウス・セヴェルスの治世までが記述されています。西暦でいうと紀元121年から212年までのおよそ90年間が本書の範囲となります。主題への解答は本書に任せますが、まさに賢帝の時代に衰亡への種がまかれていたことがよくわかりました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
五賢帝の最後を飾るマルクス・アウレリウス。しかし、著者はハドリヤヌス、アントニヌス・ピウスの時代に遡ってとき始める。なぜマルクス帝の時代にローマが没落し始めるのか、それは彼の息子が愚帝であったためだけなのか、マルクスの時代がハドリヤヌス、ピウスの時代とどのように異なるのか、詳しく書いており納得性に富みます。そしてなぜ哲人皇帝が後継者に失敗したのか、やはり息子への偏愛に眼が曇ったのか?著者の説明はこれまでの常識に対して挑戦するように、ピウスに厳しかったり、マルクスの悩みに焦点を当てたりと極めて飽きさせない推理に富んだ素晴らしい歴史でした。映画「グラディエーター」をこの執筆のために何度も見たということ。私自身も見たことがあり、あの戦争シーンについて「確かにあのような戦争だったのかも知れない」という説明に頷けます。
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五賢帝時代の掉尾を飾り哲人皇帝としても名高いマルクス・アウレリウス。後世の評価も高い彼の時代に、既に衰亡への萌芽は見えていた――従来の史観を覆す新たな「ローマ帝国衰亡史」が今始まる。
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また内戦をやっている。距離が離れるほど情報が伝わるのが遅いということを学習しないのだろうか。シリアに情報が伝わるころには、近くの将は動き始めているし、抑えなくてはいけないローマにも遠い。 今回は内戦の描写が穏やかなので、まだ読むのに心理的に楽だった。 後継ぎに関しては、ある程...
また内戦をやっている。距離が離れるほど情報が伝わるのが遅いということを学習しないのだろうか。シリアに情報が伝わるころには、近くの将は動き始めているし、抑えなくてはいけないローマにも遠い。 今回は内戦の描写が穏やかなので、まだ読むのに心理的に楽だった。 後継ぎに関しては、ある程度賢い皇帝なのだから、生前に整理しておいてほしかった。それであれば国力の衰えも少なかっただろうに。 それにしても、親が奴隷でも自身は能力と努力次第で皇帝にまでなれる社会というのは素晴らしい。身分の固定されていた国に比べれば、繁栄するのは当然と思われる。
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ローマの盛隆と衰退を書いた塩野七生の本。 11巻『終わりの始まり』を読んで、衰退は国ではなく人から始まっていくと感じた。 国が最盛期の安定している頃は、戦争に行くのに観光しながら長時間掛けて向かっても問題にならなかったりもしたけれど、逆にそれにより人は衰退しても国を存続できるシ...
ローマの盛隆と衰退を書いた塩野七生の本。 11巻『終わりの始まり』を読んで、衰退は国ではなく人から始まっていくと感じた。 国が最盛期の安定している頃は、戦争に行くのに観光しながら長時間掛けて向かっても問題にならなかったりもしたけれど、逆にそれにより人は衰退しても国を存続できるシステムが稼動できたという経験によって、錯覚を起こし、問題に気づきにくくなるんだろうと思う。 でも2代目で会社が潰れるなど、学べる事・気をつける事などの気づける事は身近に沢山あると思う。 先人が残した書物があり海外のものも翻訳されて沢山学べるようにはなったが、命が脅かされる事が非常識となった安定的な今は、学ぶ必要がないと錯覚しても当然かもしれない。そうなれば、その後のシステムの崩壊からの国の滅亡も自然の摂理として言えるのかもしれない。 もしそうであれば、世代を通して今日本人は衰退していっているのか。国のシステムはまだ保ったまま。 なるほど自然の摂理という考えが一番しっくりくる。
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