境界の発生 の商品レビュー
現代と古代では生死の…
現代と古代では生死の境が直接、自分の目で見えた、、、そこから始まります。資料豊富です!!
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1989(平成元)年に単行本として刊行。 『異人論序説』の赤坂憲雄さんの、これも初期の本。別々に発表された論文・エッセイを収録。 この方の文体はなにか重苦しいような主体を感じさせる。その上、高度に学術的な記述も多いので、人によってはとっつきにくいだろう。私は、この文体は好きだ...
1989(平成元)年に単行本として刊行。 『異人論序説』の赤坂憲雄さんの、これも初期の本。別々に発表された論文・エッセイを収録。 この方の文体はなにか重苦しいような主体を感じさせる。その上、高度に学術的な記述も多いので、人によってはとっつきにくいだろう。私は、この文体は好きだし、「異人」「境界」といったテーマも目下真剣に考えているあたりのものだ。 本書の中では巻頭に入っている「境界/生と死の風景をあるく」というエッセイの、序文の部分で、現代を「あらゆる境界が喪われてゆく時代」と書いているのが、私としてはとても気になり、かなり考えこまされてしまった。 赤坂さんの考えていることとは少し違うだろうが、こんにち、科学的あるいは功利的な「クールな明晰性」によって世界がのっぺりとし、神話的な強力な磁場はもはや無く、共同体もほとんど解体して、ただ情報と経済行動だけが灰色の空間にひたすら浮かんでいるようなこのエントロピーの高い世界は、確かに異界と「境界」を喪っているのかもしれない。
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「境界」に関する一冊。いや、そのまんまやんけ。 あまりに長い期間に渡ってぽつぽつ読み進めていったためはじめの方の内容が遠い記憶の彼方になっているのですが、市・異人・杖・人身御供譚・穢など様々な「境界」について民俗学的な視点から検討。
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境界についての色々な論考を一冊にまとめたもの。 昔の境界の考え方にはじまり、その空虚性や両義性について、境界に開かれた市について、境界に群れる者について、各伝承(行き逢い裁面、賽の河原、杖立て伝説、人身御供)にひそむ境界論などが説かれる。 内容はこういった民俗学関連の読み物に慣...
境界についての色々な論考を一冊にまとめたもの。 昔の境界の考え方にはじまり、その空虚性や両義性について、境界に開かれた市について、境界に群れる者について、各伝承(行き逢い裁面、賽の河原、杖立て伝説、人身御供)にひそむ境界論などが説かれる。 内容はこういった民俗学関連の読み物に慣れた人向けといった感じで、読みこなせない部分もあったが、とりあえずは興味のわいたところを拾うようページを進めていった。 といっても読むところはたくさんあって、特に賽の河原の折口信夫さんと柳田國男さんの視点の違いにはなるほどと唸らされたし、杖立て伝説の読み解きはバリエーションの違う色々な伝承と合わせて楽しく読めた。 人身御供譚の構造については、区切りと暴力性、または第三項排除について、関連する本があればもっと読んでみたいと思う。 人身御供譚は「顕されつつ隠される」構造だと明かされるが、隠される理由は何なのだろう。 私が異国の動物供犠の写真を見たとき、真っ赤に裂けた腹を見たときに感じた、「うわっ」と顔をしかめる一瞬、あの心理に理由があるのだろうか。 それとも、人間を生贄にすることの心理的な負い目からくるのか? だけど桟敷について語る部分で、生贄になるさよ姫の見物人がわらわらいたように、「鮮血」は人の好むところでもある(外から来た生贄ではあったけれども)。 嫌悪と興奮が同居するのが不思議だし、現代だとそういった見世物は野蛮だと「隠される」方向に向かう。 それは一体なぜなんだろうな、と新たに興味がわいた。 海石榴市や鎌倉のやぐら、切り通し、ヤカテクトリやヘルメスなどの写真を検索しながらノートをとったのだが、今は画像検索で風景を想像しやすいから便利だなあ。 まだまだ未読の箇所も多いが、とりあえずは一巡目ということで。
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