ライプニッツ術 の商品レビュー
正直、ところどころ、著者のスタンスに疑問を感じるところはある まぁこの分量でライプニッツを語ること、ライプニッツのように読者に合わせた書き方をしていること、などは考えられるものの、え、それを自明のこととして良いんだっけ?というような とはいえ、ライプニッツの一冊目として、とても...
正直、ところどころ、著者のスタンスに疑問を感じるところはある まぁこの分量でライプニッツを語ること、ライプニッツのように読者に合わせた書き方をしていること、などは考えられるものの、え、それを自明のこととして良いんだっけ?というような とはいえ、ライプニッツの一冊目として、とても面白かった 例えば巻頭の地図 ライプニッツの移動がわかる スピノザとあったこととか、その距離感とか、そういう周辺から見えてくるのは面白い あと、おまけ的についてるライプニッツ 1702年密着、が面白い 全部読む必要はないけども、その膨大さには驚く 遺されたもの、の項も面白い これまた膨大 そのあたりでライプニッツの姿を素描しつつ、入る 発想術が一番面白かった 多様性を保つこと 静と動を考えるときに、静ではなく無限小の動とする、顕微鏡的な感覚からマンデルブロな感覚への接続など、自分のもやもや頭の中で考えてる感覚と同じかよ、と思うものが多々ある 存在術、というのは、そのタイトルの言葉からしてよくわからないこともあり、頭に入ってこなかった 発明術と実践術、というのも面白い 図書館の構想など、とても参考になる 情報ネットワーク術、ここに関しては確かに重要と思うが著者が書き切れてないのでは。 中途半端。 スピノザ離れてライプニッツの1発目。 途中、ダレ気味のところもあって読むのにかなりかかってしまう。 さてさて、ところで僕はデカルトは割と好きだ。 西洋哲学史はプラトンへの注釈だ、というように、近代哲学とはデカルトをどう批判するか、というところがある(と思ってる) スピノザからして、デカルトには一定の共感をしつつ批判的だし、ライプニッツだってそう。 デカルトの過ちは、暗闇を一人歩く個としての自分をまず思索のはじめにおいたことだと思う。そうするとあぁいう結論になるだろう。 でも、自分というのは、暗闇を一人歩く個なんかではない、というのがデカルトへの決定的批判だろう(と僕は思ってる)。 スピノザは、聖書への歴史的批判的解釈が根本にあって(多分)、聖書の言ってることってほとんど、預言者の想像力やん、モーセには法がとかれ、キリストは道徳を伝えたけども、今の時代にはもう一歩進んで、倫理学がいるでしょう。聖書みたいな物語を方法にするんでなく、幾何学を方法にすべきでしょう。それはいかに、というのでエチカを説いてるんでは。と思ってる。 で、その根本にあるのは、多分、ケプラーによって宇宙の数学的な完成度がみえてきたこととか、レンズ磨きとかでとらえたんじゃないかと妄想してるけども、世界はものすごく幾何学的で完璧だ、奇跡なんかよりも世界がこのようにあることのほうが凄くて、その調和を乱す奇跡なんかはむしろ預言者の想像力程度のつまらんもの、自然即神。なのかなと。 ライプニッツは、無限小とかの連続律が根本にあるのでは。と感じてる。あらゆる中間があるてことでは。だから、全ての学問にも、その中間領域がある、で、それを埋めていくことで満遍なくしていくこと、そんなとこにあるのでは。 と思うと、ライプニッツには目的がないのかな、とも思う。スピノザにはエチカに至る幸福についての問いと発展がある。デカルトは、第一原理から世界を全て構築しなおす。ではライプニッツは何をしてたのか?どちらかというと、実務的な仕事に忙殺されてただろうことも含めて、そこにはそういう目的よりも、ひたすら拡大し多様化していくこと、少しアリストテレス的な欲望への近似なんかも感じる まぁ、まだ読み始め。頑張ろ。 モナドロジーへ進もう
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古書店にて2500円で発見。著作集には手が届かないが、これは買って読まねばなるまいと購入。従来と違う切り口でライプニッツに迫ったとあとがきにある通り、主に業績面からの分析で理論と実践の侵犯者ライプニッツの特異性を浮き彫りにしている。取り分け気に入ったのがこの記述→"(ヴ...
古書店にて2500円で発見。著作集には手が届かないが、これは買って読まねばなるまいと購入。従来と違う切り口でライプニッツに迫ったとあとがきにある通り、主に業績面からの分析で理論と実践の侵犯者ライプニッツの特異性を浮き彫りにしている。取り分け気に入ったのがこの記述→"(ヴォルテールの『カンディード』に関して)主人公カンディードとパングロス博士の惨めな人生を描いて「最善」を否定したはずだったが、その落ち着いた結末はむしろライプニッツの真意に沿うという皮肉なものとなっている。これこそが真のオプティミズムだ"(P148註1より抜粋)
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哲学者、数学者にとどまらず、法学者、歴史家、外交官、図書館司書、といった多様な顔をもつライプニッツの活動の現場に迫り、彼の哲学的な姿勢や「世界の見方」の特徴を解明しようとする、ユニークな本。 著者がまず注目するのは、ライプニッツの思索の中核にある考え方とも言うべき「連続律」であ...
哲学者、数学者にとどまらず、法学者、歴史家、外交官、図書館司書、といった多様な顔をもつライプニッツの活動の現場に迫り、彼の哲学的な姿勢や「世界の見方」の特徴を解明しようとする、ユニークな本。 著者がまず注目するのは、ライプニッツの思索の中核にある考え方とも言うべき「連続律」である。この考え方は、もともとは力学の問題を考察する中で提出された。すなわち、静止を運動の無限小と理解することで、デカルトの力学が孕んでいた物体の衝突に関する問題を解決を図ったのである。だがライプニッツはこの発想を、形而上学的な原理としての自然の多様性と存在の無数性に拡張する。 こうした世界観を後押ししたのが、レーウェンフックの顕微鏡による細胞の発見だった。ライプニッツは、どんなに微小な生物のうちにも生命が宿っていて、その中にもさらに生命体があって……という仕方でどこまでも続いてゆくような世界観を提出する。しかも、それぞれの生命体はあらゆる他の生命体との関係の中に置かれているとされる。こうした発想が、「どの単純実体にも、……宇宙を映す永遠の生きた鏡なのである」という『モナドロジー』の言葉の背景にあることを著者は論じる。こうして、微小なモナドから宇宙の全体までを、互いに関連しあう視座の中で考察するのが、ライプニッツの思索の特徴をなしている。 こうした発想に基づきつつあらゆる領域を横断して展開されてゆくライプニッツの思索は、複雑なネットワークを形成することになる。著者は、「類比」という方法や、保険論、計算機の製作、図書館活動、ハルツ鉱山開発などの具体例を取り上げながら、ライプニッツが思索を展開してゆく仕方に迫っている。
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