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教育改革の幻想 の商品レビュー

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23件のお客様レビュー

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子ども中心主義か、大…

子ども中心主義か、大人中心主義か。二律背反に陥りがちの教育論争にメスを入れる。あくまで公教育であることが著者の強調点、かな?

文庫OFF

2019/05/02

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480059291/

Posted byブクログ

2018/11/18

1 教育の制度疲労 ・印象論・体験論にもとづく教育改革 ・1999年7月 苅谷−寺脇対談  論点1:教育内容の削減は「全員が百点」をめざす  論点2:「自分で学びたい」という学習意欲を高めることをめざす  論点3:学習指導要領の成果は教師たちのやりかた如何による →しかし、データ...

1 教育の制度疲労 ・印象論・体験論にもとづく教育改革 ・1999年7月 苅谷−寺脇対談  論点1:教育内容の削減は「全員が百点」をめざす  論点2:「自分で学びたい」という学習意欲を高めることをめざす  論点3:学習指導要領の成果は教師たちのやりかた如何による →しかし、データからみると成果がでていない 2 「ゆとり」と「新しい学力観」「生きる力」の教育 ・「ゆとり」が必要と見る問題意識…「過度の受験競争」「授業についていけない子ども」「学ぶ意欲の欠如」 3「ゆとり」のゆくえ ・受験競争が激しいとされていた時期でも、極度の競争はデータ上見られない 4 「子ども中心主義」教育の幻惑 5 教育改革の幻想を超えて

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2014/09/23

当時の「受験地獄」の実態を知らないで、ゆとり教育批判をするのは、お門違いではないか?ということに気付くことができた。

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2014/04/20

 現在はゆとり教育が否定され、脱ゆとり教育などと言われているようですが、この本は、ゆとり教育がまだ推進されていた2002年に出版された本です。  この本が指摘していることは、「ゆとり教育が必要」とした根拠が、実にあいまいであるということです。例えば、中学3年生の帰宅後の勉強時間...

 現在はゆとり教育が否定され、脱ゆとり教育などと言われているようですが、この本は、ゆとり教育がまだ推進されていた2002年に出版された本です。  この本が指摘していることは、「ゆとり教育が必要」とした根拠が、実にあいまいであるということです。例えば、中学3年生の帰宅後の勉強時間というデータが紹介されていますが、1975年をピークに勉強量は減り続け、2000年においては、ほとんど勉強しない、毎日ではなく、ときどき勉強するが、実に半数という結果が示されています。つまり、子どもたちは、少なくとも勉強が忙しくて生活にゆとりがないという状況にはなかったことが分かります。  にもかかわらず、詰め込み教育や受験地獄という言葉ばかりが強調され、子どもたちが勉強漬けの生活を送っているかのような錯覚を抱いてしまい、ゆとりのある子たちにさらにゆとりを、つまりゲームをやる時間を与えてしまったわけです。  さらに、教育改革と言いながら、具体的な手段や方法論を欠き、学校や教師任せの、例えば総合的な学習の時間のような、無責任な改革が進められていることも後半では指摘されています。問題認識があいまいなだけでなく、解決策もあいまいな改革がうまくいくはずがありません。  もっとも、教育の難しさは検証の難しさにあります。人間の子どもが相手ですので、動物実験のようなことをするわけにはいきません。少なくとも、結果はどうであれ、よいかどうか分からないことはできないので、よいと信じてやるしかないわけです。しかも、一人の子にとってよいことが、他の子にとってよいかは分かりません。それでも、区市町村単位、都道府県、国単位で施策を決めていかなければなりません。  ゆとり教育は、今となっては否定的な評価に落ち着いてしまいましたが、次の脱ゆとり教育にしても、将来の評価はまだ分かりません。教育改革に携わっている人はもちろん、これから携わろうとしてる人も、ぜひこういう本を読んで、教育に対する見方を広げて欲しいものです。

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2014/04/16

さまざまなデータを検証して、「ゆとり教育」が推進されてきた背後にある考え方が、もはや通用しないものになっていることを論じた本です。 戦後、子どもたちの学習時間がどのように推移してきたのかを分析して、子どもたちが過度の受験競争に苦しんでいるという「ゆとり教育」の根拠になっている事...

さまざまなデータを検証して、「ゆとり教育」が推進されてきた背後にある考え方が、もはや通用しないものになっていることを論じた本です。 戦後、子どもたちの学習時間がどのように推移してきたのかを分析して、子どもたちが過度の受験競争に苦しんでいるという「ゆとり教育」の根拠になっている事実が存在しないことを、説得的に示しています。 また、「生きる力」を育てることをめざす「新しい学力観」とそれに基づく「子ども中心主義教育」が、具体的な手段を欠いているために実効性に乏しいという批判をおこなっています。 「ゆとり教育」の問題が喧しく論じられるようになり、その見なおしがおこなわれた今となっては、すでに広く知られるようになった議論ですが、それにしてもこれほど実際のデータを無視した教育論が推進されてきたことに驚いてしまいます。

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2013/01/03

「ゆとり教育」に対して様々なデータを紹介しながら果たしてこのまま行っていって大丈夫なのか、「子ども中心主義」の問題点などを指摘している。2002年に出ているが、現在起きているコトをすでに予見しているので今読んでも十分参考になる一冊。

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2012/07/10

子ども中心主義と伝統的アプローチの間にあるものはなにかを考えたいと思いました。どんなプロセスで子どもは意味や価値をつくっていくのか…。また、知識注入型でも必ず何かは構成(再構成)して意味づけていくという考え方には個人的に賛同するものの、構成主義的にどう他の人たちがとらえるかは興味...

子ども中心主義と伝統的アプローチの間にあるものはなにかを考えたいと思いました。どんなプロセスで子どもは意味や価値をつくっていくのか…。また、知識注入型でも必ず何かは構成(再構成)して意味づけていくという考え方には個人的に賛同するものの、構成主義的にどう他の人たちがとらえるかは興味がわきました。

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2012/06/01

「ゆとり」とは、誰にとってのゆとりか。勉強しない子がますます勉強しなくなる。子供中心主義の幻想。自由に好きなことができる授業→喜ぶのは勉強がほとんどわかっていない生徒であった。教育改革って、その時代の子供への実験みたいなものだな。ゆとり世代と言われる私達は、まさしく被検体だったわ...

「ゆとり」とは、誰にとってのゆとりか。勉強しない子がますます勉強しなくなる。子供中心主義の幻想。自由に好きなことができる授業→喜ぶのは勉強がほとんどわかっていない生徒であった。教育改革って、その時代の子供への実験みたいなものだな。ゆとり世代と言われる私達は、まさしく被検体だったわけである。ならば一層、今後の教育がどうあるべきか私達は考えていかなければならない気がする。教育ってほんとに大事だと思うんだけど、大事にするべきところとその周辺にあるものがごちゃ混ぜになってる。学力に焦点を当てるのか、楽しい授業に焦点を当てるのか。楽しい授業、ほんとにそれは楽しいのか。なにが残るのか。なにも残らないのか。

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2012/02/28

さまざまなデータをあげて、教育改革に伴う「ゆとり教育」の結果について論じている。「ゆとり」によって何をどう変化させたかったのか、という当初の目的と、「ゆとり」によって何がどのように変化したのか、という結果を対比させて問題点と効用について論じているのはとても興味深かった。教育者とし...

さまざまなデータをあげて、教育改革に伴う「ゆとり教育」の結果について論じている。「ゆとり」によって何をどう変化させたかったのか、という当初の目的と、「ゆとり」によって何がどのように変化したのか、という結果を対比させて問題点と効用について論じているのはとても興味深かった。教育者としてのハートも感じられて、良い本だなとおもった。

Posted byブクログ