リューンノールの庭 の商品レビュー
みちるが大好きな作家が実は叔母だった!しかも夏休みにその叔母さんの家に招待されるなんて!みちるは大喜びで叔母さんの家に行くが、叔母さんはとんでもない人だった…!という話。久しぶりの日本人作家の作品。装丁と題字にそそられて読んだのはいいけど、ちょっとイマイチ。独特の空気が漂うけれど...
みちるが大好きな作家が実は叔母だった!しかも夏休みにその叔母さんの家に招待されるなんて!みちるは大喜びで叔母さんの家に行くが、叔母さんはとんでもない人だった…!という話。久しぶりの日本人作家の作品。装丁と題字にそそられて読んだのはいいけど、ちょっとイマイチ。独特の空気が漂うけれども、どうも現代版ファンタジーは好きになれないかも。
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「いい、知識は力なの。……でもね、知識をただ知識としか見られない人間には、大いなる力の継承者としての資格はないの。」 生まれて1度も会ったことのない叔母からの招待メールを貰った未散は、叔母があこがれていた作家水無月サナだと知り、その招待に応じる。ところが、叔母の家を訪れて驚い...
「いい、知識は力なの。……でもね、知識をただ知識としか見られない人間には、大いなる力の継承者としての資格はないの。」 生まれて1度も会ったことのない叔母からの招待メールを貰った未散は、叔母があこがれていた作家水無月サナだと知り、その招待に応じる。ところが、叔母の家を訪れて驚いたことに、今まで鍵のかかっていた門が叔母の一触れで開いたりと不思議なことばかり。 あこがれの水無月サナのもとで夏休みを過ごせることを喜んでいた未散だったが、想像していたのとはかけ離れた、寒気を感じるほどの叔母の冷たさに戸惑い、掃除・ゴミ捨て・洗濯・買い出しという課せられた仕事に不満が増して行く。 加えて10冊の植物図鑑のような分厚いファイルを1日で全部頭に入れるようにと言われるのである。 −−−これは魔女や魔法の話ではない。 言うならば「気づく」話であろうか。 見えなかったものに気づく。見ていなかったものを見つける。そんな話である。 与えられたものというのはそのままでは何も役には立たないのだと思う。 「知識」という言葉がある。 知識とは物事について知っている事であり、また、その内容のことを指す。 では、「知恵」という言葉はどうであろうか? おばあちゃんの知恵袋なんて言葉で使われるのを良く耳にするが(ぽ●ぽた焼きとか/笑)、知恵とは物事を考え、判断し、処理する心の働きのことなのである。 「知識」と「知恵」は等符号で結ぶことは出来ない。 「知恵」とは自分で手に入れた(または与えられた)知識をもとに、自分で考え、行動を起こす事を言うものであり、与えられた知識を唯振りかざすものでは、決して、無い。 沙那子叔母さんはこの事を未散に知って欲しかったのではないだろうか。 知識とは目的を持って身につけるものであって、嫌々取り入れて行くものではないこと。手に入れた知識をもとにして知恵を身につけて行くこと。それらが、則ち大いなる力を継承して行くものにとって大切なことなのであり、その知恵を得るという行為自体が大いなる力に直接結びついていることなのである。 『青い鳥』や『雪の女王』の名が作中に見られるが、カイの心臓に突き刺さった氷を溶かすために長い旅に出た『雪の女王』のゲルダと『青い鳥』のチルチル、ミチルは求めていたものが結局は自分のもとにあったという点に置いて同じである。 未散もまた、友人の圭太を助けるために求めた答えは、自分が叔母より得た知識の中にあることを、行動を起こすことによって手に入れている。 今まで気づかなかったことに気づくことが出来ること。見えていなかったものを見ることが出来るようになること。自分が知らないと言うことを知ること。 それはとても難しいことであると同時に、やろうと思えば存外簡単なものなのかもしれない。 唯、その時に必要なのは自分から動くことなのだという事は間違いないだろう。 魔女や魔法といった最近のブーム色を押し出しすぎずに、読み手と未散の視点を同化させ、読み手自身が「気づく」事が出来るように考えられた展開が好ましく思えた。 リューンノールの咲く夜の描写が想像力をかき立てられ、美しい情景を伴った作品となっており、お薦めである。
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